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研修2日目
櫂の研修2日目は西中島南方駅から時間を潰さずにワールド第四ビルに向かう事にした・・・たぶん林葉をはじめ人吉たちも到着しているだろうと思ったからだ。
駅から徒歩10分もかからない距離にあるワールド第4ビルは近隣に立ち並ぶ雑居ビルや飲食店の店舗よりも大きくそびえ立ち、5分も歩けば屋上の貯水槽に設置されている大きな看板が目に飛び込んでくる。
《しかし、あの看板はどうなんやろ》
ワールド第4ビルの文字と一緒にワールドグループの象徴であるWマークがドンと大きく設置されているのだが、菱形の縁どりにWのロゴのマークはどう見ても某指定暴力団のそれとよく似ている・・・昨日の井川が着用していたスーツにも金色の菱形バッチが輝いていた。
バッチは3種類あるのだと人吉は言っていたが、コンサルタントセールスになると支給されるという。
一般社員から課長職までが銀色・それ以上は金色・社長はプラチナらしい・・・・そんな事を思い出しているうちにワールド第4ビル正面入口が見えてきた。
さあ、研修で吸収するものが多くなるようにと集中力を高めて正面入口をくぐろうとしたその時である。
『お前、ここのビルの社員か?』 入り口付近で此方を見る年配男性が声をかけて来た。
体格がある訳ではないが、トーンの割に体に響いてくるその声の主はネクタイも着用せずにワイシャツの袖を捲りあげて、先程から入口横の垣根に手を突っ込んで何かの作業をしていた事は櫂も気付いていた。
『はあ、言うても研修生ですけど』
『そうか』 男性は入口横に設置された灰皿にパラパラとその手に集めていた吸殻を捨てたあと此方に向き直った。
《吸殻を拾ってたんか・・それにしても目つき鋭いな》
『お前、このビルに向かって歩いてくるときポケットに手を突っ込んでたやろっ』
『はあ?』
『研修生とは言え、お前はもうこの会社の看板を背負ってるという意識をもたなあかんやろ!』
『看板って、あの屋上の代紋ですか?』 わざと惚けて答えたが、おそらくこの男性が部長の河上であろうと櫂の直感が察知する。
『代紋っ! 変な言い方するなお前・・・名前はなんて言うんや』
『森田です』
『お前、俺が誰か分からんのか』
『名乗ってもらってませんから、知りません』
『そうか、せやけど俺が何を言いたかったのかは分かるか』
『それは分かります・・プライド的な事だと思います』
『分かればええんや、研修しっかりせえよ』 男性はたくしあげたワイシャツの袖を下ろしながら、もう行けという仕草で手をパッパと振った。
《あれが河上部長か》
井川とは全く違ったタイプである事は間違いないが、あの人の直属部隊はどんなメンツが揃っているのだろうと想像しながら、いずれ会える日を楽しみにしようと研修室に向かった。
やはり研修室には人吉達が先着していて、まだ来てないのは藤田だけである・・・昨日の帰り道で藤田は『早く来るよう頑張る~』などと言っていたのではあるが。
『森田君、昨日より遅かったやん』と言う林葉の言葉に、入口での顛末を説明した。
『それっ 河上部長やんか!』 人吉と秋爪が慌てふためきながらそう言ったが、その様子だけで河上の鬼軍曹ぶりがよく伝わってくる。
そこへ鼻の頭に汗を滲ませた藤田が飛び込んできた。
『今日は早く来るんやなかったのユリリン?』 そう問いかける林葉に藤田が答える
『だって入口で変な看板屋のおじさんに走ってくるな~とか絡まれちゃったんやもん~』 それを聞いた人吉はますます頭を抱え込んでしまった。
研修も2日目に入り、いよいよ営業のノウハウを学べるのだと期待をしていたのだが、櫂の期待通りの内容とはならず、全員参加の雑談に近いものであった。
『目の前に置かれたこの絵にどんな事を思う』井川が全員に投げかけるが、後はメンバーに任せきりで微笑のままそれを眺めるだけである。
『綺麗だとは思うけど~、私は趣味じゃない』 藤田は意外と自分の意見を明確に言う
『私は好きかな、華やかな絵って元気が出るし』
『僕はこんなのが生活にあればお洒落だと思います』
『私も必要なものじゃないけど、無いよりある生活がいいな』
『でも80万は高いやろ!』
『そうか、じゃあ皆がこの絵を貰ったとしたらどういう風に飾りたい』 井川が上手く話しを継続させる。
こんな調子で、この作家は・この作品は・他の高額商品との比較はと話題を変えてゆき、気付けばもう昼前になっている。
『おなか空いて 私もうヒンケ~』 藤田が力なくそう言うと
『ヒンケって何?』 隣に座ったばかりに藤田の突っ込み役と化した櫂が聞き返す
『貧血になるってこと~』
『よしそれじゃ昼休みや、午後からは皆がこれから扱う版画について研修するから』
櫂は話に夢中になって気付かなかったがヘビースモーカーの井川が今日はまだ喫煙していない。
雑談のようであるが自分と他人の意見を取り入れる作業は、より多くの営業の引き出しを創る事になるようだ。
こんな研修もあるのかと、興味の尽きない午前中となったのである。
今日は詰めて研修するからと井川からポケットマネーの1万円を受け取った櫂は、林葉と近所の仕出し屋に弁当を買いに行くことになったのだが、1階フロントロビーで又もやキャリーバック軍団と遭遇する事となった。
人吉が言ったようにこのチームは女性だけで構成されているらしいが、綺麗に整列した社員達を前に一人の女性が仁王立ちしている。
何か不手際があってこれから叱責を受けるのか、整列した女性達の顔には一様に緊張の色が伺える。
『お前ら遊び気分で出て来るんやったら帰ってええぞっ、1分でも遅刻は遅刻! どうなってるんや主任!』
『すいません加山課長、私の指導不足です』 主任と問われた女性が答える。
《加山課長チームか》 人吉がホワイトボードに描いた組織図を櫂は思い返した。
整列する女性陣の前に立ち、淡いブルーのパンツスーツを着こなす加山には華がある。
決して服装が派手とか化粧が派手という訳ではないが、目鼻立ちがはっきりしてスタイルの良い加山はその仕草の一つを取っても粋に見えるのである。
ぼんやりと綺麗な人だなと様子を眺めていた櫂は、加山の容姿と繰り出された男言葉のギャップに驚かされた。
『怖わ~』 林葉が小声で呟いたが、静寂の空気は加山の耳にその声を運んだらしい。
加山がゆっくりと此方に視線を向ける
『あ、お疲れ様です』 林葉が少々緊張気味に挨拶を投げかけた
『ああ研修の・・・お疲れ』 投げ捨てるようにそう答えると加山はプイと視線を元の方向に戻した。
『何あの偉そうな態度! 私めちゃくちゃ燃えてきたわっ、絶対勝つ!』
仕出し屋から研修室に帰るまでの道中で林葉に変なスイッチが入ったので、櫂はなだめ役に徹するしかなかったが林葉の怒りは収まらない。
『あの課長が綺麗やから森田君は腹が立てへんのやろ』
『そやな綺麗やったけど、何もそこまでプリプリせんでもええやろ』
そうは言ったものの、どうやら井川新設部隊が既存のチームからどのように見られているかは加山のそっけない態度で充分に理解出来るというものである。
決して歓迎ムードではない事は確かなようだ、むしろ今更あなた達に何が出来るのという態度であった。
『私のほうが綺麗やわ』
『そうやな、まずまず綺麗やわ』
『まずまずって、どういう意味よ!』 又しても林葉はヒートアップしてしまったが、櫂も燃え上がる意欲を感じずにはいられなかった。
研修室でも林葉は収まらない様子で勝ってやると息巻いたが、やはり井川はそれを微笑で眺めるだけであった。
『ジャンケンで勝ってよかった~、私やったら帰る~』 藤田の言葉に場が少し和んだが秋爪だけには笑顔が無かった。
《そうか、秋爪さんは加山課長チーム出身か》
『よっしゃ・・そしたら勝つための研修を続けるで・・・今のままでは何処にも勝てへんで』 井川が午後の研修スタートを宣言した。
其々が思うところを胸に秘めて挑んだ午後の研修は驚異的なスピードで進められた。
版画は複数を作成できるが、決められた枚数しか作成されず一枚ごとにエディションナンバーというものが記入される。
300枚作成した作品であれば300分の1というふうに1~300のナンバーが振られるのである。
市場に出回る枚数が多い新作のうちは安いが、それが売れて残り枚数が少なくなってくると段階的に希少価値が付加されて値段が上がって購入する事が困難になるので、この要素が即決を促す為の材料の一つとなる。
版画には大きく分類するとシルクスクリーンとリトグラフという技法があり、ワールドアートで取り扱う作品はシルクスクリーンが多い。
シルクスクリーン作品は発色が良く色持ちするのが特徴で、これを一生物という要素にしてアピールする。
メイン作家として取り扱うのは、今やアメリカンポップアート界でも名前の知られた ロサンゼルス在住のコウ・カタヤマと言う日本人作家を筆頭に、動物アート作家や幻想的な自然を抽象的に描く作家等、複数のアーティスト作品を扱っている。
昨日、人吉が抱えて来て研修室に飾ったのは コウ・カタヤマの新作【結婚式の朝】である。
目を疑うほどのカラフルな色使いで描いた教会での結婚式の様子は非常に楽しく、そこに登場する沢山の人物もコミカルに動きのある様子で見ているものを飽きさせない。
コウ・カタヤマ作品のスタート価格は80万円で、これをワールドアートが提携している信販会社を利用した割賦販売(分割販売)で購入してもらう・・・
メインは60回払いで月々約14000円ほどの支払いとなる。
『ええか・・自分のした仕事で1円でもお金を受け取ったら・・それはプロの世界に足を突っ込む事になるで・・プロとして恥を掻かない為は・・まずは自分の扱う商品を・・・・・誰よりも詳しく知るんや』
井川はそう言うとコウ・カタヤマの画集を全員に一冊ずつ手渡して明日までに知識を増やして来いと付け加えた。
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