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「ただいま」と「おかえり」、それは呪いの言葉だった。
***
西オーストラリア州パースで私はひとり夏の夜空を見上げていた。
南半球の空には日本では見ることのできない南十字星が浮かんでいる。有名な天文台から近いこの場所は観光客が多いが、絶好の天体観測スポットでもある。
小さな村にキャンプを構えて夜な夜な天体観測に向かう。オーストラリアの12月は夏で雨が少なく、空気も乾燥している。地元民の許可を得て広大な土地を巡り、未知の天体を探す。金が尽きたら仕事を探して必死に働き、また天体観測に出る。
育ての親であるおじさんと同じ生活を始めてもう十年になる。金星を見る度にやっぱりサヨナラくらい言うべきだったかと思うけれど、きっともう私のことなんて忘れているだろう。
「Hi,Akiko!」
車のエンジン音と共にノラが運転席から顔を見せた。100キロ先にある天文台の技術者である彼女とは学生時代からの付き合いだ。
「調子はどう?」
「so-so」
「その様子を見るかぎり、割といいってことね」
ノラの流暢な日本語に私は吹き出した。彼女は生粋のオーストラリア人だが、最近は日本人がよく使う「まあまあ≒so-so」のニュアンスまでわかるらしい。
ノラはこの数ヶ月で撮影した天体写真と夜空を見比べた。何時間も同じ姿勢でいると腰が痛くなって背伸びをする。乾いた荒野は果てしなく広がり、ゆるやかなカーブを描く地平線との境から漆黒の夜空が始まる。
「いい写真ね、昨日と同じだけど」
「よく撮れてるでしょ、一昨日も同じだけど」
そう返すとノラも吹き出した。「けどあきらめないんでしょ」と私と夜空を交互に見上げる。
「420万光年のかなたに存在する恒星SATAの証明。なかなか骨の折れる観測ね」
「それはもうできてるよ」
反射式赤道儀の接眼レンズをのぞきながら言うとノラは素っ頓狂な声を出した。
「何ですって? それならもうキャンプを引き上げたらいいじゃない」
「今追ってるのは恒星サタを公転している惑星なんだ」
「Wow!」
ノラはそこらに重ねている天体写真を片っ端から見始めた。初めて口にした惑星の存在に私の胸まで踊り始める。
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