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覚悟
県内でも特出した甲子園出場回数を誇る高校への進学を表明した櫂に、周囲の友人も担任教員も驚いていた。
何を隠そう一番驚いているのは櫂本人であった。
中学最後の大会が終わり、余りにも長く苦痛を伴った野球から開放されるのだと胸をなで下ろしている自分を客観視した時に、尻尾を巻いて逃げようとする自分がどうしても許せなかった・・・・
またしても『負けられぬ悪循環』というループにねっとりと絡みつかれたのである。
当然のことながら野球による推薦で進学などできるはずもなく、生まれて初めて自分の意思で勉学に励んだ。
こんな時は頑固気質な泰代の血が確かに自分にも流れているのだと実感する・・・偏差値の高い進学コースに入学する訳ではないが何か勲章を手に入れてから入学したい。
『なめられてたまるか!』 この時ばかりは必要以上に机に齧り付いた。
晴れて上位の成績で高校の門をくぐった野球劣等生の櫂は一つの誓をたてた・・
『これからの3年間は野球に全力で挑む、やり切ったと納得をして野球を終える』
なんとも自分に対してサディスティックな新入生ではあるが、他人に勝つことよりも自分から逃げない事が櫂には重要なのである。
故にこれから始まる挑戦を前に、背水の陣を引く覚悟を固めなければならなかった。
野球部クラスなるものがあるとは予想もしていなかったが、紛れ込むように野球部に席を置いた櫂は県内の各中学校から推薦でこのクラスに入った同級生たちの見上げるように立派な体躯と自信にあふれたガサツな物腰に圧倒されながらも初めての練習に備えてユニホームに着替えた。
野球部クラスの体育授業は全て最終時限に組み込まれ、他の部活動よりも一時限分早くグラウンドに出てゆく。
練習といってもボールなど触ることは許してもらえず、新入部員の最初の2週間は走る事で終わる。
体の慣れていない新入部員達には熾烈ともいえるもので、肺のリズムと吸気のリズムが合わなくなって呼吸がままならないが、自分の順番が廻ってくると全力で走らなければならない・・・・一人でも手を抜く者がいると連帯責任として走破本数が追加されてしまうからである。
無限練習と呼ばれたこの試練が1週間を過ぎる頃には、既に3人ほどの退部者が出ていた・・・当然ながらクラスも野球部以外のクラスに再編入となる。
ボールに触れる練習に参加する頃には明らかに推薦入部組との偏りが明確になった。推薦入部組には過剰とも言えるほどの長時間のバッティング練習やノックがあり、櫂たち紛れ組はお情け程度しかバッティングゲージに入る時間は与えてもらえず、ノック練習は後方での球拾いだけである。
考えれば当然の事で、甲子園に出場する為には皆で仲良く一緒の練習などと言っている時間は無い。
今すぐ使える即戦力を可能な限り伸ばしてゆくのみである。
高校側は推薦入学枠で有望選手を獲得する際に、ある程度の暗黙の取り付けをもってスカウトを実践しているのだ。
レギュラーへの道から弾かれた上級生の紛れ組には、目の届かない雨天練習場に篭ってタバコを吸うものや、必要以上に下級生にストレスをぶつける者もいる。
自分の可能性を放棄したこの上級生たちが退部せずに席を置き続けるのは、下級生への不条理な権限行使が出来るということ以外に理由は見当たらない。
溢れ組がストレスのはけ口にするのは下級生の溢れ組である。
些細な暴力や使い走りに始まり、楽しみの弁当を開くと半分以上が平らげられていた事もあるが・・・それでも媚を売る素振りを見せない櫂は特に目の敵にされた。
ある日、後輩部員の一人が項垂れて弁当箱を眺めてしゃがみこんでいた。
数メートル離れた木陰では、櫂を目の敵にしていたあの上級生達が遠巻きにそれをニヤニヤと眺めている。
普段は櫂のほうから下級生に関わることは無いのだが、項垂れる下級生の横に座ると自分の弁当の半分以上を無造作に下級生の弁当箱に投げ入れた。
『食えよ、旨いから』 櫂にはこの下級生があの上級生達のようになってしまうのかどうかは解らないし興味もない・・・それはこの下級生が自分で決定することである。
いつ与えられるか不確定なチャンスに向けて取り憑かれたように練習に取り組んだ櫂の体は、後輩部員が出来る頃には別人のように胸筋が隆起し、腕にも影ができるほどの筋繊維が模様を描いている。
驚くべきはその脚力で、自分の耳元で風きり音を聞きながら全力疾走する櫂に追いつける者などもう部内にはいなかった。
それでも櫂にチャンスが与えられる機会は無かったが、それを理由に腐って練習の手を緩めることもなかった。上級生が櫂に嫌がらせをする事もなくなったし、同学年のレギュラー陣たちも決して馬鹿にはしい・・・・・いや、させない雰囲気を櫂が身に纏ったと言う方が正しい
飯を飲み込んだ下級生が恐る恐るといった口調で櫂に問いかける
『森田先輩はどうしてそんなに頑張れるんですか?』
櫂はバットを振って皮膚が固く節くれだった自分の手のひらをしばらく眺めた後
『さあ、何やろな? 野球が上手いことだけが偉いことやなくて、たまたま今は下手な野球をしているだけやと思てる・・・でも負けは認めてないからこの先レギュラー陣に野球以外で勝てる事もあるはずや、そやから負けを認めない為にも、今はサボったらあかんと感じてるんやないかなあ』
後輩は目を白黒させてポカンとしていたが、櫂には思わず口をついて出たこの言葉が心の深部にストンとはまり、それが染み込んでゆくように感じられた。
『そうや、俺はまだ通過点にいるだけなんや!』
自分には人並み以上に他人の心理を読み取る目と、手に入れた屈強な身体もある。覚悟を決める事の強さを知り、孤独と向き合える自分も育て上げた。この先の大海原にはこんな自分が存分に活かせる場所があるのではないか。期待を抱いてもいいのではないかと心は高揚したのだ。
大阪を拠点に事業を展開するワールドグループは創設者の北浜謙三が一代で築き上げた多角経営企業で、グループの年商は約六〇〇億円、新大阪を中心に4棟の自社ビルを有し、展開する事業は屋台骨となる教材販売事業を筆頭に、健康器具関連、美容関連、パチンコ店運営、アダルトビデオ制作販売と多岐に渡っており、最近では任侠映画の制作にも力を入れている。
完全実力主義で年齢性別を問わず、結果を残した者だけが各事業部の代表社長を勤めている。
その中にあって絵画販売事業部として設立されたのがワールドアート株式会社である。
ベースとなる教材販売会社で35歳と若くして専務取締役まで上り詰めた中山逸雄が絵画販売業界に進出するために5年前に大勝負で設立した若い会社である。
ワールドグループの展開する各事業部は独立採算制を採っており、いつでも各事業部を切り離せる・・・いわゆる【蜥蜴の尻尾切り】ができる仕組みとなっている。
又、事業部間でのライバル競争も激しく、創設者の北浜謙三が立ち会う事業部間会議では、業績を伸ばせない事業部の代表者には発言権が与えられず、誰に咎められる事も無い放置状態に晒され、それとは逆に業績を伸ばす事業部代表者には過大な報奨と賛辞が与えられる。
徹底的な飴と鞭によって魑魅魍魎と化した各事業部の代表者達の中にあって、中山逸雄は着々と磐石の地位を固めていた。
今や中山逸雄率いるワールドアートは年商200億円・従業員150名と拡大し、ワールドグループの主軸である教材販売事業の売上に肉薄するところまで迫っていた。
櫂がこのワールドアートに入社したのは創設2年を過ぎた頃、まだ従業員は30名程度であった。
窓からは赤みを帯びた夕日が眩しい光を注ぎ込んでいるが、空調設備の整ったワールド第四ビル内は快適な温度に保たれており、夕日がなければ日中からこの部屋に縛られている中山逸雄には時間の把握が難しかったかもしれない。
中山逸雄と社長室のソファーに横並びに座っていた井川晋也は、ゆっくりと立ち上がるとドアの前で振り返った。
『次が最後の面接希望者です』 早口の中山とは対照的に、物腰柔らかな井川はそう告げるとドアノブに手を掛けた。
井川晋也はワールドアートの全国展開を視野に中山がワールドグループから新たに部長待遇として呼び寄せたばかりの新戦力である。
中山と井川には十歳以上の年齢差があるが、年上の井川が中山への礼儀礼節を外す事は無い。
グループの創設期から実力でのし上がった中山の部下が井川であり、年功序列の関係ない実力主義の企業内においては十年以上この上下関係が続いている。
借金の金策に困り、職業安定所をうろついていた井川に声をかけ、教材販売営業の基礎を教えたのも中山である。
そういう意味ではこの主従関係に井川はなんの疑問も抱いていない・・・・・井川はドアを半開きにして、社長室前のロビーで待つ櫂を招き入れた。
櫂がこのワールドアートなる企業を訪問することになったのは、ほんの些細なきっかけからである。
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