クリスマスイヴはひとりだった

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 吐く息が白い。仕事が終わって街に出ると、青や銀色のイルミネーションが街を飾る。どうしてこの街のイルミネーションは、青を基調にしているんだろう? クリスマスなら赤や緑でもいいのに。……心が一段と冷える気がした。  どこからか『Santa Claus is coming to town』の陽気なメロディが流れる。寒さに肩を寄せ合う恋人たちの姿が、いつもより不自然に多いような気がする。仕事が終わったばかりのわたしの隣に、彼はもちろんいない。  昨年のクリスマスイヴ、彼は別の女性と結婚した。『デキ婚』なんだと言われたけど、デキたからわたしと別れるというのは理由ではなくて、結局、彼女の方が大切なんだよね、とその時は深くそう思った。もし歌の歌詞のようにサンタがいい子と悪い子を見分けるのだとしたら、わたしは悪い子だ。だってわたしはまだ彼に恋している。今日は会えないけど、明日の今頃は……。彼女と子供を置いてわたしと会う彼は、もっと悪い。わたしたちはふたりともサンタからプレゼントはもらえない。それに、サンタの見える年頃はとうの昔に過ぎている。  駅前の雑踏に足を踏み入れると、ギター片手に一生懸命クリスマスソングを歌っている青年がいて、気まぐれに足を止める。 『そんなこと自分でわかってる』  まさにその通り。わたしは彼に会っていい人間じゃない。こんなことを続けて、その先を期待してバカみたいだ。サンタに願いたいことはひとつだけ――。 「ごめん、待たせた?」  突然、肩を叩かれて驚いて振り返る。そこにはまだ二十代前半の、ひょっとしたら学生なのかもしれない男の子が息を切らして立っていた。吐く息が白い。 「あの、ひと違い……」  彼はわたしの肩に手を置いたまま、顔をまじまじと見た。そんなに真面目に見なくても自分の彼女くらいわかるでしょう、とムッとする。あなたの彼女は若い子だろうけど、わたしはもうアラサーの、肌のキメが気になる年頃なの。じっくり見られるのは本当に困る。 「ああ、ごめんなさい。後ろ姿が似てたもので」 「いえ、いいんです。気にしないで」  その日のわたしの服装はグレーのコート。髪だってよくあるセミロング。髪色だって特徴的ではない。どの辺を彼女と間違えるのかと思うとなぜかひどくイラッとした。好きな子の後ろ姿なら、よく似た服装の人だとしても間違わないはずだ。もっとよく、自分の彼女を見たらいい。  謝ったあと、青年はなぜかすぐに立ち去らなかった。変なの、と思う。じゃあ、と先に行こうとすると彼は口を開いた。 「あの!」  仕方なく振り返る。彼はわたしの肩に今度は触れようとしなかったけれど、わたしを再度呼び止めた。困惑する。 「あの、人違いとか嘘で。よく、僕のバイト先のコーヒーショップに来ませんか? あのビルの1Fに入ってる……」  ――ああ、あの店。会社から近いのでお昼休みや仕事帰りによく行く。あの店のバイトの子だったんだ。いつも、ひとの顔なんて見てないからわからなかった。 「わかんないですか、やっぱり……」 「ごめんなさい。わたしって視野が狭くて」  いえ、と彼は小さく言った。彼を知らないことがなんだかすごく申し訳ないような気がして、行くに行けなくなってしまう。まぁ、いいか。別に用事はないし。さっきのクリスマスソングの演奏が終わって、人混みからまばらな拍手が聞こえる。 「今日は誰かと約束がありますか?」 「……いいえ」  ある、と言えばいいもののバカ正直に返事をしてしまう。誘われてる。彼はものすごく恐縮していてうつむいている。そんなに下ばかり見るくらいなら誘ったりしなければいいのに。わたしだってバカだ。声をかけられていつまでもここにいる。バカなんだよ、と自分に言って聞かせて踵を返す。 「あの! コーヒーだけでも一緒に。お願いします」  ギョッとするような大きな声でそう言うと、彼は限りなく90度に近い形でお辞儀した。周りの人もどことなく、わたしたちを見ているような気がする。居心地が悪い。早くこの場を立ち去りたい。 「あの。……予定がないなら」 「わかったから。予定は無いし、こんなに寒いところでふたりして立っているのもバカみたいだし、いいわ、コーヒーくらいなら」  駅ビルにあるスタバに向かった。  そのスタバはガラス張りになっていて、ビルの3Fからは街を行く人々と駅前の大きなクリスマスツリーが目に入った。少し並んでようやく席に着く。窓際のカウンター席に横並びに座る。 「ごり押しみたいになっちゃってすみません。僕はあの店であなたを度々見かけて、その……客とバイトという立場じゃなくてあなたとコーヒーを飲みたくて。いつも大抵、おひとりだし、もし、あなたに恋人がいなければいいなってずっと思ってて」  なるほど。わたしが『おひとり様』だといいなと思ってたわけだ。それは半分叶っていて、半分不正解だ。それにしても、わたしを誘うなんて。いままでモテた覚えなんて一度もない。 「どうして?」  彼は大きく目を開いてわたしの顔を見た。改めてよく見ると、目じりが少しだけ下がったやさしい顔をしていた。 「ひとりでいらっしゃることが多いじゃないですか。その……コーヒーを飲んでる横顔が、失礼かもしれませんがふっとさみしそうに見えて。コーヒーを注文する時には僕なんか届きそうにない大人の女性の笑顔を見せてくれるのに、本当はそれだけじゃないような気がして。忘れられなくなっちゃって。後ろ姿で見分けられるなんてちょっと気持ち悪いですね」  コーヒーをゆっくり傾ける。そんなことなんでもないわというふりをする。だってそう、わたしは彼より経験を積んだ大人なんだから足元を見られるわけにはいかない。 「思っていたのと実際とじゃ違うでしょう?」 「それはどうかな? 正直、まだわからないです。でも、クリスマスイヴにあなたと少しでもふたりで過ごせるなんて、すごくラッキーだとは思う」  わたし、そんな価値ないわ、と口に出しかけて慌ててやめる。そういうところから本音がぽろっとこぼれてしまう気がして、言葉を飲み込む。 「ねぇ、あのツリーって寒々しくない? なんで青いのかな?」 「そうですか? 寒々しくなんかないですよ。僕はあなたに似ているなって、似合うなっていつもバイトの帰りに見上げてました。さみしげで、それでいて大人の女性で。すっと真っ直ぐに立っている。キレイです。街の中にいても汚れてない感じがする」  そう、とわたしは答えた。両手でカップを包むように手にすると、中途半端な長さの髪が顔に流れてくる。あのね、わたしね、本当は――。 「これからもたまに誘ってもいいですか? なんて、ダメかな」  恥ずかしそうにそう言う彼の顔がガラスに映る。でも、わたし、本当は。 「わたしなんてオバサンだよ?」 「きっとそんなに歳は変わらないと思いますよ。僕、童顔で年齢通りに見えたことないから」 「そうなの?」 「そう。恥ずかしながらわけあってこの歳で大学に通ってるんですよ。取りたい資格があって。学生なんかやってるから余計若く見えるのかもしれない」 「そうなんだ」  隣に座る彼の話を聞いていると、次第に知らない人ではないような気がしてくる。新しく入ってくる情報が、彼を知っている人に変えていく。それは不思議な感覚だった。  そうしてわたしたちはしばらくコーヒーを飲みながら話を続けた。わたしはほとんど話さずに聞き役に徹して、彼はどんどん打ち解けて自分のエピソードを面白おかしく話してくれる。ひょっとしたら、わたしが話したくないことばかりの毎日を送っていると何となく通じてしまったのかもしれない。だってあの店で笑顔だったことなんてない。 「よかった。少しは面白かったかな? 表情が、僕が今まで見たくて見られなかったくらい和らいでいますよ。ずっとこうしてみたかったんだ」  コーヒーを飲み終わると、彼はペーパーナプキンに名前と電話番号とアドレスを書いて渡してくれる。 「いきなりライン交換してくれとか、そんなに急じゃなくていいんで。とにかく、今日が僕にとって素敵な日になりました。サンタに感謝だな。ありがとうございます」  彼はまた頭を下げた。だから、そんなに価値のある女じゃなくて。つまらない男に見切りをつけられなくていつまでも振り回されている情けない自分。 「それじゃ」 「待って! ……お店で会ったら声をかけても平気?」 「大丈夫です。けど、混んでる時は挨拶だけになっちゃうかも」  人混みの中に消えていく後ろ姿を見ている。不意に、寒々しかったツリーの光がまばらに点滅して賛美歌が流れる。電飾が歌ってるみたいだ。  その賛美歌を背にして駅の改札に向かう。電車に乗ったらとにかくラインしよう。そしてもうバカなことはやめて、自分が好きになれる自分になろう。彼の言葉を真に受けたわけじゃなくても、さみしそうな女だと思われないように今度はコーヒーを飲みながら微笑んでみよう。  今夜、あの人の連絡先を消去したらわたしは少し泣くかもしれない。それでいい。いままでのわたしに同情したっていいはずだから。そして泣き止んだら新しい連絡先を登録しよう。  ホームに電車が入るというアナウンスが流れた。 (了)
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