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香晴が家族になり、妹の海が産まれてから一年後、中学入学と同時に転校したノアは、住み慣れた街から電車で二駅離れた都会で暮らし始めた。 都会とは言っても、比較的というだけで、精々大きなショッピングモールなど、以前よりも遊び場が多少増えたくらいだったのだが。もっと中心街の方へ電車で三十分ほど行けば、そこは若者たちが行き交う本当の都会があると聞く。
そして、引っ越したばかりの春、心地よい晴れ間が広がる空の下で、ノアは一人、電車に遅れまいと急いでいた。
「やば、あと五分」
新学期を迎えたばかりの休日、小学校時代の友人と母校に集まって遊ぶ約束をしていた。友人の中ではノアだけが引っ越したために、自分だけが遠方から駆けつけることになるのだが、母校にしたいと言ったのは自分だ。
普段は遅刻とは縁がないのだが、今日に限って海が酷くぐずり、ノアが出て行くのを嫌がったために、相手をしているうちにこんな時間になった。
年の離れた妹は可愛くて仕方がない。よって不可抗力で、同級生は「出たよ、兄バカ」と言って笑って許してくれるだろうが、急がないわけにもいかない。
「ちょっと君、危ないよ!」
「すみません!」
駅に駆け込むと、ちょうど今にも発車しかかっていた電車を見つけ、全力で走って乗車する。その際、注意してきた駅員に返事をすると同時にドアが閉まり、電車は動き出した。
呼吸を整えながら扇ぎ、汗を乾かしていると、目の前の座席に座った青年に目が留まる。
青年は女性がするように手鏡で自分の髪型などをチェックしているようなのだが、何しろ見ている時間が長い。普通ならばナルシストだと思ってドン引きするところなのだが、その日に限ってはどうしてか強く興味を引かれてじっと見つめてしまっていた。
「まもなく〇×駅に到着します。危険ですから――」
アナウンスが目的の駅名を告げた時、我に返って青年から目を逸らしかけたその一瞬、手鏡からようやく顔を上げた青年とまともに目が合った。
「……っ」
それはほんの一瞬のことだった。一瞬さえなかったかもしれない。それでも、その僅かの間に青年の美貌の虜になってしまい、呼吸をするのさえ忘れかけた。
高鳴る鼓動を鎮めようと努めながら振り返ると、青年はまた手鏡の中の自分に没頭していたために、顔が見えづらくなってしまったが、制服でどこの生徒か調べようと記憶に刻みつけた。
そのせいか、発車の合図を聞き逃して次の駅まで行くことになったのだが、青年と少しでも長く同じ空間にいられて寧ろ幸せだった。
その出会いから程なくして、青年が近隣でも有名な私立中学の三年で、神澤青空という名前だということを知った。ハイスペックなイケメンだが、ナルシストで自分以外には興味がないからやめておけと友人には止められたが、かえってそのお蔭でフリーだという嬉しい利点があり、大した障害に感じなかった。
しかし、ストーカーまがいに神澤の中学まで押しかけたりもしたが、部外者だということで追い出され、不審人物扱いをされたりした。そして運よく電車で会って声をかけてみたりしたのだが、冷たい目を向けられて無視させてしまった。
そんな散々な目に遭いながらも諦められずにいた時、風の噂で(ストーカーレベルの情報網で)神澤が進学校の中でも有名な海里高等学校を受験することを知り、死ぬ気で勉学に勤しんだ結果、念願の入学式を迎えたのだった。
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