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研修3日目
今日こそは一番最初に研修室にたどり着くぞと早足でワールド第4ビルに向かった櫂は、飲食店の立看板の後ろからワールド第4ビル入口の方向を伺う後ろ姿を発見した。
『藤田、何してるんや?』
櫂の声にビクッと反応した藤田は櫂の顔を見て安心したのか
『今日もあの看板屋の・・違う、河上部長が居てたらどうしようかと思って~』と溜息を吐きながら苦笑いを浮かべた。
『毎日、学校の校門に立つ先生やないんやからおる訳無いやろ、行くで』
藤田優里は櫂が今まで出会った事のないタイプの人間である・・・・
いつも力の入らない素振りで周囲を和ますが、妙に自分の主張をはっきりと明言する時があるのだ、海外での生活が長くなるとこの様に自己主張がハッキリした性格になるのだろうか?
『マジヤメやわ~』
『ちょっと待って、それマジでやめてほしいって事やろ』
『うん、当たり』 藤田はクスッと笑った。
二人が研修室に到着すると既に林葉が【結婚式の朝】の前でブツブツと何かをつぶやいていた。
『好美ちゃん、おはよ』 藤田の声に我に帰った林葉が此方を振り向く。
『何してたの、何かブツブツ言ってて気持ち悪かったけど』 藤田が結婚式の朝に顔を近づけながら聞く。
『1人ロープレやってた』 林葉は少し赤面しながら答えた。
《こいつ、ホンマに負けず嫌いやな~》
実は櫂もロープレ(擬似営業で練習する)は、ここに来る道中の電車に揺られながら試してみたが、どんな手順で客と話してゆくものかイメージが浮かばなくなって途中でやめてしまった・・・・だが、林葉の様子を見る限りではイメージが朧ろげに掴めているようである。
《流石に対面営業経験者やな~、早く追いつかないとあかんな》
今日はどれだけの武器を手に入れることが出来るのだろうと櫂の期待は高まった。
研修3日目にして井川はようやくホワイトボードを使って研修を始めたが、結局この3日間で櫂がノートに記述したのは購買心理の8段階という簡素な説明図だけである。
購買客の心理を段階的に説明したものであるが、林葉は既に知識を持っているのか相槌のトーンも喜怒哀楽の激しい林葉にしては小さなものである。
《ほう、どの営業にも流用できる基礎的な流れがあるってことか》
電話スクリプトのセリフに工夫を加えて営業していただけの櫂には真新しい知識であるが、営業指南本を買えばきっとこの8段階は記述されているのであろうと、自分の浅い知識を改めて思い知った。
注意:商品(版画)への注目、発見
《この間に来場客の警戒心を解いて距離を縮めるんか》
興味:えらんだ商品への興味・関心
《ここは知らない事を教えてあげればええんやな》
連想:その商品を手に入れた後を連想する
《昨日の研修やな、どう飾るとかどう使うってやつ》
欲望:欲しいという気落ちが膨らんでくる
《その人に合った連想をさせてあげる事が重要ってことか》
比較:他の商品・商材はどうかという迷い
《ここで逃げ道を探す側と塞ぐ側になるんやな》
確信:買ったほうが良いと決心する
《希少価値による値上がりとか、あとは背中を押してあげる事も重要か》
決定:購入の決意
《後になって気持ちが揺るがんようにせな、ここは重要やな》
満足:購入した自分に満足する
《喜んでもらえたら、売る側としても嬉しい限りやわ》
櫂はここに来る道中の電車内で空想した営業の流れにかかる濃霧が少しずつ引いてゆく感覚を味わっていた。
林葉や既存の人吉・秋爪はともかく、営業経験の無い藤田はどんな反応だろうと隣の様子を見ると、トロンとした目でノートもとらずに『ふ~ん』とホワイトボードを眺めている・・・・・・・・・
《おいおい、大丈夫かよ》
櫂の視線に気づいた藤田はクスッと笑って、『画集覚えるの大変で、もう今日は眠いんやも~ん』と小声で答えた。
『よし、そしたら少し早いが昼飯を食ってこい・・・40分後に集合や』 場の空気を察した井川が、時間厳守と付け加えて研修室を退出した。
昼食を手早に済ませた櫂達は早めに研修室に戻ることにしたが、急激な睡魔に襲われた。
確かに藤田の言った通り、櫂も井川から渡された画集との睨めっこであまり睡眠を取れていなかった。
それは林葉も同じようで、長机に両腕を投げ出して突っ伏している。
『みんな、午後からも頑張りましょうね・・』
見かねた秋爪が遠慮がちに鼓舞するが、ホワイトボードを使った座学はますます睡魔を増大してゆくであろうと、櫂は残り僅かな時間を浅い睡眠に費やそうと目を閉じた。
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