雨の車内で

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雨の車内で

 デート帰り、自宅前に停めた車の中で、私達は重い空気の中、最後の言葉を探っていた。  外は二人を象徴するようなどしゃ降り。無慈悲なその音は容赦なくボディを叩きつけ、ラジオから流れる楽しそうな音楽をかき消している。  今日、別れ話をした。  どうしてもどうしても、だめだった。  彼を嫌いになったわけじゃない。  でもこれ以上続けていける自信がなかった。 「理由、やっぱり聞けない?」  納得いかない彼が、ため息混じりに聞いてくる。 「……ごめんなさい」  ずっと言えなかった。言えずにここまで来てしまった。  もっと早くに言えていれば、あるいは今からでも言えたなら、もしかしたら私達の結末は、変わっていたのだろうか……?  それでも私には伝える勇気が出なかった。  くだらないことだと思う。ほんの些細なこと。普通ならきっと笑い飛ばせることなのだ。  恋なんて、こんな小さなことでダメになる。  なんて脆い感情。  そう考えれば考えるほど、私は唇をキツく噛むしかできなかった。  フロントガラスを次々と埋めていく雨粒を、ワイパーが力強く押しやって脇に弾く。  その弾かれた水の行く末を、私は黙ったまま見つめていた。 「本当にこれで、最後なの?」  彼が少し拗ねたように尋ねる。  私はぎこちなく頷いて、 「今までありがとう。さよなら」  声を絞り出し、ガチャリとドアを開けて、雨の下へと飛び出した。――もう限界だった。 「ごめんね!」  ドアを閉めて、最後の務めだからと、彼を見送るべくその場に留まった。はやく車を出してよ! と心の中で半狂乱に叫びながら。  彼はしばらくこちらを見ていたけど、私の固く結んだ口元に諦めがついたのか、車を発進させた。  去りゆくテールランプを見つめながら、私は顔をぐしゃぐしゃに歪め、その場に膝から崩れ落ちると同時に大声で叫んだ。 「最速ワイパーは勘弁してぇぇーー!!」  目の前でせわしなく動くワイパーに、私はお腹が捩れるほど笑いたいのを必死で耐え、なんならお腹を捩らせて耐えていた。  なぜ最速!? なぜ君のワイパーはいつも最速なんだ!!  黒く細い胴体をグッと起こして右端に届いた瞬間今度は素早く左に倒れ、と思いきやまた右端へ、そして左へ。  ものすごいスピードで、ギュイギュイギュイギュイ往復するワイパー。  いやいや、雨そんなに激しく降ってませんから!! ワイパーに雨が追いついてませんからぁぁぁ!!  雨を蹴散らす勇ましさより、視界を遮る煩わしさが勝るあの超スピード。  そのまま振り切ってどこかに飛んでいってしまいそうな限界スレスレワイパーの本気。  あの動きだけはどうしても耐えられなかった。面白すぎるのだ。子供の頃、お父さんが間違えてワイパーを最速にするたびにツボに入ってた。本当にごめんなさい。あなたが悪いんじゃない、だけど、最速ワイパーだけは我慢できなかった。ドライブ中に雨が降るたび、腹筋が崩壊しそうで……!  それでも耐えてきた。彼が好きだったから。できるだけワイパーを見ないように、窓の外やカーナビに意識を逸らしていた。  けど、それでもワイパーは音という戦力まで引き連れて私を襲ってくる。 「ワイパー速くない?」  ただその一言が言えなかった。  彼を辱めてしまいそうで、怖かった。  たかがワイパーで彼を傷つけたくなかった。  最初のドライブデートから始まったそのワイパー地獄が、まさか別れの瞬間まで私の腹筋を直撃してくるとは思わなかった。  でももう、解放されたのだ。私も彼も。  ワイパーの速度は、必ず雨量とのバランスが取れていなければならない。最速ワイパーの出番は災害級の豪雨の時。そう信じて生きてきた。  私はその感性から逃れることができなかった。そう、これは理屈ではない、感性の問題なのだ。  どしゃ降りの雨。道路に転がる閉じたままの傘。  堰を切ったように笑い転げるずぶ濡れの私。  こんなくだらないことで恋は終わる。  でもそんな感慨より私の頭を埋め尽くすのは、何はさておき最速ワイパーのせわしない姿だった。  
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