地下の大スタジオより、交換フレーズ

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穣二さんと奏ちゃんが帰った後、また地下にひきこもる。 根詰めすぎてもいいものができるわけじゃないのに、締め切りはじわじわとこっちに向かってきてるから焦りはする。 俺が発する負のオーラで狭いスタジオの空気が澱んできたような気がして、バーカウンターの冷蔵庫に入れさせてもらったノンアルをひとつ取って、中二階に行った。 あそこに置いてあったパックマンとかテトリスとかちょっとやったらまた気分変わるかも知れないし。 好きでやってるとはいえ、俺、最近仕事ばっかりしてるよな…。 もうすぐ夏が来るっていうのに、ここ何年も、花火もしないでお祭りにもいかないで夏っぽい出来事にひとつも出くわさないまま、仕事ばかりしている俺に愛想を尽かすみたいに夏はいつのまにかどこかに行ってしまうんだ。 はぁ…。 だめだ俺。 明日は一日仕事しないでどこか行こ。 どこがいいとか思いつかないんだけど。 なんか適当に海が見えるとこでも行きゃいいだろ。 深呼吸してごちゃごちゃ感が妙におちつく〝ミリオン〟のステージフロアの空気を吸い込んで、ため息に並べかえて吐き出しながら、どすん…とソファーに全体重を預けた。 『う゛ぅっ…っ!』 ……ぇ!!!!???? 何 怖い 嫌っ! ビックリしてソファから飛び上がるように立ち上がると、間違いなく柔らかかったはずのソファがもぞもぞと動き出して、いってぇ…と俺に悪態をついてきた。 幻覚…? 何 俺 疲れすぎてソファに魂が見え始めてんの? ソファに置いてあったぬいぐるみやらクッションやらふわふわのタオルやらを、そっと親指と人差し指でつまんでひとつずつどけて掘り進むと、おなかを抱えて丸く赤ちゃんみたいな姿勢で呻く女の子が出てきた。 「え?あ…!ごめん!いると思ってなくて、大丈夫?」 『う…うぅ…げほっ…!』 「だ、大丈夫?ねぇ、息できてる?吐きそう?痛い?」 『う…うぅ…』 「救急車…」 『あー!!!呼ばなくていいからっ!そこまでじゃないからっ』 ムクッと起き上がって、くしゃくしゃの髪の毛を両手で整えながら、 『ふぁービックリした…』 と呟いて俺の手からノンアルを取り上げてぷしゅりと開けて一口飲むと 『なにこれノンアルじゃん…』 と眉根を寄せて俺に返してきた。 「アイネ…さん…ですか?」 『どーも。こんばんは。芹沢藍音(せりざわあいね)です。えっと、誰だっけ?てかなんでこんな時間にいるの?えぇっ…とぉ…穣二さんの後輩で助っ人来てくれてた人…』 「それは晃亮のほうね、浅岡晃亮。俺は水原凌宇…。二人でヴァイラスっていうユニットやってるんだけど、もしかして知らない…?」 動くソファ改め藍音は、おなかをさすりながらまじまじと俺の顔をのぞきこむ。 『あー。名前は知ってるよ。曲とか詳しくはごめん…。あの日みんな騒いでたから有名な人なんだろうとは思うけど、私、音楽番組観ないんだ。』 「…えっ?!」 バンドやってて、曲作ってるのに、音楽番組見ないの?ありえなくない? 『なによ…悪い?』 「いや…びっくりしただけ。」 『なんかさぁ、引きずられちゃうんだよね。既出の音楽に。だから曲作りはじめてからずっとあえて観てないの。』 ソファから立ち上がって、両腕を伸ばしてぐいーんと背伸びをする。 「おなか…大丈夫?思いっきり乗っかっちゃった。ごめん」 『びっくりしたよ。まさか誰かいると思ってないし』 「それはこっちこそだけど」 そりゃそうだよね…そういうとアイネはけらけらと笑った。 この子、笑うんだ…。 「あ、ねぇ!あれ、トレーシングペーパー、あれは君?」 『キミとかキショイからやめてよ。藍音でいい。』 「ん。俺のスコアに書き足したの…藍音、ちゃん?」 勢いがよくて、なんとなく怖めの女の子を、いきなり呼び捨てとかちょっと抵抗あるんです。 『だから藍音でいいって。ちゃん付けとか震えるわ。で?なに?あれ、あんただったの?』 「“あんた”もキショイんだけど…」 真似、してみた。 『じゃぁ、“りょー”ね。』 え?あっさり呼び捨て? 明らかにお前年下だろ。 でもよく考えたらそもそもタメグチでしゃべられてるし。 『ごめん、あれサツキの作曲癖と似てたからサツキだと思ってた。』 「二回連続俺。」 『そうだったんだぁ。サツキってドラムしか叩けないからいつもコードぐちゃぐちゃなの。いつにも増してすっごい奇妙なコードでうねらせてるからおもしろいなぁって思ったんだ。久しぶりにワクワクした。でも残念。ラブホリの曲じゃなかったんだぁ。』 また笑った。 かわいい、笑うと。 『いつもラブホリはあんなかんじでトレーシングペーパーで誰かのに書き足したりして作ってるんだけど、いままででいちばんワクワクしたし、自分っぽくないフレーズも浮かんできて…なんつーの?あ、こんなとこにポケットついてるこの服ぅ💕💕みたいな?……わかんないか』 それは俺も同じだよ。 ごくん…間接キスになるのも忘れて俺は藍音に一度奪われて瞬時に俺の手元に戻ってきたノンアルを一口飲んだ。
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