三.秋祭りの準備

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 一通りの掃除を終えて、この日は解散という時になった。  そこで僕は、ニーナがいないことに気付いた。さっきまでそこに座ってお茶を飲んでいたのに。 (記者の人って、自分の興味の赴くまま動き回るところがあるかもしれないけどさ)  それでも一言言ってから動いてほしいと思う。探すのは、いつもこっちなのだ。  僕は社務所を出て、境内を見渡した。  小さなお宮だ。探せる場所は限られていた。  拝殿の陰にもいないのを確認して、本殿の裏に回ってみた。  この辺りをうろうろしていたら、また白い狐が現れるかもしれない。少しドキドキしながら、本殿の陰から顔だけ覗かせてみると、ぼそぼそと話す声が聞こえた。  外ではなく、本殿の中から聞こえてきているようだ。  声は一つではない。女性の声ともうひとつ。低くゆったりと話す声。 (ニーナと……、それから、相手はゴローさん?)  そもそも本殿とは、ご祭神が鎮座する場所。おいそれと入っていい所ではないはずだ。取材するにしても、あんまり厚かましい気がして、僕はニーナが心配になってきた。取材の熱が高じて、話を通しやすそうな若手のゴローさんに、。本殿に入れてくれと頼んだんだろうか。  そんな僕の心配をよそに、本殿の中のニーナの声が少し大きくなった。 「あの子を見たでしょ?」  それに対し、ゴローはぼそぼそと聞き取れない声で返している。  ゴローさんは何を見たんだろう。あの子って誰だ?  それに――あの話し方だと、二人は知り合いのようだ。  さっき取材していた時には、そんな素振りまったく見せていなかったのに。 「それを決めるのは、あの子自身だっていうことは私もわかってる」  そんなニーナの諦めたような言葉を最後に、二人の会話は聞こえなくなった。  彼らが本殿から立ち去った頃合いを見計らって、僕も境内の方に戻ることにした。  戻ってみると、境内の入り口の狛犬の側にニーナがいた。ゴローの姿は近くにはない。 「あ、カズキ」  ニーナが僕を見て手を振った。 (探していたのは僕の方なのに、なんで僕が見つけてもらったみたいになってるんだ)  ニーナが以前ここを訪れた時に知り合ったのだと考えれば、二人が顔見知りだったとしても何も不思議はない。でも再会を懐かしんで話をするのは、何も本殿の中でなくていい。  二人が何の話をしていたのか気になったけれど、尋ねてみる勇気も僕にはなかった。 「帰りますか」  僕はポケットから軽トラの鍵を取り出しながら言った。  分家のおじさんも連れて帰らなきゃな。そう思って、社務所に呼びに行こうとしたら、 「秋祭りまでにはまだ間があるから、私、一旦他の取材に行って来るわね」  ニーナが僕の背中に向かって、今思い付いたような口ぶりで言った。 「そうなんですか?」  慌てて振り向いた僕に、ニーナは出会ってから一番の笑顔を見せた。 「うん。だから、今日はここでお別れするわ。カズキ、またね」 「あ、うん。また」  僕の初めてのお客様とは、ひとまずここでお別れのようだ。  でも彼女とは、またすぐ会うことになる。そんな気がしていた。  彼女と一緒に過ごしたのは、本当にわずかな時間だった。  その間に、僕の中にはたくさんの不思議の種が撒かれていて、その種は (じき)に芽吹くことになる。  そのことを、この時の僕はまだ知らなかった。
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