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秋祭りの前夜。宵祭りが始まった。
お宮では参道から境内にかけて提灯がかけられ、日が落ちると同時に灯がともされる。長い参道は光の道となって、ぼんやりと明るくなったそこを集落の人たちが境内へと歩いて行った。
この集落にもまだ若い人がいたのかと、そう思ってしまうくらい境内には老いも若いも集まって、常にない賑やかさ。申し訳程度の屋台も出ていて、子どもたちがはしゃいでいる。
(こういう時に帰省してくる家もあるもんな)
田舎の祭りは、普段は地元にいない親戚が久しぶりに集まる憩いの場でもあるのだ。
「和希、そろそろ時間だぞ」
分家のおじさんが白い着物と袴姿で社務所から出てきた。
僕も名代として関わってきたからと同じ格好で祭りに参加することになり、玉砂利が敷かれている境内を慣れない草履で歩くのにも苦戦していた。
「さくらさんはもう拝殿だな」
総代であるおじさんを先頭に、祭りの準備をしてきた集落の人たちがぞろぞろと拝殿へと向かった。
木造の簡素な造りの拝殿。観音開きの扉を入ると、宮司さん――さくらさんがいつもよりも少し豪華な上着を来て祭壇の前に座っていた。
僕たちもその後ろに横一列になって正座する。
祭壇脇の台には、泉の水や、その年取れた新米、諸々の供物に混じって、僕が作ったお膳も供えられていた。
さくらさんは意外と小柄だ。その彼女のどこからこんな声が出るのかと思う程の声量で、高く低く、歌うような祝詞が拝殿に流れ始める。
(やっぱり、さくらさんはすごいな)
僕は神々しくすら見えてくる彼女の後姿から目を離せずにいた。
その間も壱様が現れる気配はなかった。それどころか、この夜はニーナやゴローの姿も見当たらない。
どこかから様子を見ているのか。それすらわからなかった。
(壱様は、元より僕のことが気に入らないのだから、僕の作った料理を食べてくれるはずもないか)
そんな捻くれた考えまで浮かぶ始末。
結局祝詞の間は何事もなかった。
「私はここに籠っていなくてはなりませんから。皆さま、また明日よろしくお願いしますね」
さくらさんはこのまま明日の朝まで、本殿で祈りを捧げなければならないという。
そんな彼女に挨拶をして、総代や祭り係のおじさんたちと一緒に拝殿を出ようとしたところで呼び止められた。
「和希さんはもう少し、お手伝いしていただけますか?」
「え、はい」
(そんな話聞いてないけど)と思いながら、含み笑いを浮かべるおじさんたちを見送った。その含み笑いの意味も一瞬でわかってしまったけれど、気づかないふりをして観音開きの扉を閉める。
明日はきっと、彼女とのことでからかわれるんだろうな。
僕は別に構わないけれど、彼女が嫌な思いをするのは辛かった。
「手伝いって、何をすればいいんですか?」
「はい。私はこの後本殿の方にお籠りします」
彼女が本殿にいる間、僕がすることの細々とした指示を受けた。
「それでは、よろしくお願いします」
「はい」
さくらさんが本殿に向かうと、僕は時間まで拝殿で一人待機だ。
しばらくすると、また祝詞が流れてきた。
彼女は本殿で一人祈りを捧げているらしい。
いつもは火の気のない本殿も、今日は前庭に松明が焚かれているせいか明るく見えた。
ニーナの言葉を借りれば、泉のお山の大神様やお稲荷様に、この年の五穀豊穣を感謝する祭り。その感謝を、今さくらさんは捧げている。
(こんなふうに祭りの意味を考えたこともなかったな)
楽しみと言えば、屋台での買い物くらいだった秋祭り。
それが、こんな形で深く関わることになって、その意味を知ることもできた。
(神様も、宮司さんも、ずっと昔からこうして、この集落のために力を尽くしてくれていたんだ)
その時今までずっと淀みなく聞こえてきていたさくらさんの祝詞がふっと途切れた。
終わったのかと時計を見たけれど、聞いていた時間までにはまだある。
何かあったのかと立ち上がると、足元に気配を感じた。
「ニーナ」
「壱様の結界よ」
猫の姿のニーナは本殿の方を睨んでいる。
「結界?」
僕はよほど鈍いのか。
いつの間にか境内ではしゃぐ子どもの声も聞こえなくなっていた。
「急ぐよ」
「あ、待って」
僕は供物台のお膳を慌てて持って、ニーナのあとを追った。
「なんで僕じゃなくて、彼女を襲うんだ」
「――きっと、たまたまよ」
「たまたまって」
そんなので襲われる方はたまったものじゃない。
本殿の扉は容易く開いた。
中に入ると、横たわるさくらさんの側で、大きな狐がこちらにギロッと目を向けた。
「壱様」
ニーナの呼びかけも無視して壱様が睨んでいるのは当然僕だ。
「さくらさんに何した?」
彼女は意識を失っているみたいだ。
僕のことが認められないなら、いくらでも襲うといい。
でも、あなたたちのために祈りを捧げる彼女まで、見境なく襲うのか?
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