4 事件

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4 事件

 4月の最後の週、部活動紹介が体育館で行われた。様々な趣向を凝らし、時に格好良く、時に面白く紹介されて行く中で、演劇部は一段と特殊だった。  その時まで知らなかったのだが、砂川は生徒会長と演劇部の副部長を兼任していて、ナルシストで有名な部長の神澤よりも遥かに絶大な人気誇る。そのため、登場するだけで会場は黄色い歓声で埋め尽くされた。  その上、演目がかの有名な「ロミオとジュリエット」になぞらえた男同士の禁断物ときたせいか、尚更会場は盛り上がる。  しかし、その中でも特に神澤の演技は一級品で、騒がしかった空気も途端に静まり返った。悲劇的な結末は原作通りだったが、あちらこちらからすすり泣く声が上がるほどで、ノアもまた思わず涙ぐんだ。  最後に出演者で一列に並んでお辞儀をした時、神澤の勇姿を写真に収めたくてたまらないのをかろうじて堪えた。  なんでも、砂川や神澤を筆頭に、何故か美男美女が多い演劇部は隠し撮りが相次ぎ、悪用されたことがあって以来は基本的に撮影禁止にしているらしい。  退場して行く神澤を目で追い、今すぐにでも感想を伝えて写真を一枚でもせがみたくてたまらないのをぐっと堪えていると、ちょうど一時休憩の時間になった。  部活動紹介は強制参加ではないため、ちらほらと会場を出て行く生徒もいる。ノアもまたその流れに乗ることに決め、神澤の姿を探した。  体育館を出てすぐ、演劇部の部室の前に人だかりができていた。主に女子生徒が多いようだが、男子生徒の姿もある。  そして、その中心に笑顔を振りまく砂川と、青い顔をした神澤が見えた。なんだか具合が悪そうだ。  原因を探ろうと近付くにつれ、ぷんと鼻につく強い匂いがして、とっさに手で鼻を覆った。この匂いは、まさか。  多勢が密集していて匂いの出処は分からないが、見回して周り中が小柄な生徒ばかりなことに気が付く。  もし、この中にフェロモンを発している人間がいたら、それに釣られて周りに伝染するように広がりはしないか。あるいは、獰猛なαが現れて惨劇に至ったりはしないか。  恐ろしい予感に駆られ、早く神澤の元へ行かなければならないと直感が訴えるままに、人垣に突進した。 「どいてください!どいて!」 「何なの、あんた。順番なんだから並んでよ」 「それどころじゃないんです!この中に抑制剤を飲んでいない人が……」  大声で叫んだ時、視界の端に見覚えのある人物が見えた気がした。目を向けると、その人物はおさげの頭を揺らして笑っていた。 「あっお前……っ」  咄嗟に女を追って捕まえようとするが、届かない。女はするすると人垣をすり抜けて前へ進み、ついに砂川と神澤の元へと。  その瞬間、すぐには何が起こったのか分からなかった。顔色を悪くしていた神澤が不意に獣のような唸り声を上げ、女に掴みかかったまでは分かる。  そして、辺りに満ちた悲鳴。 「神澤先輩!」  最悪の事態を信じたくない一心で、悲鳴に掻き消されないように絶叫した。  すると、自分の声が神澤に届いたのか、彼が動きを止めて顔を上げる。それと同時に人垣が割れ、ノアは急いで神澤の元へ駆け寄った。 「ノア……君……」  野生の獣じみた欲望の塊の目で見つめられ、本能的に後退りそうになるのを堪えて神澤の腕を掴む。引っ張って橋場から引き離す際、シュッと何かが吹き付けられる音がして、辺りに花のような香りが広がった。  振り返ると、砂川がハンカチで口元を覆いながら、香水のような物を振りまいている。 「抑制剤ほどの効果はないけど、多少はその効能を混ぜてある。ないよりはマシだからね。さ、早く青空を連れて行って。俺も先生を呼んでくる」 「はい。先輩も気を付けて」  騒然とした中、砂川に縋りつこうとする橋場が取り押さえられているのを尻目に、神澤を連れてその場を後にした。  ふと東條の姿がないかと見回してみたが、どこにも見当たらなかった。   人気のない廊下へ来たところで、ギリッと音がしそうなほど強く神澤に腕を掴まれる。  引っ張っていた方の腕だったので、離して欲しくて抵抗しているのかと思って力を緩めたが、逆に強く腕を引かれて、絡め取られるように上体が神澤の方へ倒れ込んでしまう。 「神澤せんぱ……っ」  驚いて腕の中でもがこうとするが、より一層きつく抱きすくめられ、かと思うと、肩口に顔を埋められて、肌にかかる吐息に鼓動が乱れた。 「……はぁ、はぁ……」  神澤は荒く息をつきながら、ノアの襟元を寛げ、ネクタイを引っ張って解きにかかると、現れた肩にむしゃぶりついた。 「……っ」  初めは、味わうようにぬるぬるとした感触が往復し、舐め回されているという事実にぎょっとして腰が逃げようとした。それでも、何度も繰り返されるうちにむず痒いような何とも言えない感覚が込み上げてきて。 「……っぁ、……くっ……」  咄嗟に強く唇を噛み、漏れ出そうになった声を押し殺すが、伸びてきた神澤の手が股座を漁ってきてカッと頭に血が上る。それは当然怒りのためではなく、興奮したためで、無意識に腰を神澤の手に押し付けるように動かしていた。 「ん……っあ……」  神澤が股の間で兆し始めたペニスを掴み、やわやわと揉みしだいてきた時、ぶわりと彼の体から立ち昇る香りが強くなる。まるで麻薬のように病みつきになりそうなその匂いは、着実に理性を崩壊させていく。 「……っ……つぅ……」  竿を上下に扱かれて、あまりの気持ちよさに身を震わせた時、肩に鋭い痛みが走り、飛びかけた理性が舞い戻ってくる。  歯を立てられたのだと気付き、一瞬慌てそうになったのだが、考えてみればΩではない自分はそうされても何の意味はない。意味はないのだが、正気ではないとはいえ、神澤に番の印を刻まれたようで喜びさえ感じた。 「ノ……ア君……?」  噛み付いた跡を労るように舐めながら、神澤が困惑したように声を上げる。知らず知らずのうちに柔らかく彼の頭を撫でていたことに気が付いたが、辞めようと思わなかった。  そうしてしばらく大人しく頭を撫でられていた神澤だったが、呼吸が安定したところでばっと後ろに飛び退った。 「ご、ごごごめん。俺、今何かっ、何かしてたよね?」  赤くなって慌てて謝ってくる神澤は完全に正気に返ったようで、先程のような欲望は片鱗も窺えない。  中途半端に熱が残ったままのノアは悔しいような気になって、意地悪を言ってやりたくなった。 「ええ。危うく裸に剥かれて突っ込まれるところでした」 「ええっ!?裸っ……突っ込……」 「いくら正気を失っていたからとはいえ、何の好意もない相手に、しかも同意なく襲うなんて……。ぅう……酷すぎます……」  大げさに言ったところで、服が大して乱れていないところを見ればすぐに嘘だと見抜かれるだろう。そう分かっていながらも、言い募るうちに自分の言葉に傷付き、本当に悲しくなって涙が出てきてしまった。 「ノ、ノア君……」  おろおろしていた神澤だったが、突然がばっとノアを抱き締めた。 「っ……え?」  驚いて涙が引っ込むと、今度は神澤の体温と、優しく慰められるように撫でられる感触に赤面してくる。それと同時に、罪悪感にちくちくと刺された。 「あ、あの、先輩、ごめんなさい。俺……」  正確には嘘ではないのだが、事実より誇張して言ったことを謝ろうとしたのだが。 「ごめん!俺、生まれつきΩのフェロモンに当てられやすくて、そのせいで昔過ちを犯しちゃって。だから恋愛とかしたくないと思ってて、特にΩには近付かないようにしてた。そうやって今までうまく距離を取ってたから、危険に対する意識とか、そういうのが鈍っていたみたいで。そのせいでこんなことになってしまって、本当にごめん」 「先輩……あの、俺もごめんなさい。そうとは知らず、大げさに言っちゃって。本当はちょっと肩を噛まれて触られただけです」 「そっか、でもノア君を傷付けたのは事実だし、俺にできることなら何でもするよ。だから、俺のこと嫌いにならないで」  縋るような目で言われて、勘違いしかけたが、「恋愛をしたくない」という言葉が引っかかり、手放しで喜ぶこともできない。むしろこれは友人としてという意味で、振られたのと同意義なのだろうと思い、泣きそうになるのをぐっと堪えて言った。 「じゃあ、一つお願いがあります。俺を先輩の一番の友達にしてください」
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