10.

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夕夏はフェンスを越しに街を見下ろしていた。 振り返った夕夏の顔はどこかやつれているように見えた。 「夕夏……」 「先生」 片手でフェンスを掴んだまま、夕夏が薄く笑う。 「姫乃から全部聞いたんでしょ?」 「ああ……」 俺のメールから察したのか、それとも俺が佐伯を連れ出すのを目撃していたのかもしれない。 「騙してごめんなさい。でも、これが私の望みだから」 口元では小さく笑いつつも、その瞳に光はなかった。 「お父さんが人殺しになった日から、私にとって幸せは毒でしかなかったの」 毒。 いつまでも癒えることはなく。 少しずつ蝕んでいく。    「苦しいとね、少しだけ楽になれたんだ。 だから苦しむべきなんだって思った。 人殺しの子供は、やっぱり幸せになるべきじゃないんだよ」     そんなことない。 そう言おうとして、口を噤む。 俺が伝え続けてきた言葉も、もしかしたら夕夏を苦しめていたのかもしれない。 「最後に、一つだけ教えてくれ」  夕夏の目を真っ直ぐ見つめる。 心のうちで唱える。 『強制自白』 夕夏の本心を聞くために。 「夕夏、お前はどうしたい?」 夕夏の瞳が空を見つめると同時、一筋の涙が頬を伝った。 そして。 「もう、生きたくない……」     これが、嘘偽りのない夕夏の本当の気持ち。 本当の、望み。 「…………っ」 ごめんな、夕夏。 お前の気持ちに気づいてやれなくて。 幸せになれないとわかっていながら、幸せになれと言われるのは辛かったよな。 俺はなにも、わかっていなかった。 「…………」 『強制自白』が解け、夕夏の意識が戻る。 頬を伝う涙を袖で拭い、夕夏は再び微笑んだ。 「ごめんね、先生。たくさん巻き込んで、たくさん迷惑かけて。でももう終わらせるから」 「終わらせる?」 「うん。今ならみんな、私の死を望んでくれるはず」 メールによる秘密の拡散。 あれはクラスメイトから嫌われるためのものだったのか。 原因は夕夏だと名指ししたのも、嫌悪の矛先を自分へ向ける。 みんなに嫌われるために。 死ぬ理由を作るために。 「私が生きてると、苦しむ人がいる。私も含めてね。だから、私が飛び降りて全部終わり」 そうやって、あの日も飛び降りたのか。 苦しみから逃げるために。 「ばいばい」
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