あの言葉は言えたかい

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 パースの空は肉眼でも降り落ちそうなほどの星を観測することができる。高緯度のこの地域では比較的観測しやすいイータカリーナ星雲の左上に、おじさんの天体望遠鏡でしか観測できない「恒星サタ」が存在する。  おじさんがくれたこの反射式赤道儀の出所は不明だが恐ろしいほどに精度が高く、長年の研究と何万枚もの写真によって惑星の存在は証明された。おじさんは一躍、時の人となった。  その後、パースでの観測中の事故で命を落とし、その研究を私が継いだ。おじさんが四十五歳、私が二十二歳の時だった。 「惑星なんてどこにもないじゃない!」 「公転面がずっと奥に長いから、わずかな時間しか観測できないんだよ。これがその時の写真」  丁寧にパッキングしたファイルをめくって見せた。赤や青紫に輝くイータカリーナ星雲の奥に恒星サタがあり、一部白く欠けているところがある。 「Fantastic! これで十分じゃない、教授に見てもらいましょうよ」 「それだけじゃダメだって言われた。彗星が通過した可能性もあるからって」  赤髪のノラがわかりやすく肩を落とした。それから必死になって屈折式望遠鏡を調整して恒星サタを探そうとする。おかしな姿勢になっているノラを見て私はこっそりと笑う。果てのない天体観測で、この素直な技術者に何度気持ちを救われたかわからない。 「ダメ、私の目じゃ見えないわ」 「そう? 割とわかりやすいところにあるんだけどなあ」 「アキコとサタ教授にはね。そろそろ食事にしましょ、サンドイッチでいいかしら」 「ありがと。ターキーもあるといいんだけど」 「そういえば明日はクリスマスね」 「ノラ、家にいなくて大丈夫なの?」 「彼女と過ごしたいから母親はじゃまなのよ」  パチリとウインクをすると車から大きなバスケットを下ろした。一人息子のマークくんが観測のために送り出してくれたのだと思うと、切ない気持ちになる。  ノラがいなければ十年も同じ場所で観測を続けてこれなかった。ありがと、ノラ、マークくん、と彼らの笑顔を思い出しながら接眼レンズをのぞき込んだ。  簡単な夕食を済ませるとノラは新聞を広げた。天体観測も大事だけど世の中のことに疎いのはよくないと言って私に読んで聞かせるのだ。 「mmm……日本の若き天文家、新彗星を発見だって。Koki Tukimoto……今は日本のK大学に通う……」 「貸して!」  「Koki」の名に心臓が跳ね上がった。手にしていたコーヒーを喉に流し込んで新聞記事を読んでいく。 「アキコの知り合い?」 「わからない、ファミリーネームを知らないし」  私はコウキの苗字も知らなかったと情けない気持ちになる。知っているのは団地に住んでいたことと十年前に小学六年生だったから今は二十二歳くらいだということだけだ。  三面をめくったところに顔写真があった。メガネをかけているけれど間違いなくあのコウキだった。 「天体観測……やってたんだ」  喜びと戸惑いの入り混じった感情が湧いてくる。あの頃コウキは中学受験で偏差値75を越える学校を受けると言っていた。合格したなら将来は約束されていただろう、その芽を私が摘んではいないかと今になって後悔が押しよせる。 「やっぱり知り合いだった?」 「子供の頃にちょっとだけ観測の仕方を教えたんだ……まさか今もやってるなんて」 「じゃあこれはアキコのことね」  ノラは記事の一部分を指差した。子供の頃近所に住んでいた女性に天体観測の楽しさを教えてもらった、金星と土星の最接近を見られたことは今でも忘れられないしとても感謝している-- 「……そんなのダメだよ」 「Why? 素敵な記事じゃない」 「天体観測なんてダメだ」 「一年中観測してるアキコが言うことじゃないわね」 「ノラ、天体観測は金がかかる」 「それは技術者の私がよーく知ってます」 「散々金を食いつぶして大成できるのは恒星の数ほどもいない」 「それは仕方ないことね」 「だからダメ! コウキが天文家になるなんてこんな稼げない仕事……」 「ならどうしてそんなに嬉しそうなのかしら?」  ノラは満面の笑みで言った。私はとっさに口元を隠す。 「サタ教授もあなたがこの道を進むのをずいぶん反対した、そうよね?」 「そう……だったね」  無性にタバコが吸いたくなって服をまさぐった。こんなところに持ってきてはいないのに--おじさんが吸っていたあのタバコの香りが鼻先をかすめる。 「私はこれしか生きる道がなかったから……」 「そうね、私も同じ。これ以外なかった」  ノラは愛くるしいグレーの瞳で私を見つめた。同志の少し悲しげな表情に、記憶の底に押し込めていた感情のふたが開きそうになる。
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