麹町、ライヴハウス〝ミリオン〟にて

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ここの最寄り駅はどこなんだ。 どこからも遠いじゃないか。 四ッ谷でもない、麹町でもない。 どこからも遠くて、まず歩きたくない。 かといって車で来るには狭すぎる。 小さな会社やお店がたくさん並んだ雑多な町並み。 ライブハウス〝ミリオン〟はその町並みにひょっこりと現れた。 生放送の音楽番組に向かう前に、ごはん食べながら次にリリースするシングルの相談をしたいと晃亮(こうすけ)に持ちかけたら 「ごめん予定あるんだよねー」 って食い気味に断られた。 そりゃ晃亮も忙しいだろうけどさ。 「えぇぇ...」 とたいそうがっかりした反応をしてしまった。 「凌宇(りょう)も来る?うまい飯ただで食えるし、次の作品のヒントになりそうなことなら、うじゃうじゃ転がってる場所だよ」 俺達ヴァイラスは元々5人組のバンドだったけど、発展的なのから社会的にアレなやつまで、いろんな理由で過疎化が進んで2人ユニットになった。 結成当初からほぼ全曲俺が書いてて、歌ってるのも俺だから、たぶん俺のワンマンぶりが気にくわないってのもあるんだろう。 ギターの浅岡晃亮は、ギター触ってればひたすら幸せな、普段はド天然でギターを抱えると人格が変わる生粋のギター小僧だから、俺がどんな曲を書こうと文句言ってくることはない。 だから晃亮はよくラジオで「凌宇がいないと俺何弾いたらいいかわかんない。俺はヴァイラスの従業員」とか言うけど、嫌味っぽくもなく純粋にそう思ってるらしい。 こっちこそ。 晃亮がいないと俺の音は表現できないから。 ギターテクも、ファルセットのコーラスも。 俺が世界一尊敬するミュージシャンが浅岡晃亮だ。 その腕を買われて、俺が制作で忙しくてライヴやテレビ出演がない時期は、他のアーティストのサポートをしたり、中学の頃に組んだバンドがそのまま社会人バンドになったあとも一人だけプロが混ざった状態で活動したり、あいつはあいつで忙しい。 晃亮の車に乗せてもらって約束のその場所の近くまで来たけど、どこもかしこもコインパーキングが埋まっていて、結構遠くにとめて、晃亮と二人で結構な距離を歩いてやっと〝ミリオン〟にたどり着いた。 まだ午前中で〝ミリオン〟は営業前だというのに、高校生から20代前半ぐらいの子が何人も外でスマホをいじったり、ゲームをしたりしながらすでに並び始めている。 俺も晃亮もバレて騒がれると面倒なので、声も出さず足早に入り口へ向かったけど、誰一人、営業前のライブハウスにはいっていく挙動不審気味のおっさんふたりが芸能人だと思うはずもなく、まったく無反応だった。 重たい扉を2枚開けると、広がる朱みがかった舞台、モンブランのてっぺんみたいにぐにゃぐにゃと張り巡らされたコードたち、壁一面に貼られたポスター。 懐かしいなぁ。 ヴァイラスも、最初はこんなところからスタートしたんだよな。 見渡すと、バーカウンター近くの螺旋階段を上れば中二階があるみたいだし、入り口脇には地下におりる階段もある。 みかけより、だいぶ広い。 「お!来たな助っ人。わりぃな晃亮。ほんとありがとな。あれ?もう一人助っ人がいる。」 舞台と真反対のDJブース脇のキッチンから、いかにもギタリスト風情のちょいワル親父が顔を出す。 「穣二(じょうじ)さん、どーもっす」 晃亮が挨拶をする。 「凌宇、こちらが俺のギターの師匠。ギター以外もいろいろ教えてくれた、よくも悪くも忘れられない先輩の中原穣二さん、まだまだ衰えない47才。」 どーもね。と穣二さんは握手を求めてくる。 俺はできれば、このごちゃごちゃしているのに、ものすごく居心地の良さそうなライブハウスの様子を、もう少しじっくりみたかったから、心ここにあらずなかんじでキョロキョロしながら上の空で握手をした。 「で、穣二さん、今日ただ飯食えるのになびいて助っ人に来てくれた水原凌宇くん。俺の雇用主。」 “水原凌宇”のところは知ってるよーとばかりに穣二さんも被せて言う。 「今日さ、バイト君がぎっくり腰やっちゃって。それに加えて急遽2公演やることになっててんやわんやでさ、晃亮たすけてーーって昨日の夜連絡したわけ。とりあえず、あっち座ってコーヒーで一息ついてから早速お願いしていい?5時に赤坂でテレビでしょ?こっちは3時開場3時半スタートだから。」 そう言いながら俺と晃亮をバーカウンターへ案内する。 「いまフロアにモップかけてるのが息子の(ひびき)、高3の受験生。バーカウンターでコップ拭いてるのが娘の(かなで)、中2でやかましい。あと嫁の(いずみ)、年齢は内緒な。繊細な年頃なんだとよ。人が足りないから今日は家族総動員だぜ、全く。」 おーい…ひびきかなでいずみー、助っ人がきたぞ挨拶しろー。と穣二さんが声をかけると3人が集まってきた。 「きゃー本物の晃亮さんだゎぁ。穣二の後輩だって写真だけはみせてもらってたけど、本物はカッコいいわねぇ」 奥さんの泉さんはきゃっきゃしている。 それに呼応するように晃亮はダンディスイッチをマックスに切り替えている。 お前彼女いるだろ。 そもそも、目の前の女性は人妻だよ。 「パパすごいね。ヴァイラスと友だちなの?私、このあいだのドラマの主題歌大好き!知ってたらCD持ってきてサインもらいたかったのになぁ」 娘の奏ちゃんもまけじときゃっきゃしている。 嬉しそうな姿に顔がほころんで「ありがとね」というと恥ずかしそうにカウンターへ戻ってしまった。 「ども…父が…お世話になってます」 と息子の響くんは頭を下げてすぐフロアのモップがけ。 「あいつ、超理系で話噛み合わないけど気にしないで」 と穣二さんが耳元でささやく。 「まぁ、座ってよ。コーヒー飲んだらすぐ頼むね」 といってカップにコーヒーを注いでくれた。 低い声、ちょいやんちゃな服装、背も高くてコーヒーを淹れる所作は男でも惚れるぐらいかっこいい。 久しぶりにライブハウスに来て、音楽が心底楽しかったけど苦しくもあったスタートラインの気持ちを思い出してきて、次にやりたいこともぼんやりと見えてきそうな気がした。 晃亮につられてここに来たことで、きっとなにかが変わる…なにかが始まる…そんな予感じみた確証は、このライブハウスに広がる霞む空気の中にたしかに漂っている。
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