エピローグの手前、或いはプロローグ

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エピローグの手前、或いはプロローグ

そもそも野球をやるために作られた場所(ドーム)なんだから、収容人数が多くて効率がいいこと以外に、ここにはなんのメリットもない。 案の定、乱反射する音はアリーナと3階席の間で致命的なタイムラグを生み出すけれど、それを帳消しにしてあまりあるほどの一体感、高揚感。 煽れば煽るだけ返される。 得体の知れないアドレナリンとかいうやつの存在を確かに感じる。 2年前の俺はこうなるなんて予想もしなかった。 ───いや、まだ2年は経ってないんだっけ。 約束の2年まであと少し。 だけど、もういいだろ? 俺はそろそろ限界だよ。 もう十分じゃないのか? 会場を後にしても家に帰る気にはなれず、自販機で買ったミネラルウォーターを飲みながら、植え込みの縁に腰かけた。 見上げる曇った夜空 浮かぶ白い球体 まさか東京ドームに立つとはね…。 帰っていく人波は俺に気づくこともなく、後楽園と水道橋と春日に別れて散っていく。 潮が引くように人がまばらになって、そろそろ俺も帰ろうかと立ち上がったとき、真っ黒な夜に紛れるみたいに黒い影が見えた。 どこからか走ってきたのだろう。 肩で息をしている。 膝下まであるヒールの高い編み上げブーツ 黒のチュールスカート ジッパーだの紐だのチェーンだのがあちこちについていて、見ただけじゃ構造がわからない変形ジャケット 普段着じゃないよな、あきらかに。 そりゃそうだ。 ドームライブだから。 今日のために着たんだろう。 メイクだって、髪型だって、今日のために自分のポテンシャルを最大に引き出すべく計算しつくされている。 その服、脱がしづらそう… そうとしか思えないのは、それだけ待たされたから。 黒い影は迷いなくまっすぐ俺のもとに走り寄ってきて、少し手前で戸惑いの表情を浮かべて立ち止まると、何も言わずにひとしずく、涙を流した。 何か声をかけたほうがよかったのか、こうして無言でもよかったのか、強引に抱き寄せて、約2年ぶりの温もりと香りを確かめた。 背中にそっと回された腕。 頬と頬を合わせる。 『汗かいてるの。ごめんね』 小さな声が震えた。 「どうでもいいよ…そんなの」 『まだ2年経ってないんだけど…』 「それも、いいだろ…」 『ほんとに待っててくれたね』 「想像以上にしんどかった」 『声、届いた気がしたよ』 「届けーって、思い込めたから」 すこし離れて顔をのぞきこんで、笑って見せて、下まぶたで迷子になってる涙を親指で掬った。 「キスしてもいい?」 『…だめ』 「なんでだよ」 『帰ってからね』 「帰ってから?」 『うん、帰ってから』 「帰るって…どこに?」 いつも生意気な事しか言わない唇を親指でなぞる。 「俺の家?君の家?それとも…〝ミリオン〟?」 『どこでもいいよ、一緒なら』
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