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「意外ねえ」
ニーナも呆気に取られたように言った。
「壱様はあまり自分の事は話さないから。付き合いが長い私たちも、何が好きなのか、何を嫌いなのか知らないのよ」
「あの狐、喋れるの?」
「失礼ね。狐じゃなくって、壱様よ」
小さな時は可愛らしい仔狐。大きくなったら、狼と見間違えそうなくらいの獰猛さを見せる、九つの尾を持つ白狐。
そんな壱様はお稲荷様の関係者。
(関係者って言われても、僕にはよくわからない世界だよ)
どういう訳か、神話やおとぎ話の中でしか見たことのない不思議の世界に片足を突っ込んでしまっている、今の僕。
納得は行かないままに、神様やあやかしの思惑に動かされてしまっている。
それが嫌だというわけではない。
でも、もう少し自分の中で咀嚼する時間くらいは持たせて欲しいと思う。
(そんな時間もないんだろうけどさ)
なんにせよ、僕に向けられる壱様の敵意を静めてもらわなければ、僕の身の安全は確保されない。
その壱様に、祖母は油揚げ料理を供していたらしい。
お品書きを眺めながら、果たしてこれだけの料理を作れるのかと逡巡していると、僕の背中越しに厳かな声。
「『神人共食』。同じ釜の飯を食うことに意味がある」
「神人共食?」
初めて聞く言葉に振り向くと、ゴローがきっちり正座して控えていた。神様よりの話になると、彼は梟というよりも、森の主としての顔の方がより強く出る気がする。
森の主とは神様と妖怪の中間の存在だという。そんな神秘的だけどあやふやな存在を、僕たち日本人は民間信仰の対象としてきたんじゃないだろうか。
(と、だめだな。思考が脱線しがちだ)
とにかく今考えるべきは、僕でも作ることができる油揚げ料理だ。
「ねえ、この油揚げって、おばあさんの手作りだったのかしら」
「え!?」
ニーナがギョッとすることを口にした。
「油揚げなんて、手作りできるの?」
「そんなの、私が知ってるわけないじゃない」
ごもっともです。
元三毛猫で、現在猫又のニーナが、油揚げについて何を知っているというのか。
ついつい人間のように接してしまうのは、彼女との出会いの仕方があまりに人間じみていたからだ。
そんな彼女がフリーライターとしてどんなふうに人間の中で生きてきたのか、ちょっと興味がわいてくる。けれど、その話はまた別の機会だ。
(油揚げ料理を片付けなくちゃならないんだよ……!)
気付くと、左手は耳元に。この事態の元凶であるピアスを無意識にいじる癖がついてしまっているようだ。
「お品書きを見る限りは、手作りかどうかはわからないな」
「そうだね」
行き詰まる僕に助け船を出してくれるのは、いつも冷静なゴローだ。
「手作りにするか、市販のものにするかは、カズキが決めればいい。お前が作るのだから」
「……」
ばあちゃんならどうしただろう。
僕はふと思った。
先代『かんづかさ』のばあちゃんだったら、おそらく手作りの油揚げで壱様を満足させていたに違いない。
(でも僕は、ばあちゃんじゃない)
この家の本来の跡継ぎでもなく、年が明ければここを去るつもりでいる僕が、どうして『かんづかさ』なんてものに選ばれたのか。
ニーナも、ゴローも、そんな僕に最初から優しくしてくれた。
布団の脇に集まっていた小動物たちも一欠けらの敵意も見せず、むしろ僕を慕ってくれていたようだった。
(どうして?)
僕はまだ、彼らに何もしてあげていないというのに。
(ばあちゃんとの思い出があるから?)
『かんづかさ』としての祖母との思い出があるから、彼らは祖母と同じものを僕にも求めているのかもしれない。
「僕はばあちゃんじゃない」
ぽろりと口から出た言葉に、ニーナが息を飲んだのかわかった。
「ばあちゃんと同じようにはできないよ」
そう宣言してしまってからハッとした。
きっと二人は僕に失望した。
だから僕に期待なんてしない方がいいんだよ。
そう言おうと思い、恐る恐る顔を上げた。けれど視線の先にあったのは、二人の失望した顔ではなくて、微笑みだった。
今度は僕が面食らう番だった。
「いやあね。そんなことわかりきってるじゃない。カズキとおばあさんは魂は似てるけど、だからと言って同じだと思ったことなんて一度もないわ」
「私たちはカズキがここに来てくれて嬉しかった。ただそれだけだよ」
「……」
僕はこみ上げてくるものを感じて彼らから視線を外した。俯いた僕の脳裏を、フローリングに寝転んでは遠くの電車の音を聞いていた、無為の日々が過っては消えていく。
そうだ。
あの頃聞いていたぼんやりした音じゃない。
彼らの声は、音は、こんなにもはっきり僕の耳に届いているじゃないか。
「油揚げ、手作りしてみようかな。これから街に行って買い物してくるよ」
祖母の残したお品書き通りの献立ができるかは自信がない。
でも、『かんづかさ』としてのカズキではなくて、この家を、そしてこの集落のことを好きな永森和希として。
壱様のために油揚げ料理を作ってみようと。
僕はそんなふうに思ったんだ。
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