2人が本棚に入れています
本棚に追加
それからの僕は、頑張った。テレビに「藤岡弘、」をキーワード登録して、彼が出演している番組をすべて録画、メモを取りながら、何度も巻き戻して見た。
筋トレを始めて、近所の柔道場にも通うようになった。藤岡弘、になりたいんです! と正直に言うと、ちょうど仮面ライダーをリアルタイムで見ていた師範が本気になって、僕に稽古をつけてくれた。
身長をあと十二センチ伸ばしたくて、牛乳をがばがば飲んでいたら、腹痛を起こして学校を休んだりもした。
まだ完璧な藤岡弘、とは言えないが、僕にはタイムリミットが迫っている。そう、中学卒業という期限が。
卒業式の前日、僕は千里子さんを裏庭に呼び出した。髪をくるくるにしたり、眉毛を太くするのは姉がやってくれた。
「どこに出しても恥ずかしくない、藤岡弘、よ!」と太鼓判をもらえたので、僕は千里子さんと自信を持って相対する。
彼女は僕の顔を直視せず、時折小刻みに肩を震わせている。
「あの、松浪さん」
「は、はい。何かな?」
僕は胸を張って、千里子さんを見つめる。彼女は頬を膨らませたりすぼめたりと、なんだか動きが忙しなかった。
「僕は……」
言いかけて、早口になりそうなことに気づく。違うぞ。藤岡弘、はどんなバラエティ番組でもゆっくり落ち着いたいい声で喋るんだ。
残念ながら僕の声は割と甲高い。できる限りの重低音を響かせるように努力をする。
「僕は、あなたのことが好きです。付き合ってくれるかな?」
赤いマフラーが世界で一番似合う、勇敢な男……藤岡弘、になったぞ。だからお願い、付き合って!
「ご、ごめんなさい……私、中原くんのことは、友達以上には見られないの」
えっ。
……振られた。
藤岡弘、なら、女の子に交際を断られたときに、どうするのが正解なんだろうか……。
僕は思わず、素の自分に戻り、
「でも、赤いマフラーが似合う勇敢な男がタイプだって、言ってたから……てっきり、藤岡弘、だと」
それを聞いて、千里子さんはとうとう、ぶふーっと噴き出した。さっきから変な顔をして、僕のことを見ようとしなかったのは、笑うのを我慢していたからなんだね。いいよ、思う存分笑ってくれても。
「やだ、似てる!」
ひとしきり彼女は笑ったあとで、自分の好みのタイプについて訂正した。
「私が好きなのは、仮面ライダーじゃなくて、ハリー・ポッターよ」
「ハリー・ポッター……?」
っていうとアレか? 眼鏡でおでこに雷マークの傷がある、魔法使いの少年。千里子さんは、そうだと頷く。
何度も金曜ロードショーで見たハリーの姿を思い浮かべる。
「いや、あれ赤いマフラーっていうか」
赤と黄色、同じくらいメインカラーじゃんか!
呆然とする僕をよそに、ケラケラと可愛い笑い声をあげ、「本当にごめんなさい!」を連発し、千里子さんは戻って行った。
がっくりと膝をついた僕は、どうすんだよ、このパーマ……と、うなだれてしまったのだった。
高校に入学後、藤岡弘、の物まねを披露したのがきっかけで、可愛い彼女ができるのは、また別のお話。
最初のコメントを投稿しよう!