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二.狐様と僕
僕はニーナとゴローの顔を交互に見た。
尋ねたいことはたくさんあるのに、何から訊いたらいいのかわからない。
「 宮司さんは大丈夫だったかな」
考えがまとまらない内に出た言葉は、宮司さんのことを案じる言葉だった。
「さくらさんなら、私がちゃんと送り届けたよ」
低く落ち着いた声に、僕はゴローに目を向けた。
いや。ちょっと待て。
僕はまだ混乱している。
さっきまで、確かにそこに梟がいたんだ。
そんな僕の動揺を知ってか知らずか、ゴローはいつも通り落ち着いた態度で畳の上に 胡坐をかいている。
僕は、僕の混乱を 余所に平然としている二人のことが、急に怖くなってきた。
「宮司さんが無事なら良かったです」
震える声でやっとそれだけを言って、僕は布団の上に視線を落とした。
ニーナもゴローも知り合って数日だ。
僕は彼らのことを何も知らない。
「――ひとまず、私たちの自己紹介でもしちゃおっか」
ニーナが変わらない明るい声で言ったかと思うと、僕の視線の先に三毛猫が現れた。
「う、うわあ!」
僕は掛け布団をはねのけて畳の上に逃げた。
「失礼しちゃうわね。人を化け物みたいに」
「ひ、人じゃないじゃないか……!」
「ニーナ。意味もなくからかうのは、お前さんの悪い癖だ」
ゴローが溜め息交じりに諭すように言った。
「ふふ。だって、嬉しくなっちゃって、ついね」
「いったい、何なんだよ! 何が嬉しいんだよ」
「見て。私のしっぽ」
ニーナがくるりと向こうを向いた。
もふもふのしっぽが僕の目の前で、ゆらゆら揺れている。
一本。
二本。
さん……ぼん……?
「古来、人の傍らで長らく生きた猫は、猫又になると言われている」
口をあわあわさせている僕を落ち着かせるように、ゴローが言った。
「ねこまた~?」
「私はこの家の飼い猫だった。おじいさんとおばあさんがここで宿を始めた頃、私はこの家にやって来たの。その頃は当然普通の猫だったわ」
喋りながら、ニーナはふさふさの三本のしっぽを舐めて毛づくろいを始めた。話しながら毛づくろいできるなんて、器用なものだ。
「おじいさんとおばあさんは、それはもう、私を可愛がってくれたわ。ニー、ニーと言って」
「ニー? ニーナじゃないの?」
混乱している頭でも、小さな違和感に気付くことくらいはできるようだ。
僕の指摘に、ニーナは猫らしい小さな口で笑った。笑った拍子に大きな犬歯がニュッと現れる。
可愛らしい外見とは裏腹な鋭い犬歯が、ニーナが普通の猫ではないということを示しているようだった。
ニーナは毛づくろいをやめると、僕に近寄って来た。
怖くて少し腰が引けるけど、ここは我慢だ。
「カズキは、ナナのことを覚えてる?」
「――ああ。ばあちゃんが飼ってた猫だ」
僕が小学生の頃、この家にいたナナのことはよく覚えている。ずんぐりとした体の、茶ぶちの猫だった。
「私の中には、彼の魂もあるの」
ニーナはそう言って、自分の胸の方に視線を落とした。
僕もつられて、白いふわふわした毛に覆われた、ニーナの胸の辺りを見る。
「私はどうしても、この家を離れたくなかった。おばあさんの側にずっといたかった。でも、あやかしになるには少し力が足りなくて。だからナナにお願いしたの。ナナの力を私に頂戴って」
「……」
「そしたら、こうしてあやかしになれた。おばあさんとずっといられる。嬉しかった」
「でも、ばあちゃんは亡くなったよ」
僕はそれしか言えなかった。
ゴローが深いため息をついたのがわかったけれど、僕はニーナから目が離せなかった。
ニーナはナナと一緒になって、猫又になった。
その話をいますぐに受け入れられる気はしない。
でも――。
三本のしっぽを持った猫が目の前にいる。
それは抗いようのない現実だった。
「ニーとナナで、ニーナ。素敵でしょ?」
「う、うん」
僕は顔を引きつらせながら頷いた。
「さあ、これで私の自己紹介は終わり。次は、ゴローね」
振り返ったニーナに、ゴローは首を横に振ってみせた。
「あら、どうして?」
「不十分だよ、ニーナ。今の話では、カズキをさらに混乱させるだけだ」
「そうかな?」
「あとは私が引き受けよう」
ゴローが話し始めると、どうしてだか僕の背筋が自然に伸びる。
(拝聴します)
なぜだか、そんな気分になってしまう。
「私の正体については大体察しがついていると思うが」
「えっと……。梟ですよね」
もうゴローに対して、同年代の同性だと思って親しげに接することはできそうになかった。
ニーナだって、僕よりもずっと長い時間を生きているんだろう?
ゴローはいったい何者なのか。
「ゴローは森の主。お山の裾野に広がる森を守って来た梟よ」
「ニーナは少し黙っておいで」
ゴローに優しく言われ、不満そうにしながらも、ニーナはゴローの横で丸くなった。
「少し寝るわ。お話終わったら起こしてね」
「ああ。少し眠るといい」
ゴローはニーナの柔らかそうな体をひと撫でしてから、僕に向き直った。
「さて何から話そうか。怖がりなお前さんを、これ以上怯えさせたくはないんだが――。そうだな。私と、お前のおばあさんとの馴れ初めからでも話そうか」
そう言うと、ゴローの口元に笑みが浮かんだ。
心の奥底から湧き上がって来たものによって、ふっと自然に口角が上がったような。そんな深みのある微笑みだった。
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