麹町、ライヴハウス〝ミリオン〟にて

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穣二さんのコーヒーは、香りに深みがあるのに口当たりが軽めの焙煎で、とても美味しかった。 「穣二さん、まだ午前中なのに、外でもう何人か待ってたけど?」 コーヒーカップをくるくるしながら、晃亮がせわしなく仕込みを進めている穣二さんへ話しかける。 「え?もう?何人ぐらい?」 穣二さんはキュウリやら大根やらレモンやらをひたすら刻んで、泉さんが手際よく下味をつけて開店前の仕込みを進めていく。 「んん。10人ちょい?どう?」 たまに見せるきゅるんとしたかわいい目で俺に同意を求めてくる。 「…ですね。20まではいなかったです。」 さっき通りすぎた〝ミリオン〟前の光景を思い出しながら俺も答える。 穣二さんはそれはマズいなといった顔で 「また通報されちゃうじゃんよ。」 とつぶやく。 「なんであんなに人いるんですか?今日のライブってそんなに人気あるんですか?」 俺が聞き終わるより早く、穣二さんは壁のポスターを指差す。 全身写真でポーズを決める3人組の女の子。 バンドというよりアイドルっぽい。 【TACHYON】 とロゴがあり、写真の足のあたりにサインがはいっている。 「あれだよ!俺の夢がとうとう叶ったわけ!ここのライブハウスからメジャーデビューが決まったんだよ!」 晃亮はすごいっすねーと拍手をしている。 俺も拍手をしながらなんとかして解読しようとした。 「た…ちょ...?」 仕込みをしながらコーヒーを飲んでいた穣二さんが、思わず吹き出した。 そりゃね。 俺もたぶん読み方違うだろうなとは思ったけど。 「タキオン、ね。高速の粒子って意味らしいよ。こんな見た目でアイドルみたいだけど、高速ラップで高速ワックなの。ワックって知ってる?こうやって両手を鞭みたいにぶんぶん振るダンスなんだけど・・・」 と穣二さんが再現してくれたのは阿波おどりか、蜂に追われて慌ててるようにしか見えなくて今度は俺が吹き出してしまう。 穣二さんはポスターの近くまで行って、我が子を見つめるような優しい目で続ける。 「この左のおでこ全開ストレートロングヘアがもあ、真ん中の背の高い前髪ぱっつんボブがリーダーのみなも、右の小さめでパーマかかってるショートカットがかの。俺はさ、〝ミリオン〟がいつか〝鹿鳴館〟みたいになればいいって思ってたんだよ。その第一歩?的な?」 ふぅん。。 どこにでもいそうな感じにも見えるけど、メジャーデビューが決まったとあればそこそこの実力なんだろうな。 「この子達目当てでもう外に開場待ちの人がいるんですか?」 穣二さんは入り口に設置されている防犯カメラの映像を見てから言う。 「外、男だった?女だった?」 俺と晃亮は顔を見合わせて 「人数的にはだいたい同じぐらいかなぁ」 と同意を求め合う。 「タキオンはさ...」 自分のカップに加えて、俺と晃亮のカップにおかわりのコーヒーを注ぎながら穣二さんが続ける。 「まだ全員高校生だし、見た目もかわいいからアイドル系の扱いで男のファンが多いの。メジャーデビューが決まって、昨日から明日までの夜公演で3回、レコ発ワンマンライブをやるはずだったんだけど、メジャーにいってここのライブハウスに来られなくなる前に、女性ファンを増やしたいって言い出してさ。」 今度はタキオンのポスターと逆サイドのポスターを指差す。 「あいつら。LOVEHOLIC略称ラブホリ。女の子の人気がすごいの。男のファンもいるけど圧倒的に女。うちにはビジュアル系のバンドもいるのに女の子人気ナンバーワンは間違いなくラブホリ。タキオンは〝ミリオン〟での最後のライブをワンマンじゃなくて、ラブホリとの対バンにしたいって言ったんだ。昨日がその初日だったんだけど、ものすごい人が殺到して警察から指導入っちゃってさ。急遽今日と明日の昼公演を増やして対応することになったわけ。」 晃亮はラブホリのポスターの近くまで行って、へぇ、女の子に人気がある女の子バンドか・・と呟いてラブホリの写真をまじまじと眺めている。 穣二さんは仕込みに戻りながら 「ラブホリの説明は俺が中途半端にすると奏に怒られちゃうからなぁ~」 と横目で奏ちゃんに目をやる。 奏ちゃんはグラスやお皿を拭くのをやめて、俺の手を引いてポスターを眺めていた晃亮の隣まで連れていく。 奏ちゃんは中学生女子が大好きなアイドルや大好きなカラフルキラキラなものを愛でる時特有の音波を出しながら、えっとね・・と話し始めた。
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