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届け愛(あい)
「随分前に逢ったことありませんか? 何かお困りですか?」
何処からともなく現れ、その『怪しげな彼女』に声をかけたのは誰でもない、僕だった。そんな、昭和時代のナンパの台詞を切り取って繋げたような言葉に彼女は何を思ったのか、突然笑いだした。
「やっぱり、私って変ですよね? 分かっているんです。毎日、こんなところで祈りを捧げて待っていても、何も変わらないことなんて」 と彼女が微笑みながらも目を潤ませた。
実はそんな彼女の気持ちが痛いほどに僕は分かっていた。だから、僕の口からは、本来伝える予定のない言葉が自然と溢れ、こぼれ落ちてしまっていた。
「お母さん、僕なんだ。会いに来たよ。あの日、一緒にこの青空の下で桜並木を散歩したことを忘れたことは一度もないよ。」
「え・・・。お母さんって? もしかして、あなたは・・・」
「何も言わないで。」
と、僕は自分の存在を肯定される前にあえて会話を遮った。そして続けて言葉を丁重に紡ぐ。
「ずっと、お母さんに伝えたかったことがあるんだ」
そういって僕は彼女が強く手に握りしめて持っている1枚の写真を指差し、微笑んでみせた。
「いつも、そばにいてくれてありがとう。お母さんのお陰で毎日が楽しかった。生きているのが、こんなにも嬉しくて楽しいって教えてくれたのもお母さんだった。いつも一緒に居たくて、毎日大きな声で叫んでいたのはそれが理由なんだ・・・。お母さんの愛より大きなものは、この世にないのも分かってる。また、いつか何処かで巡りあえるのを楽しみしているよ。だから、もう祈らなくていいよ」
そう告げると彼女は手に持っていた写真を強く握りしめて、僕にこう言った。
「私も・・・あなたみたいな子に出会えて幸せよ。好きなときに大きな声で私を呼んでくれて良かったのよ。だから安心してね。あと、私とまた絶対に巡りあって頂戴ね!」
そして、彼女は一生懸命に笑顔を作りながらも涙していた。しかし、それは悲しみの涙ではなかったと僕は思う。だから僕は彼女にシンプルに最後、こう伝えた。
「安心して、もう大丈夫だから。」
彼女が力強く握りしめている1枚の写真のもう片方の手では、犬用散歩のリードが握りしめられていた。その犬用散歩のリードが、また僕の首をお洒落にしてくれる日がくる。
そんな幸せな予感がするーー
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