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奇策
経験者の人吉と秋爪はすでに来場者が増え始めた展示会場受付に待機して自分の接客順を待っていたが、マジックの付いた配券を持ってくる来場者はまだいなかった。
『あの3人、大丈夫かな?』 人吉が心配そうに言葉を漏らす。
『私、ちょっと様子を見てきましょうか・・』
秋爪も心配げに井川に問いかけるが、井川は首を横に振って
『もう少し・・放っておいてあげようや』と微笑を浮かべた。
複合施設千里メルシーには北館と南館があり、コウ・カタヤマ新作展が開催されている催事専用ホールは南館の中にある。
配券業務が出来るのは千里メルシー側から指定された場所に限られており、エスカレーター横や北館と南館を繋ぐ連絡通路といった具合に合計5ヶ所程度しか無い。
今回、櫂達が配券業務を指示されたのは、北館の1階北入口で展示会場からは一番遠い場所にある。
『まずは、配券業務に慣れましょうね』 と満島が仕事に慣れることを最優先して指定したのだ。
既に結構な枚数を配ってはいたが、人吉から預かったトランシーバーからは戻ってこいという連絡は入らないままである。
『やっぱ、会場までの距離がありすぎるのかなあ』林葉がどうしようか、という口調で問いかけてくる。
『そうやな、俺等はここに配券する為に来た訳やないもんなっ』
配券業務は3人ともなんなく熟せているが、北入口は客数も少ない上に、よく見ると配ったはずの配券もチラホラと地面に散らばっているという有様である。
地面の配券を拾い上げながら 『じゃあ作戦会議を開こうか』 と藤田が笑った。
『俺はせめて1件くらいは此処で接客の経験をしてみたいんやけど』
櫂の本音である。
『私もこのままで引き下がるのは絶対に嫌!』
林葉も櫂と同じく焦りの気持ちが出始めたようだ。
『じゃあさ~、もうこの場所で接客しちゃえばいいやん?』
藤田が惚けた口調で提案した。
『・・・・!』
『それっ!、ナイスな作戦や!』 櫂は思わず大声で叫んでしまった。
『ちょっと森田君、そうでなくてもドテチンみたいに厳つい風貌なんやから声まで大きかったら誰も近づかんで!』
林葉はそう言いながらも櫂の次の発言に期待しているようである。
櫂の作戦はこうである
①まず最初に入口から少し離れた場所で最初の一人が配券を配る(ただ笑顔で配るだけでよい)
②次はそれを遠目に観察していた2人が引き止めて展示会の内容を紹介するのだが、声をかけるのは配券に興味を持っている人のみとする。ここで画集をツールとして活用しながら、その人の知りえない知識を与えてさらに興味を引き出してゆく。(営業色は出さずに、あくまでも和気あいあいといった雰囲気で)
③3人のうちの1人が丁度今から展示会場に戻るからと言った体裁で、興味を持ったその人を会場までエスコートして連れてゆく(会場以外での営業行為は勿論タブーとされているので、エスコート時は配券ジャンパーは着用せず、絵の話というよりは人間関係をつくる事に徹して距離感を縮めておく)
④会場に到着する頃には、来場客にありがちな最初の警戒心も薄くなり、営業の一歩が踏出し易くなっている
マジック付きの配券を待ってくれている人吉や秋爪には申し訳ないが、ここで闇雲に配券業務に従事していても誰も会場までは足を運んではくれないだろう。
それならば、せめて絵に興味を持った人を取り逸れなく会場に案内するほうが得策である。
まさしく人の出入りが激しい他の配券ポイントでは出来ない北館北入口だからこその作戦なのだ。
『良いかも!』 林葉も藤田も意欲充分である。
後ろ向きの思考が無い3人は、明らかに今を楽しんでいるのを実感していた。
『はい、どうぞ~』 藤田は軽いステップで入口方向へ歩いてくる人に漏れなく配券を手渡した。
元々が柔らかい雰囲気の藤田は第一ステップには打って付けのキャラクターで、櫂と比べると受け取りを無碍に拒絶される事が極端に少ないのだ。
『ユリリン、実はとんでもないかも・・・』遠くに藤田を眺めながら林葉が呟く。
『どういう事や?』 櫂には林葉の言葉の意味が理解出来なかった。
『よく見ると解るけど何げに配券を配っているように見えて、こちらに向かう人の進行方向に対して自分の足先を出して体を屈めてるやん・・それに配券も絶妙のタイミングで相手の胸元に差し出してる・・ああなると急角度で進行方向を変えないとそのまま前には進めないし、胸元に出された配券は反射的に受け取るような流れになってしまうやん・・加えてあの笑顔やで・・』
『確かに・・それを無意識でやっているとしたらとんでもないな』
櫂は藤田の潜在ポテンシャルにも驚いたが、林葉のこの短時間での観察眼にも驚嘆していた。
《俺って最高の同期に恵まれたかも知れんぞ・・》
そうこう考えているうちに林葉が動いた 『いくで森田君!』
向かう先には受け取った配券を見ながら歩速を落として歩く若い女性の姿があった。
『わあ~、配券を受け取って下さってありがとう! その券に印刷されてるの凄く綺麗な絵でしょ~』
林葉は初めて櫂と会った日のような警戒心を与えない笑顔でその女性に話しかけた。
『もし興味があったら、南館の催事ホールに行けば本物が展示されてるよ』
『えっ、・・でも・・今日はちょっと別の用事で此処に来たんで・・・』女性の反射的な警戒心が顔を覗かせる
『そうか~仕方ないよね~、じゃあ他にどんな絵があるかだけでも今日は知っておいて下さいよ』
林葉からアイコンタクトを受け取った櫂は傍らの画集を抱えて、人畜無害の人間を意識した。
《チャウチャウの優しい目をしたお兄さんを演じろ!》
櫂はゆったりとした優しさを演出しながら笑顔を作った。
『新しい画集があるから良かったら少し見てみませんか』
そう言うと微妙に女性の進行方向に足先を出して微笑を演出した後、凄く楽しい絵があるんですよと女性の前に画集を開いて見せる。
『僕はね、見かけとは違ってこの明るくて夢見心地の絵が好きなんですよ~、でも同じコウ・カタヤマ作品でも夜空の作品が好きって言う人も多いんですよね~・・あっゴメンね初対面で挨拶もせずに勝手に話してばかりで、僕の名前は森田っていいます・・・あなたのお名前は?』
『えっ・・はい・・・・・木村です』
『木村さんは、夜空のほうが好きですか~』
『私はね、夜空系のほうが好き!』 林葉が楽しそうに盛り上げる。
『う~ん、私はやっぱり・・明るい系のほうかな・・』やっと自分から話してくれた。
『でしょ~そうやんね~、一緒で嬉しいです~! 木村さんとは明るい系仲間の握手~』 櫂はすかさず握手を求めた。
明るい系の絵を選択した段階で櫂がエスコート役になる事が決定している。
名前を呼ぶことで距離を縮めるのも、時にはスキンシップのほうが表現しやすい場合がある事も先程の池谷の商談で学習済みである。
『ところで、木村さんは本物の作品って見たことある?』 林葉が友達に話しかける様に訪ねる。
『見たいけどまだ展示会とか行ったことなくて・・』
『じゃあ僕も今から展示会場に戻るから木村さんも一緒に行けばいいよ、画集なんか比べ物にならない位に色が鮮やかだよ~、それに展示会場の人達が近づいて来たら僕がガードしたげるよ』
『でも、買えないし・・』
『別に買う人だけが見に来る場所じゃないでしょ』 櫂はそう言いながらジャンパーを脱いだ。
『このジャンパー、ピチピチで苦しいんよね』 櫂がおどけた顔でそう言うと、木村さんは初めて笑顔を見せた。
林葉は先ほどの一連の流れでの櫂の応対を思い返しながら高揚感を感じていた。
《森田君もとんでもない・・・あの吸収力はスポンジやで・・》
藤田が林葉に駆け寄って『成功~!』と言いながら櫂の後ろ姿にガッツポーズを送る。
『じゃあユリリン、私たちも森田君の帰りを待たずに続けよう!』
【3人がそれぞれ、最低1件の接客をする!】という事を目標にして実行した作戦である・・・
二人は櫂にエールを送りながら配券作戦を継続した。
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