都落ち

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都落ち

『おいっ、一寸そこの端をおさえといてくれ』 隆明が櫂に指示を飛ばしながら、不器用な手つきで完成間近の犬小屋に釘を打ち始めた。 櫂が東京に出て暫くしてから、知人から譲り受けたというハスキー犬はその巨体を行儀よく整えて不安そうに自分の犬小屋を眺めている。  帰郷してからの櫂には、両親に対して変化を感じることがある・・ 留守をすることが少なくなった隆明が時間を持て余していると感じる事が多くなり、今日も思い立ったように愛犬の小屋を作るのだと言い出した。 暴対法の締めつけと社会的な暴力団排除の気運の高まり、合わせて不景気の煽りの直撃を受けてヤクザが活躍出来る場所はいよいよ少なくなってきたという事らしい。 隆明を取り巻いていた舎弟連中の出入りもめっきりと無くなり、入れ替わるように地元の古くからの友人が隆明の交友関係の大半を占めるようになっていた。  だが、櫂には隆明自らの意思でヤクザの世界とその住人達から遠のいているようにも感じるのである。 理由は解らないが、泰代の病気がきっかけなのか、もしくはヤクザの世界に嫌気がさしたのか、何れにせよ以前の隆明にあった男の見栄・虚勢みたいなものが剥がれ落ちたという印象がある。 『そんな小さな小屋やったら、この子が入れんやないのっ』 休憩の茶を持ってきた泰代が開口一番に完成作品を貶した。 確かに完成した小屋は巨体のハスキーが潜り込むには小さく、全体的に躯体自体も少し捻れてしまったお粗末なものである。 このままでは小屋の中でハスキーが動いただけで大破するのは簡単に予想できるというものだ。 『阿呆か、冬場はこれくらいの狭さの方が寒くなくてええのや!』 『あんたこそ阿呆ちがうの、ハスキーは寒いのが好きな犬やないの!』 愛犬が二人の間に割って入ったが、まだ泰代は何かを言いたげな表情である。  以前の泰代は隆明に対して此処までズケズケと意見を言う事はなかったので、それも櫂が感じる変化であった。 無職の櫂と暇を持て余す父親は他人から見れば、さぞ危機的状況な親子に見えるであろう・・・ だが不思議とこの二人は泰然とした雰囲気で毎日を過ごし、母親はそれを咎めることもなく家事をこなした。 再び隆明が家を留守にし始める頃には、櫂が帰郷してから3ヶ月が経とうとしていた。 電話の対応をしている隆明の言葉から推察すると、どうも自分の人脈を使って、不動産ブローカー的な事を始めているようである。 櫂も動き始めた、無性に伸びた髭を剃り髪型を整えて久しぶりにスーツの袖に手を通した。 この3ヶ月間で求人先を物色しなかった訳ではないが、求人誌を見ても活字だけの情報では魅力を感じ取ることは困難であったし、過疎の進む地元には櫂がありつける職などあろうはずもなかった。 大阪淀屋橋に新造された新しく巨大なホール入口には【転職フェアー】と、大きな看板が立て掛けられていた。 櫂はこのフェアーの開催を待っていたのだ。 元々は同郷の友人に、一緒に行ってくれないかと誘われてこの転職フェアーの存在を知ったのだが、ホールに区切られたブースに入った各企業が目の前で自社のプレゼンをしてくれるという、まさしく櫂には打って付けの環境で就職活動が出来るのである。 約40社近くの企業がホール内に小さく仕切られたブースに犇めき、会場内は中々の熱気である。 暫くの間友人を待ったが結局友人は現れなかった。 櫂にとってはその方が都合良く、誰かと連れ立っての就職活動など有り得ないと思っていたからである。 約束の時間ジャストまで待って、櫂はそそくさと会場内に入っていった。 『もうちょっと事前にリサーチしといたほうが良かったな』 企業数が多すぎて目が散ってしまうので、なかなか的を絞れない。 櫂はもう一度会場が見渡せる入口付近まで戻ると、一番込み合っているブースを探した。 一際混み合っていたブースには企業説明を受ける為に用意されたパイプ椅子に座れずに、立ったまま聞き耳をたてている転職希望者が殺到していた。 最後尾に立つ櫂には何の説明をしているのかは聞き取れず、人垣の間から見え隠れする、悠然とした態度の女性社員のジェスチャーだけでは仕事内容すらも理解出来ない。 『君、なんでうちの会社に興味があるの?』 突然後方から耳元に掛けられた声に驚いて振り向くと、満面の笑みの男性が立っていた。    《後ろからも見てたんか》 『うちのどの事業部に興味があるのかな?』 35~40歳と見受けられるこの男性はさらにそう尋ねてきた。 『はあ』 《何をしている企業かも知らないのに・・》どの事業部と問われても櫂には答えようがない。 失礼のないように、櫂からも見えるブース最上部に掲げられたアート事業部の文字を咄嗟に拾い上げた。 『アート事業部です』とだけ答えてその場を立ち去ろうとしたが、ますますその男性社員は目を輝かせた。 『まあまあ、待って。 急がなくてもいいからさ~』    《急ぐか、急がないかはこっちが決めることやろ》 『アート事業部なら丁度明日が面接日になってるんよね~』    《明日って・・面接に伺いたいとか言ってないけど!》 『それに、アート事業部なら僕の後輩になるわけやしっ』    《あんたはアートの人かよ》 『まあ折角ここまで来たんやから明日も面接においでよ、僕の方からは話を通しておくから』 『アート事業部って、どんな仕事の求人なんですか?』 手早に話を纏めようとする男性社員に聞き返す 『営業職、版画を売る営業や! 』     《えっ!》 今度は櫂の目の色が変わった・・・・営業職なら就職先候補の一つとしてこの企業も加えておきたいところである。 雇う側の企業も選ぶ側であるが、就職しようとする櫂も選ぶ側である。【候補は多い方が良い。】 『明日の・・そうやな~・・最終やから午後6時半に来てくれる? 遅いけど最終組に無理矢理入れとくから』 若干ながら興味を持ち始めた櫂は桝村と名乗ったこの男性に承諾の意を伝え、他のブースに移動しようと歩き出した。 『おいおい、何処へ行くつもりなんや』 桝村が又もや櫂を後ろから呼び止める。 『えっ、何処って? 他のブースの話も聞きに・・』 『そんなのいいから、今日はもう帰ったらいいから』     《はあっ!》 『明日来れば解るから、後輩は先輩の言うこと聞いといたほうが良いって』     《誰が、後輩になったんや!》 『ほらほら、帰りはあちらです~』 入口を指差す桝村は相も変わらず満面の笑顔で櫂の背中を押した。 会場にわずか一〇分程度しか滞在しなかった櫂は釈然としなかったが、帰路につく電車の中で込み上げてくる期待も感じていた。 桝村と名乗った男はノリの軽い表面を装ってはいたが、眼球の奥では櫂の事を隙無く観察していた。 それに桝村からは口先だけではない自信を感じ取ることが出来た。 明日はワールドアートなる企業を覗いてみよう・・・・・・転職活動はまだ始まったばかりなのである。 夕食の際に明日の面接の件を両親に告げると、酒に酔い始めた隆明がグラスを櫂に渡した。 『男は常に・・今、何をするべきかを知っとかなあかん! それを知る者が一番強いんや! それが見えない時は・・泰然と構えていればええんや、かならずその時はやってくるもんや』 これは、幼少の頃から手垢に塗れるほど聞かされてきた言葉であるが、隆明の応援の言葉であることは直ぐに理解出来る。 泰代は空になった櫂の茶碗に白米を山盛りにし、『食べときやっ』と押し付けた。 別に明日、力仕事に向かうわけでは無いのだが櫂もそれを掻き込んだ。 口下手な家族の晩餐は更けてゆき、その中で家族の誰もが時の節目を迎えようとしている事を予感していたのである。
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