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トントン、といきなり肩をたたかれて振り向く。そこにいたのは一人の男性だった。ぱっと見二十代前半の彼は、俺の顔を見て、ぱぁっと笑顔になった。
「あの、寺内先生ですか?」
「…ああ。そうだけど。」
答えながら、あぁと心の中でうめき声をあげる。くそっ、年末に大型ショッピングセンターに行くなんていうバカみたいなことをするんじゃなかった!飛んで火にいる何とやらってやつじゃないか!
俺は、もうかれこれ三十年ほど小中学校の教師をやっている。
必然的に、担任した生徒の数はかなり多い。そんな俺にとって最も怖いのは昔担任していた生徒に話しかけられることだ。年のせいも相まってか、最近、生徒の名前がすぐに思い出せない。だから話しかけられても誰なのかわからない。顔が変わってる奴だってざらにいるからなおさらだ。
いっそ、「あなたは誰ですか?」と聞けたらいいのに。しかし、教師をやっている以上、生徒に、自分の名前が忘れられているなんて気づかれたくない。
そんなの、俺のプライドが許さない。
さあ、これからこいつの名前を当てるための質問を始めようじゃないか。
名前を憶えていないことに気づかれたら当然アウト。できるだけ少ない質問で相手の名前を探り出さなければならない。ギャンブルのような緊張感が漂う。
「久しぶりだな。元気にやってるか?」
「はい。怪我をしてサッカーはやめてしまったんですけどね。」
とりあえず挨拶から始めると思わぬヒントを得ることができた。おそらくサッカー部だ。今頃は二十代であろうサッカー部の面々を思い浮かべる。
次は、友達で攻めよう。
「今も会ったりする奴もいるのか?」
「そうですねえ、今村とかちょくちょく会いますよ。ほら、サッカー部のキャ
プテンやってた。」
「ああ、今村か。懐かしいなあ。あいつも元気か?」
「はい。あいつはまだサッカーやってますよ。」
今村、か。サッカー部の期待の星だったもんな。幸か不幸か今村のことは覚えている。よし、これで学校と学年は分かった。今村と仲が良かった奴ってことも。あの学校のサッカー部は比較的人数が少なかった。今村と特別仲が良かった奴…。三人ほど名前が挙がる。時田、日暮、桐生。目の前の彼をもう一度見る。黒くてストレートな髪。でも、少し寝癖がついてる。たぶん、地毛でストレートなんだろう。160後半くらいの身長。それと言って特徴のない顔立ち。
桐生は違うと思う。あいつはかなりくせっ毛だった。おそらく、時田か日暮。
あぁ、と本日何回目かのため息をつく。時田と日暮。この二人は卒業間際にクラスを巻き込むほどのケンカをし、そのまま卒業していった。ケンカの理由はわからないがいつも一緒にいて容姿も似ていてまるで双子みたいなやつらだったからかなり衝撃を受けたのは覚えている。あ、そういえば二人には見分けるコツがあったんだ。確か、前髪を触る仕草。それをするのが時田だったはず。
でも、今のところそんな様子はない。ってことは、日暮か?
「先生は、今はどこにいるんですか?」
考えていると、今度は向こうから質問された。
「今は西山中学校にいるんだ。ほら、かなり山のほうの部活が強かった学校。
覚えてるか?」
「あー、試合で負けた学校ですね。あれは悔しかったなぁ。」
この会話からは何の情報も得られなかった。気を取り直して時田と日暮の違いを思い出す。えっと、確か日暮には兄弟がいたな。上と下に一人ずつ。
時田は年子の姉がいた。よし。
「兄弟は…」
最後の質問を繰り出したその時、彼の電話が鳴った。すみません、と頭を下げて彼が電話に出る。
「ごめん、今、知り合いの先生に会って。…、ごめんって。いま、どこ?…」
返事を聞く限り、どうやら人を待たせてるようだ。
数分後、通話を終わらせた彼は俺に向けて苦笑いをし、
「すみません。連れが待ってるみたいで。先生ともっとお話ししたかったんですけど…。」
「大丈夫だよ。人を待たせてるなら行かないとだよな。」
「ありがとうございます。また今度、ゆっくりお話ししたいです。」
それでは、と言い彼は小走りで反対方向に行ってしまった。
よかったぁ。緊張感から解放され、ほっと息をつく。今日も、何とか乗り切った。よし、もうこんな目に合わないようにとっとと帰ろう。
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