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A short story of Merry Christmas 2019
「メリークリスマス!」
樹はもう何度言ったかわからないその言葉を、また口にする。
着ぐるみは暑いとよく言うけれど、サンタクロースのコスプレはメチャクチャ寒い。しかも、今夜は何年ぶりかのホワイトクリスマスになるかも、なんていう予報の、一際寒い夜だ。腰とお腹、両肩にも貼るカイロをベタベタ貼っているけれど、それでも身体の芯から冷えてくる。
「メリークリスマス!ケーキ、いかがですかぁ?」
イヴの夜9時半過ぎだ。こんな時間にケーキを買う人はもうほとんどいない。家族持ちの人なら予約のケーキを手にとっくに帰宅してパーティもたけなわといったところだろうし、恋人たちならどこぞのお洒落なレストランで食事もデザートも済んで熱い一夜がそろそろ始まろうとしている時間帯だ。
街を行く人たちは、そんなラブラブの恋人たちか、家路を急ぐサラリーマンか、独り者たちが集まってやたら騒ぎながら二次会の会場を探している団体か、なわけで、ケーキなんてチラリとも見ずに通り過ぎていく。
いや、通り過ぎるだけなら、まだいい。
「おっ、サンタがいるぅ~」
「ウケる!写真、写真撮ろ」
「サンタさーん、プレゼントちょーだい」
そんなふうに絡まれるのも、もう驚かない。メンドクセェな、と思うけれど、こっちはただの売り子のバイトだ。舌打ちするわけにも、睨み付けるわけにも、無視するわけにもいかない。
苛立つ気持ちを喉奥に噛み潰して、曖昧な微笑みを浮かべて酔っ払いと一緒に向けられたレンズに収まる。
声をかけてくるのは、そんな陽気でハイテンションな酔っ払いばかりで、ケーキは一向に売れる気配がない。
樹はそっと、白いフワフワの袖口に隠れた腕時計を盗み見た。あと5分で、この苦行から解放される。
終わったら、サクッと着替えて、日払いの賃金を受け取って、そんで。
「おい、サンタ、何だらけてるんだ」
この後の予定の妄想に、ついだらしない顔をしてしまっていた樹は、その鋭い声に息が止まった。
そのひとを思い浮かべていたところだったから、ついに幻聴まで聴こえるほど想いが溢れてしまったのかと思ったのだ。
しかし、彼の目の前に立っているのは、他の誰とも見間違うはずのない、聖夜に相応しく空から降りてきた天使のような、その何者にも汚すことのできないほどに清冽な、冴え冴えとした美貌の持ち主で。
つまり、この後会う予定の、樹の恋人、なわけだった。恋人、というポジションを掴むために、どれほど苦労して努力して、ひたすらにアプローチし続けたことか。計り知れない道のりを経て、ようやく隣に立つ御許しを得た樹の至宝とも言うべき最愛のひと。
「ど、ど、ど、どーしたの、律さん」
彼の恋人は、寒がりだし出不精だし、ただそこにいるだけで皆からチヤホヤされて尽くされて、王様のように愽かれるためにいるようなひとだ。こんな寒い夜に、こんな俗っぽい雑多な場所に出没するようなひとではない。
だけど、そのひとは、紛れもなく彼の恋人の律だった。その見るものを圧倒して萎縮させるほど美しい顔を、不機嫌そうに顰めている。
「ケーキを一つ寄越せ」
横柄にそう言って、顎をクイッとしゃくった。両手はコートのポケットの中に突っ込んで、寒そうに肩を竦めて、しゃくった顎をそのままツンと尖らせているのは、イヴの夜までバイトする恋人を迎えに来たという、そのひとには相応しくない行動に羞恥を感じているのか。
「……別にお前を待ち切れなかったわけじゃないからな。ただ、ケーキが食べたかったんだ」
顔を背けたまま、彼は早口にそう言った。
でも、ケーキが欲しかったのなら、樹がバイト上がりに買って帰ればいいだけなのに。
そんなこと、当然律はわかっているだろうし、それを樹が気づいていることももちろんわかっている。だから、決して瞳を合わせないのだ。
「そもそも、こういう日に一人にさせるとか、普通ないだろ、本当に気の利かない男だな、お前は」
さもディスっています、みたいな声と台詞だけれども。
ねえ、それ、さみしかったって言ってるのと同じだって、本当に気づいてないの、律さん?
好きだ、愛してる、と何万回も言うのはいつだって樹のほうで、それが彼の使命で、これ以上ない幸福な任務でもある。
対する律は、決して甘い言葉や気持ちを伝える言葉をくれたりしない。
それでも。
こうして、聖なる夜に、待っていられなくて迎えに来てくれるぐらいには、樹を好きでいてくれるのだ、と。
信じられないものを見た驚愕を、ジワジワと沸き上がってくる歓びが凌駕していく。
「律さん」
じきにその仕事を終えるサンタクロースは、その冷えきった両手で、彼の恋人の手をポケットから引っ張り出した。そのほっそりした白い手を、ギュウっと握り締める。跳び跳ねて踊り出したいぐらいの歓喜を限界まで我慢して、どうにかそれだけの行動にありったけの気持ちを込めて。
「一緒に帰ろ?俺、ソッコー着替えてくるから、一人で帰っちゃダメですよ?」
「フン、俺を待たせるとか、お前いつからそんなに偉くなったんだ」
憎まれ口を叩くそのひとは、痛いから離せ、と、つれなく手を引っ込めてしまう。
「まあいい。ちょっとなら待ってやってもいいけど、遅かったらとっとと帰る」
上から目線のそんな台詞も、でも。
そのひとが迎えに来てくれた、それだけでもう十分な聖夜の奇跡だから。
「すぐ戻ってくるから、律さんが一人でフラフラしてたら、あっという間にナンパされまくりで大変なことになるから、ホント、ダメですよ?俺が戻るまで、絶対ゼッタイここにいて下さいね?」
「気が向いたらな」
めんどくさそうに、興味なさそうに、律はそう言って肩を竦める。
だけど。
うっすらと上気した頬が、そんなやりとりの間も一度も合わせてくれない視線が。お前を迎えに来たんだから先に帰るわけないだろ、とは絶対に言ってくれない、そのいつでもひんやりと冷たい、少しへの字に歪んだ唇が。
今にも雪が降りだしそうな、冷え冷えとした空気の中で、凛と佇むその立ち姿が。
あまりにも愛しくて、樹は目が眩むほどの幸福感に満たされていた。
帰ったら、明日の朝までずっと離れることなくくっついていたい。唇でも頬でも、手のひらでも指先でも、髪の毛の先だけでもいい。一瞬たりとも離れることなく、身体のどこかをくっつけて、そして、これまでも星の数ほど囁いた愛の言葉を、もっともっとたくさん、途切れることなくシャワーみたいに浴びせ続けよう。
そうして、さみしいなんて絶対に言わないそのひとを、さみしがらせてしまった埋め合わせをするのだ。
聖夜の奇跡に、こんな可愛い姿を見せてくれた恋人へのお返しには、そんなもんじゃ到底足りない気もするけれど。
2019.12.24
Have Yourself a Merry Little Christmas!
by やぎ
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