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簡単に行き詰まる自分自身にはいつものごとく自己嫌悪で、何も進まなくて焦って、完全に沈んだ昨日だったけど、ご飯食べて、ゲームして、寝て起きたらちょっと回復した。
仕事を終えて夜10時すぎに〝ミリオン〟に着くと、穣二さんが水出しコーヒーとピザを用意して待っててくれた。
穣二さん、ピザ生地まで手作りできるようになっちゃってる。
どこに向かってるんだろう。
迷走してるって言う意味では俺と同じかもしれないと思えて、笑える。
ひとしきりくだらないバカ話をして、帰り際、穣二さんはとびきり優しい顔で俺にふんわりハグしてきた。
「どっかでちゃんと吐き出してバランスとれよ。」
って。
俺、見るからに危ういんだろうか。
でもどうしたらいいのかわかんないんだよな。
地下のスタジオでまた昨日の続きに取りかかろうとして…
…気配。
〝ミリオン〟は立地が悪いせいか、平日の稼働率は芳しくない。
特に地下のスタジオの中でも、俺が使ってるグランドピアノのある大スタジオの利用はほぼない。
だから昨日から今日にかけて、誰もいないはずなのに。
いつも一人で作業して一人で生活してる俺にはなんとなくわかる。
物の位置がずれたりとかじゃなくて、ただの気配。
違和感にも似た気配。
別の部屋を含めて地下を見渡しても、誰かがいる様子はないから、神経が尖りすぎてるせいのようにも思えて、いつも通りギターを抱えてスコアに向かう。
…あ。
これか、違和感。
スコアを置き去りにした譜面台にトレーシングペーパーが何枚もおいてある。
なんだこれ?
重ねてみると、それは俺が行き詰まってたBメロ案。
俺が作ったAメロとサビに合わせて作ったもの
Aメロをちょっといじってあるもの
サビのコードをすべて半音あげてあるもの
AメロをBメロに持ってきて構成しなおしたもの
BメロをそもそもなくしてAメロの要素を伸ばしてサビに繋げてるもの
それはナシだろ
ってのもあれば
なるほどそう続けるか
ってのもある。
トレーシングペーパーを俺の書きかけスコアに一枚ずつ重ねる度に、俺にもアイディアの沸くスイッチが入るのを感じる。
穣二さんかな?
上に上がってお礼を言おうとしたら、穣二さんはもういなかった。
……なぁんだ。
照れ屋さんかよ。
交換日記かよ。
穣二さん、なかなか面白いことしてくれるじゃん。
たくさん残されたトレーシングペーパー案はひとつも採用しなかったけど、明らかにそこからヒントをもらって、完全に作り替えた曲を1曲完成させ、スマホのボイスメモに録音したものを晃亮に送る。
-凌宇まだ仕事してんの?今から聴いとくけどさ、からだ壊れる前にちゃんと寝ろよ!-
すぐに返事が来て、しばしの沈黙……
静寂の音
呼吸の音
重ねた紙が擦れる音
♪♪♪♪!!!!!
着信音。
晃亮からだ。
「寝ろっつったの誰だよ…」
「凌宇!すげぇ!聴いた!やべぇ!なんだこれ!早くやりたい!イントロとアウトロに俺ギターソロさしこんでもいい?」
「おー。いいぞいいぞ。好きに暴れてくれや。」
「最近曲作るのもイヤみたいな空気出してっから心配してたのによぉ…なんだよ…めっちゃ楽しいの伝わってきたぞ!」
「次また書けるか不安だけどな…」
「なんかふっ切れたんじゃねーの?ちょ…電話切るわ。ギター弾きたくて仕方ない指になった!またな!」
ツーツーツー…
勝手だな。あのギター小僧は。
次また書けるか不安なのは事実だ。
俺がもってるアイディアがスタートじゃないから。
もし、また別のスコアを残したらまたこの不思議な出来事は起こるだろうか。
俺はわざと、サビだけ書いたスコアを残して〝ミリオン〟をあとにした。
次の日、俺のお気に入りのノンアルコールビールを手土産に〝ミリオン〟に行くと、穣二さんはクレープの皮を素早く丸く薄く均一に焼くべく新しい鉄板と奮闘しつつ、いろんな具を並べて試食用クレープを陳列させていた。
だからどこ目指してるんだっつーの。
今日は奏ちゃんもいる。
制服姿のままでパパの新作おかず系クレープを遅めの夕食代わりに頬張りながら、カウンターで宿題をやっていた。
「おー、来たな。クレープ食う?」
「あとでもらおっかなー。ちょっと荷物置いてきますね。」
地下に降りてスタジオに入るとやっぱり違和感。
譜面台に近づくと、やっぱりトレーシングペーパー。
俺は小さくガッツポーズ。
昨日俺が残したサビ前に譜面が足されたものと、メロディとコードだけだったサビが完全アレンジになってるもの。
そしてクリップで留まった付箋。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
B500のソング2と6に入れた。
加工したかったらソング3をフロッピーに
落としてからコピーで作れ。
てゆーかいまは勉強しろ。
今度こそ追い出すぞ!
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
…は?…………あれ…?
勉強しろとか追い出すとか毒舌過ぎるだろ。
穣二さんじゃないのか…?
B500…
あ。これか。
俺がよく使うレコーディングスタジオにもおいてあるYAMAHAのオールインワンシンセサイザー。
スピーカーも内蔵、録音機能もあるから製造中止のいまも、楽曲のイメージを簡素化して伝えるときに使ったりしてる。
スピーカーの防護金具がへこんでる。
つまみもカクカク手応えがないから壊れてるんだろうな。
外付フロッピーとも繋げられるけど、この程度のデータ量なんて大したことないから、こいつは絶滅したんだけど。
電源を入れて、ソング2と6を再生してみる。
2はイントロからアウトロまで、ドラムとベースとコードだけの簡単なやつ。
自分の作ったサビに他人が作ったメロディがくっついている不思議な感覚。
6はサビだけを完全アレンジしたやつ。
ピコピコ打ち込み音、チェンバロみたいなキラキラ音、エレクトリックタムも俺使わないからこれも変な感じ。
なるほどね…
スコアとトレーシングペーパーだけもって、バーカウンターへ駆け上がった。
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