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出会い
ナズナが考えたのはこういうことだ。
その貴族本人に弱みがなくとも、愛娘の弱みを握ることができれば、間接的にその貴族を脅せるかもしれない。
とはいっても、ムスカリは外に出ることもほとんどなく、出ても庭に出るくらい。
しかも、隣には誰かしら介助者が付き添っていた。
しばらく、遠巻きに観察していたが、依頼者が喜ぶような弱みは出てきそうになかった。
思ったような成果が得られず、ナズナには焦りがあった。
こんまま何の成果も得られなければ、罰を受けるのはナズナだ。
弱みが見つからないなら、弱みを作るくらいしなければならない。
夜中に、ナズナは、そっとムスカリの部屋へと入った。
ムスカリを犯すためだった。
貴族の娘が、ならずものに手籠めにされた。
見知らぬ男の子供をはらんだ。
そういった事実は、貴族にとって確実に傷となる。
そして、そういった事柄は、何故か、隠しても周りへと知られてしまうのだ。
今までも、そうだった。
ナズナにとっては、いつも通りの気の乗らない仕事だ。
まずは、眠っているムスカリの口をふさぎ、声を出せないようにしてから、妊娠を促進する薬を膣に塗り付け、犯す。
部屋に侵入しさえすれば、後は誰にでもできる流れ作業だ。
貴族の屋敷に、ばれずに侵入できるのが、ナズナくらいしかいない。
だから、ナズナがやるだけの話だ。
体が透明でなナズナは、誰の目にも映らない。
街を歩いていても、廊下を歩いていても、こうして部屋に入っても。
ナズナを認識する人間はいない。
もしも、ここでナズナが死んだとしても、ナズナの透明な死体に気付く人間はいないだろう。
ナズナが死んでも、世界は変わらない。
それは、ナズナが生きていても同じことだった。
ムスカリの寝顔を覗き込む。
かわいらしい、幸せそうな寝顔だった。
ナズナの体が透明でなければ、この部屋にはいれなかっただろう。
ナズナが今からムスカリを犯すのは、ナズナが透明だったからだ。
「恨むなら。俺から姿を奪った神様を恨んでくれ。俺の分までな」
実際に、口に出すわけにはいかない。
心の中だけで、ナズナがつぶやいた時、ムスカリの瞳がカッと開かれた。
一瞬だけ、ナズナは緊張で硬直した。
けれど、すぐに、自分の体が誰にも見えない透明な体であることを思い出した。
そもそも、ムスカリは目が見えない。
仮に、ナズナが透明でなかったとしても、その瞳が侵入者の姿をとらえることはない。
ナズナが、緊張を解いた。
そのタイミングで、ムスカリが、口を開いた。
「やっと、二人きりになれたわね。
ところで、貴方は、妖精さん。精霊さん。それとも幽霊さんかしら。
私以外には、見えていないみたいだけど」
その言葉に、ナズナは息をのんだ。
自分の存在を悟られる。
諜報者として、致命的な失態の瞬間にナズナが感じたのは、恐怖よりも、叫びだしたいほどの歓喜だった。
生まれてから、初めて、母親以外に姿を認識された。
どちらにしろ、自主的に出てこなければ、ナズナが認知されることはない。
ナズナ自身が声を上げない限り、いないものとして扱われ続ける。
「あら、驚いてるのね。
でもね、私も驚いたのよ。家に知らない人がいるのに、誰一人気付かないんだもの。
それでね。思ったの。
この人は、私だけに分かる妖精なんじゃないかって。
どう?当たってる?」
そう言って、笑うムスカリは、言っている本人こそが妖精のような可憐さを持っていた。
「あっ、ごめんなさい。
自己紹介がまだだったわね。
私はムスカリ。盲姫なんて、陰では呼ばれてるわ。
私はね。生まれつき目が見えないの。
でも、その分耳がいいから、悪口はすぐに聞こえちゃう」
いたずらっぽく言って、ムスカリは続ける。
「妖精さん。貴方のお名前は」
ムスカリの瞳は、何一つ光を映していない。
窓から入る月明かりは、いつもどおりに、ナズナの透明な体を透過して、床を照らしている。
それなのに。
それなのに、ムスカリは、ナズナを見て、ナズナの名前を聞いた。
「ナズナ。俺の名前は、ナズナだ」
諜報員として、盗賊ギルドとして、最悪の選択をナズナはした。
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