二.狐様と僕

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「僕なんか、何もできないよ」 「その耳飾りがカズキを選んだ。それはもう、お前の耳から離れることはない」  目に見えない力に抑え込まれているような息苦しさを感じて、僕は言葉なくゴローを見返した。 「とにかく! 壱様のお気持ちを少しでも静めないと、このままでは集落の収穫量にも影響が出るわよ」  また話が壮大な方に向かっている。  僕のピアスのせいで、どうしてそんなことになるんだ。 「だって壱様は、お稲荷様の関係者だもの」 「お稲荷様――」  五穀豊穣を司る、あの? 「ちょっと待って。頭が追い付いていかない」  古民家宿の管理人を一時(いっとき)の間するつもりで帰省してきたというのに、どうしてこんなことになっているんだ。  頭を抱えて布団に横になった僕を落ち着かせるように、ニーナが優しい声をかけてきた。 「あなたのおばあさんも『かんづかさ』だったのよ。おばあさんはどんな生き物にも優しかった。そして何より、この集落を愛していた。だから、ごく自然に『かんづかさ』に選ばれた。おばあさんが次の『かんづかさ』になると知った動物やあやかしは、それは喜んだものだったわ」  それは他の人間に知られてはならない役目。この土地で、何人もの人が、何代にも渡って『かんづかさ』の務めを果たしてきたという。 「おばあさんがここを古民家宿にしたのも、その役目を全うするためだったと思うのよ」  その頃すでに猫又となっていたニーナは、おばあさんの元を訪れる小動物やあやかしをたくさん見てきた。 「私も人間のニーナとして宿泊したわ。懐かしいおばあさんとお話しして、おばあさんの手料理を食べて」  僕はそれまで睨んでいた天井から、ニーナへと視線を移した。 「人間もそうだけど、もふもふたちにもいろんな悩みがあるのよ」 「悩み……」 「おばあさんの料理を食べると、不思議と力が湧いてくるの。素朴な田舎料理なのにね」  ニーナはそう言って、ふふっと笑った。 「その耳飾りは、それらの言葉を聞き取るための道具だ」 「言葉を、聞き取る」  僕が咀嚼するように言葉を繰り返すと、ゴローが深く頷いた。 「だから、皆が喜んでいる。」 「みんな?」 「この辺りの野鳥や蛇や犬や……」  目覚めた時に集まっていた小動物たちを思い出した。  皆、僕に会いに来ていたの? 「この家に人がいなくなって寂しい思いをしていたのよ。だから皆、あなたと話したがっているわ。――でも、その前に壱様ね」  そうだった。  かの狐の気持ちを静めてもらわないと。 「え、集落の収穫量が僕にかかってるの?」 「そうよ」 「そうだ」  事も無げに言い放った二人を、僕は恨めしく見返した。 「僕には荷が勝ったことなんだよなあ」 「でも、このままでは喰われちゃうわよ」  そう言われては、やるしかないじゃないか。 「カズキ、できないやらないの一点張りでは、いつまで経っても前に進めないわよ」 「わかってる」  この耳飾りに選ばれたのがなぜ僕なのかということはひとまず置いておいて、大きなあやかし(ぎつね)の怒りを納めてもらわなければ、僕自身落ち着かないのは確かだった。 「でも、どうしたらいいんだろう」  こんな時、先代『かんづかさ』のばあちゃんならどうしたんだろうか。  そう思った時、何かが閃いて、僕は布団の上に起き上がった。 「ニーナは宿泊した時、おばあさんのお品書きを見たんだよね」 「え、ええ、そうよ」  そうだ。お品書きだ。  僕は急いで居間に向かった。 「あった。これだ」  何枚かめくったあと、僕は一枚のお品書きに目を止めた。  あとからついて来たニーナとゴローもそれを覗き込む。 「見て。この裏、『壱さま』と書いてある」 「あ……」  声を上げたニーナに軽く微笑んで、僕は他のお品書きの裏をめくって見せた。 「こっちは、に。ご。さん……。最初見た時は、お品書きの番号だろうと思ったけど、これだけ『さま』がついているのはおかしいし、一見様という意味だろうかとも思ったけれど、でもこの漢字である必要はない。つまりこれは、壱様用のお品書きってことなんじゃないかな」  表に返すと、そこには五品ほどの料理が書かれている。  それらを読んだニーナが言った。 「間違いなく、壱様の好物ね」 「ああ、間違いない」  ゴローも頷いた。  そのお品書きに記されていたのは、いくつかの油揚げ料理。  僕はホッとしたような、ぐったりしたような、変な心持ちになって、嘆め息とともに呟いた。 「お稲荷様って、本当にお揚げさんが好きなんだね」
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