SIDE : Hiroki

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SIDE : Hiroki

■SIDE : Hiroki  その日は雨だった。  しとしと、という表現がまさにぴったり来る降り方の雨。  相変わらずのレンガの街は寒さを一層際立たせて、道行く人のコートの襟を立たせてたたずんでいる。降り方はさほどではないために壁と道の湿り方の色が多少違っている中、雨は降り続いていた。厚い雲の昼下がり、時間の止まったような錯覚さえ起こさせた。  譲は学会準備と称して数カ月前からこの街に移り住んでいる。今日も散歩と称した本屋通いに出かけていた。いくつかの雑誌と文献を手にしながら、帰ったら極上のコーヒーを淹れて飲みながらじっくり読もう、などと考えながら歩いていると、レンガが動いた。  思わず目をやってしまう。  まさか、レンガが動くはずはない。慌てて目をやると、路地で人がもたれかかるようにして座り込んでいた。レンガが動いたと思ったのはこの髪の色がなんとなくそんな錯覚を起こさせたらしい。こんな雨の中傘もささずになにをしているのだろうか。浮浪者にもみえないし……。純粋な好奇心だった。 「おい、君、大丈夫か?」  うなだれて街並みと同化しようとしていた女は顔をあげた。 「あ……?」  まさか声をかけられたのが自分だというのが信じがたい、というような顔をしながら彼女は譲を見返した。手には指輪をはめている。これはペアリングのたぐいだろう。ということは『誰か』と当然なんらかの接触があった後こういう状況にいるわけで、その割には薄汚れた格好なのはどうにも解せない。 「君、どうしたんだ? こんなところにいると風邪をひくぞ」  傘に半分入れてやりながら譲は更に彼女を観察する。なにか声をかけるたびに彼女は『誰か』を探すような仕草を見せる。リングの片割れか……? それにしてもこの行動は……? 「あ、マスター、は……」  聞き取れるかどうかの小さな声でぽつり、と彼女はつぶやいた。 「君、サーカロイドか」  こくり、と彼女はうなずく。これは、この状態は『まとも』ではない。『マスター』という表現を使ったから、彼女はきっとCスクェアだろう。主を無くして茫然自失としてでもいるのか。それにしては様子が少しおかしい。 「君、立てるか?」  そう言って『彼女』に肩を貸してやりながら立ち上がらせる。『彼女』はメンテナンスが必要だ。メンテされなくなってどれだけ経つのか譲にもわからないが、とにかくセンターに連れていくことが先決だ。 「センターにいくよ、いいね?」  無表情のままこくりと頷く『彼女』を促す。  買った本を濡れないようにしっかりとコートで覆いながら、ふたりは歩き出した。 「ドクター大塚 守を呼んで頂けますか」  サーカロイドセンターの受付で、譲は友達を呼び出した。その方が手続き関係が楽に進むと考えたからである。  ロビーで待たされること十数分、守は姿を現した。 「やぁごめん、待たせちゃったね」  あいも変わらずの物腰の柔らかい笑顔で譲を迎えてくれる。 「なんだ、俺からお前のオフィスに行こうと思っていたのに」 「ついでがあったからね。どうしたんだい、珍しいじゃないか。連れの女の子は? 具合が悪いようだけど、医者には見せたの?」 「それがどうもこいつサーカロイドらしくてな、調子が悪そうだからお前に見てもらおうと思って連れてきた」 「ご指名って訳かい? じゃあ僕のオフィスより診察室の方がいいね。ちょっと待ってて、部屋とってくる」  そう言ってにっこり微笑むと守は廊下の奥に消え、すぐに現れた。 「ラッキーだったよ、今日は空いててね。さ、いこうか」
  守は笑顔ではあったが、彼女を見る目が既に専門家のそれになりつつあった。 「マス、ター」  検査中、たまに守に向かって『彼女』はこう呼びかけた。 「どうしたんだい、僕の声、似てるかい?」  そう笑いながらキラリと瞳の奥を輝かせながら守は検査を進めていく。 「かかりそうか」 「今日は大体のところを見るだけだからそんなにはかからないよ」 「こいつは治るのか?」 「まぁね、今の技術なら基本機能は完璧に元通りさ。インプットされてる技術もね。ただね、譲、君も気づいてるとは思うけど、彼女はCスクェア分類のサーカロイドだから、機能回復にかかる金額が通常の比じゃないよ。それに、回復できてもCスクェアだから完全に君のものにはならないから、やめておいたほうがいいんじゃないかな。一般的な話し相手にはなるかもしれないけれど、 あくまで彼女はカスタマイズされてるんだよ」 「それは問題じゃない。助手になるなら助手にしようと思う」 「金銭的な問題は?」 「それも問題にはしない。こいつが生きたがっているのなら、俺は治してやりたいと思うだけの話だ」  譲の目は凛として揺るがない。守はふう、と軽く息をついた。 「君は頑固だから」  わかったよ、という顔で譲に笑いかける。 「じゃあ、彼女のことをもう少し詳しく調べてみよう。端末になにか情報が載ってるかもしれない。数日預からせてくれるかな?」 「構わん。そのかわり、しっかり頼むぞ」 「了解」 「ところで、どうして君は彼女にそこまで入れ込むのか、聞かせてもらってもいいかな」 「昔の知り合いに似ている。おそらく本人のコピーだと思う。知り合いをむげにはできないだろう?」  譲は、後を頼むといって死んでいった綾香を思い出しながらセンターを後にした。                   * * *  十日ほど経った頃、守から連絡があって駆けつけてみると、『彼女』は見つけたときより、かなり生気のある顔つきで譲を見た。 「この度はどうもありがとうございました」  会釈して見せる。数日前に見たときはまるで死んでいたようだったのに、まさに『生き返った』とでも言う べき変化があった。しかし、常に誰かを探しているような視線の動きの癖だけは残ったらしい。胸にぽっかり穴でも開いてるようだ。 「……守、こいつのクセなんだが」 「あぁ、誰かを探してるようなクセだろう? おそらくマスターを探してるんだと思うんだ。どこをスキャンしても異常は見つからないんだけどね、治らないんだ。これはあきらめてもらうしかないね。それから彼女の名前だけど、わかったよ」  守は書類をぱらりとめくりながら譲に話しかける。 「端末に残ってたのか」 「一見した壊れ具合からして少々古いデータだろうと覚悟してたんだけどね、流石はCスクェアというべきか、残ってたよ。彼女は『アヤカ』。霧の星にいたようだね。そこでマスターが死亡、そこからどういう経緯でここまで流れてきたのかは記録に残ってないんだけど、霧の星ではかなりまめにメンテナンスされてたようだよ。だからこれくらいで済んでたんだな。それにしても、記憶の混乱が激しい。サーカロイドには信じられないくらいの記憶の欠落が見られる。人間で言うところの一種の記憶喪失だね。よほど辛かったんだろう、自分で当時の記憶をマスキングしてしまっているようなんだ」  哀れんでいるような瞳をして、守はアヤカを見た。 「マスキング?」 「デリートしたんじゃなくて、ブロックをかけたとでも言うのかな、そんな状態だね。忘れたい、でも忘れたくない、そんなジレンマでもあったのかもしれない。マスターによほど愛されてたんだろう」 「辛い目にあったんだな」 「優しくしてやってくれよ。さて、驚いたのはこの『アヤカ』、資産を持ってる。サーカロイドだから自分の維持費用を自分で稼ぐのは普通だけど、それだけじゃすまない額を持ってる。一財産だよ。これもさすがはCスクェアというべきなのかな? むだ遣いしないように気をつけてやってくれよ」  最後は笑って付け加えると守はアヤカを譲の方に行くよう促した。                   * * *  さて、今日から助手がふたりに増えるわけだが、まぁ、いいだろう。なんとかなるさ。  呑気に考えながら、今日新しい助手を連れて帰ってくるから、と言い渡しておいたもうひとりの助手が緊張しているかもしれない、なんてことはまったく考えずに、仲良くやるだろう程度に考えて、譲はアヤカを車から降ろした。顔を見れば新しい場所にも悪びれずに、笑顔を返してくる。カラ元気なのかそうでないのか は今の譲には判断がつきかねた。名前も知り合いと同じだから、予想どおりあの綾香のコピーに違いない。 「帰ったぞ」  ドアを開けると中にそう一声かけてアヤカを招き入れる。中から迎えに出てくる様子はない。まぁ、サーカロイドはメイドではないのだから別になにをしていようと勝手ではあるのだが、おかえりの一言くらいあったって、とまで考えて、譲は無愛想な『通称』助手の性格を思い出した。 「おい、新しい同居人がきたぞ、挨拶くらいしに出てこい」  玄関先でコートを脱ぎながら中に声をかけると奥からいらえがあって、なにやらごそごそと音がしてから同居人が出てきた。 「結構早かったな」 「迎えに行くだけだからな。ほら、こいつが今日からうちの同居人だ」 「……綾香」 「そう、名前はアヤカという。やっぱり、そうなのか?」 「……」 「ヒロキ、どうした」  ヒロキは言葉を忘れたかのようにアヤカを見つめる。彼女、アヤカは、はるか昔死に別れたヒロキのマスターとまったく、瞳の色も髪の色も、声さえも同じだった。しかし、反応からしてアヤカ はヒロキのことがわからないらしい。それはいいことなのか、悪いことなのか。マスターのことを忘れてしまったアヤカは、それでもヒロキを見ると嬉しそうに笑いながら挨拶をしてきたのだった。  ヒロキは、胸が痛んだ。  そして沸き上がる疑問。  コイツは誰だ……?  記憶の中のマスターは死んだ。なのに目の前にいるのは自分が作られた当時のマスターと同じでオリジナルにそっくり。 「はじめまして、ヒロキ?」 「……はじめまして、アヤカ」  握手が交わされた。  一方、アヤカといえば、こちらもヒロキを見たときからなにか頭の中で引っ掛かる感覚が続いていた。誰かに似ている。とてもよく知っている誰かに。誰かはわからないのが悔しい。ただ、この人と離れてはいけない。そんな気がする。それだけが大事。忘れちゃいけない、そんな気がする。  いわくありげなヒロキの態度は一瞬だった。その後はいつもと変わらない、無愛想な『通称』助手で、気が向くと手伝おうという姿勢をみせるものの、基本はただの同居人だからいつもはなにをやってるかなんてことは譲にはわからない。  そういえば、ヒロキもマスターを亡くしてたな、と譲はコーヒーカップを置いた。あの表情は似たような立場ゆえにみせたものだったのか、それとも……。おそらく理由はひとつではないだろう。 「譲、ちょっといいか」  そんなことを考えているとヒロキがやって来た。 「どうした?」 「ドクター大塚なんだが……、俺の方からアクセスしてみてもいいだろうか」 「……?」 「いや、問題があるのなら、やめておく」 「そんなことは言ってないだろう。面会予約とっといてやる。行ってこい」 「すまない」  考えに沈んだ表情のまま、ヒロキは部屋を出た。その後ろ姿を見送りながら譲はヒロキの指にも指輪があるのを思い出した。Cスクェアはカスタマイズされているという意味をもって指輪をしてるものなのだろうか? Cスクェアのサーカロイドなんてめったにお目にかかれる物ではないから、サンプルが少なすぎて判断が付けられない。              * * *  譲が面会予約をとっておいてくれたおかげで、さして待たされることもなくヒロキは守のオフィスに通された。 「やぁ、どうしたんだい?」 「アヤカのことなんだが」 「あの子がどうかしたの?」 「製作された年を聞いておきたい」 「……君と同時期だよ」 「そうか。それであいつはどこに?」 「霧の星にいたようだね」 「最後の記録はいつになっている?」 「三ヶ月前。アヤカを見たときはあんまりひどかったんで一年くらい前にマスターを亡くしたのかと思いもしたんだけど、そうでもなかったようだね」 「アヤカをメインでみていたマイスターは?」 「それはまだ。そうだね、記録を探してそう言った人にアクセスをとって見るのもいいね。それとも、ヒロキ、君にはなにか心当たりが?」 「……いや、そういうわけじゃない」 「霧の星。そこでアヤカは数年すごしていたようだよ」 「というと辺境か。そこのマイスターと連絡は取れないのか?」 「まだ取ってないな。記録にはイニシャルだけだったし」 「俺が連絡をとることは可能か?」 「じゃあ、今やってみるかい?」  守はそう言って端末を操作し始めた。 「マイスター探しからはじめないといけないかもしれない 。それは承知してくれるね? イニシャルからすると、僕の知り合いのドクターかもしれない。そうだとすると話は早いんだけどね」  ヒロキはただ無言で操作の結果を待つ。 「僕が参照したのは一年前の記録だったんだ。だから、もうマイスターは変わってるかもしれない。それにしてもよく彼女の記録が残ってたもんだと思ったよ。流石はCスクェアだね。彼女もよくメンテされてたようだし。あぁ、繋がったよ」  最後の言葉でヒロキは顔をあげる。 「お忙しいところすみません、こちら雨の星の大塚と申しますが、そちらに以前登録されていたサーカロイド・アヤカを担当されていた方は今でもそちらにいらっしゃいますでしょうか」  少々おまちください、とスピーカーから声が流れる。そしてしばらくすると守の端末にデータが表示されはじめる。それを眺めていた守は段々と晴れやかな顔つきになっていく。 「よかった、知り合いだ。案外情報が早く入手できるかもしれないよ」  そういって守はそのまま回線を繋ぎっぱなしにして端末の向こうとやり取りを始める。それをヒロキは黙って、なにをするでもなく見ていた。  アイツは誰なんだろう。  綾香にそっくりな『アヤカ』。おそらく自分と同じようにして、マスター同士が別れた後すぐに造られたのは間違いない。どうやら性格も反映されているらしい。そっくりな『アヤカ』。でも、記憶のないアヤカ。ヒロキを宏樹だと認識しない『アヤカ』は、綾香なのか? 別れて暮らしていた間、『アヤカ』はどんなふうに宏樹を見てきたのか。宏樹といた名残を見せない『アヤカ』はヒロキにとってひどく遠い。お互いのマスターとの思い出話などするつもりもないが、まったく出来ない、というのとでは訳が違う。  マスター・綾香を失ってから、ずっと探していた『わかりあえる存在』。それが目の前にいるのに、彼女は自分のことがわからない。想いは一方通行のまま、気づいてもらえもしないのだろうか。  そして、気づかないアヤカは、はたして綾香なのか?  いまのヒロキにとって、彼女はアヤカたりえない。綾香の形をした別人。それがヒロキを惑わせる。今すぐにでも、抱きしめたいのに……。  ヒロキはアヤカに話しかけるように顔を上げたが、すぐにうつむいてしまう。声はかけたいが、なんと話しかけていいのかがわからないのだ。 『アヤカ』と話が出来ないのはもどかしく、辛い。 「ヒロキ? なぁに?」 「いや、なんでもない」  辛さのあまり、素っ気なくしてしまうまま、アヤカに背を向ける日が続いた。しかし、『アヤカ』はヒロキをまったく気にするふうでもなく過ごしている。それがまた、ヒロキには辛かった。自分はここにいるのに、なにも言えない。  アヤカ、俺は、ここにいる……!  言葉に出来ない想いが頭の中で渦巻いてどうしようもなくなり、ヒロキはふう、と溜め息をついた。その深さに気づいたのかどうか、守は顔をあげると、 「ドクターと話をしてみるかい?」  とふってくる。当時を知る人間と話をすれば糸口が見つかるだろうか。守の申し出を受けてヒロキは端末の前に立った。 「どうも……」 「宏樹じゃないか! お前どうして!」  要が驚いて声を大きくするのに、ヒロキは冷静に端末に向かう。 「確かに、俺はヒロキだ、しかし、お前の言っている宏樹ではないだろう。俺は分類Cスクェアのサーカロイドだ。綾香につくられた」 「なに?」 「おそらく、マスター同士が別れなければならなくなったときに俺達を互いのかわりとしてつくったのだろう。でなければここまで一致するとは思いがたい」  淡々と話すヒロキに要は冷静さを取り戻す。 「お前、本当にヒロキにそっくりだな。だからお前の言うとおりなんだろう。お前達は、対のサーカロイドと言っていい。それで、『アヤカ』の様子がおかしいんだな? よし、俺がそっちに行こう。数日くれるか?」 「あぁ」 「ヒロキ」 「なんだ」 「なんとかしてみせるから」 「俺はお前の友人だった宏樹とは別の個体だ。そんなに気を使わなくてもいい」 「まぁそういうな。よしみって奴だ」  要は出張、と言い張って霧の星を後にしてシャトルに飛び乗った。なのに、せっかく駆けつけてきた要を目の前にしても、アヤカの反応は今ひとつだった。 「どこかであったことあるんだけど……、ごめん、思い出せない」  これがいまのアヤカにとって精一杯の台詞らしい。これには要も複雑な表情でアヤカを見るほかなかった。  要は必死になってアヤカのデータ採取を始めた。アヤカは不満を言いつつもなんとかおとな しく要につきあっている。休憩時間になっても、要は印刷されてきたデータを片時も手放さない。守はただ黙ってコーヒーを飲んでいる。これにはさすがのヒロキも驚いた。 「ドクター竜門、あまり根を詰めないほうがいい」  ヒロキはそういってふたりにコーヒーを渡してやる。呼ばれてこれまた複雑な顔をしてカップを受け取りながら要は口を開く。 「君にそういわれるのも俺は変な感じだよ、ヒロキ。要、とだけ呼んでくれるかな」 「了解した」 「見れば見るほどそっくりだな」 「俺はCスクェアだから。マスター・綾香がそうつくったんだろう」 「ということはオリジナルも外見はこのアヤカと同じ?」 「そうだ。俺が目覚めたときの綾香そのままだ」 「懐かしいかい?」 「……どうだろうか。よく、わからない」  ヒロキは目を伏せた。                   * * * 「ねーヒロキ、あたし、そんなにヘン?」  唐突にアヤカは言葉を口にした。 「いや、別に変という訳ではないと思うが」 「だってさー、みんなあたしの反応見てなんだか複雑な顔するでしょう? あたしが原因だってことくらいはわかってるから。……その、ヒロキもさ」 「なんだ」 「つらそうで。ごめん。あたし、なにやったんだろう……」 「謝らなくてもいい。お前は悪くない」 「ん……。あ」  なにかを見つけたような声を出してアヤカはヒロキの顔を珍しく直視した。 「なんだ」 「ヒロキの指輪、あたしのと似てない? それにほら、指輪の位置の収まりの悪さ。どう考えて も自分用に合わせたんじゃなくて、もらった指輪をはまるとこに適当につけているだけっていう感覚な指」  そういって嬉しそうに指を並べるようにして近づけてくる。合わせるようにして指を並べてやると、確かにそれは同じデザインで出来ており、それはいたくアヤカのお気に召したらしく、笑顔が浮かんだ。 「ほら、おんなじデザインでさ。ってことは、ペアリングってやつだね。ひゃー、照れる。あたしそんなのしてたんだ。てことは……」  そこまで言って再びアヤカの表情は暗くなる。 「ごめん、そんな、ペアリングなんての持ってる相手のこともわからないんだね、あたし。はまるところに適当なのは、多分私達が交換すれば丁度の場所に収まりそう」 「あまり気に病むな。ドクターふたりがついててくれる、大丈夫だ」 「サンキュ。うん、宏樹のこと、見たことあるとは思うんだ。ずっと近くにいたんだよね。それだけはわかる。ごめんね」  ヒロキはその言葉に、アヤカを思わず抱きしめてしまう衝動を抑えきれなかった。あふれる感情のまま強く抱きよせてしまう。 「お前はお前だ。気にするな」  できるなら、自分のことをわかって欲しいけれど。  できるなら……。                      * * *  要がやってきてもアヤカの記憶の再生はうまくいかなかった。アヤカのなにかが頑として言うことを聞かないのだ。 「意外と頑固なやつだな」  と要に揶揄されてもアヤカは苦笑するしかない。アヤカ自身どうしようもないのだ。ただ、ヒロキにだきしめられてから心の中でなにかが変わりつつある。でも、それが一体なんなのか、アヤカにはまだわからない。  ラジオから流行歌が流れてくる。要はそれに合わせて口笛を吹いて作業を進めているのを視界に収めながらアヤカはヒロキを見ていた。  ヒロキは口笛を一瞬吹こうとして、どうやらうまくいかないらしく、すぐやめる。  アヤカは少し眉をひそめた。  口笛の吹けない誰か。  なにかがオーバーラップする。なんだろう。口笛の吹けない、大事な人。  要はいよいよ意地になって、アヤカを検査し始めた。出張扱いで霧の星からきたものの、いつもの、人好き のする軽い調子の口車で学会を丸め込んでしまい、ここに異動する手はずを調えてしまっていた。                * * *  コンコン。  ノックの音にヒロキは起こされた。夜中に誰何の声を大きくするわけにもいかず、ドアにむかう。 「誰だ」 「あたしだよ。開けてくれない?」  ドアを開けてみると気まずそうに照れ笑いをしながらアヤカが立っていた。 「どうしたんだ、もう夜中だぞ」 「んー、寝つけなくてさ。この部屋のソファでいいから使わしてくれないかなと思って」 「この部屋なら眠れるのか? ならば部屋を交代するが」 「あ、いや、そういうんじゃなくて、あたしはヒロキの部屋がいいの。ヒロキのいる部屋で寝たいだけだから、あんまり気にしないでくれるとありがたいなーって……だめかな?」 「ここでは身体が冷える。とにかく入れ」  ヒロキは闇に感謝した。アヤカにそう言われて一瞬顔が赤くなるのを抑えきれなかったのだ。言葉を無くしてヒロキはとにかくアヤカを部屋に招き入れた。暗い部屋ではカーテンの隙間からほんのりと月の光が迷いこんでいる。 「なんにもない部屋だね」  丸机とソファと、本棚だけが部屋の中にあった。殺風景、といえないこともない。 「あいにくソファはひとりがけのものしかない。そこではあんまりだからベッドの隅でよければ提供できるが、それでいいか」 「あ、もうそこまでしてくれたら充分すぎるほど! 部屋の隅っこでもいいくらいだったの。感謝感激ってね」「なら問題はないな」  そう言ってヒロキはさっさとベッドに潜り込む。 「ほら、こい」  毛布をばさっと広げて招き入れるようにしながらアヤカを呼ぶ。 「え? あの……?」 「来るなら早くしろ。身体が冷える」  恐縮しながらアヤカはベッドに収まって、改めて感謝を告げた。 「あのー。こんなに沢山の面積もらわなくてもいいんだけど」 「狭いベッドだ、人ひとり増えたら同じことだ、気にするな」  それでも急に側にいることになったヒロキにアヤカはなぜか動悸がしてしまって、ヒロキに聞こえてしまうのではないかとそればかりが気になってしまう。でもヒロキの側は暖かくて、アヤカはやがてまどろんでいった。                 * * *  久しぶりに熟睡した朝になってアヤカが目を覚ましてみると、ヒロキに抱き込まれるようになっている自分を発見して思わず赤面した。ベッドの隅を借りただけだと思っていたのに、まるで守られるようにして眠っていたなんて、気づきもしなかったのだ。  サーカロイドは、つまりはよく出来たバイオロイドだから人間と同じように体調変化がある。風邪もひくこともあれば、熱だって出すこともある。だから、狭いベッドの中、アヤカが風邪をひかないようヒロキが気づかってくれたのだろうということは、理屈としては理解できる。それでも、アヤカは赤面してしまうのを止められなかった。そしてそれはひどく懐かしい状態にも思えた。そんな暖かい既視感は心を和ませる。ヒロキに包まれるようにして眠ることは、実際何年ぶりなのか。アヤカは自覚していないにせよ、ヒロキのそばで眠るということがアヤカに熟睡をもたらして、その結果、目覚めはすこぶる良い。頭の中の霧さえも晴れたような気分になって、アヤカはまずベッドからでることを試みることにした。しかし、そのためにはヒロキの腕を動かさなくてはならない。さり気なく足も絡まったりなんかしてるので、ヒロキをまったく動かさずにここから脱出するのは無理だと早々に判断がついた。さてどうしたものかとヒロキの腕を持ち上げたりして目を白黒させているとヒロキが目を覚ました。 「ん……、よく眠れたか?」 「あ、あぁ、オハヨ」  赤面した顔は直っていただろうか、そんなことを思いながらアヤカは自分の鼓動が速くなっていくのを感じる。  ヒロキは眠たげな表情で、アヤカの頭を抱き込むようになっていた腕をそのまま引き寄せてアヤカの頭を持ってくると、額に軽くキスをする。瞬間、アヤカが赤面したのはいうまでもない。 「ヒ、ヒロキ?」 「ん、なにかあったのか」  ヒロキには今の行動の自覚がまったくないらしい。どうやら目が覚めてすぐの無意識の行動らしく、なにかまずいことでもあったのかときょとんとしている。なんでもない、と口ごもってアヤカはお茶を濁した。  別の意味で、頭の中がもやもやする。忘れているなにか。思い出せないなにか。  アヤカの中のなにかが揺さぶられる。  この人は、誰……?  忘れてしまった『なにか』が自分を呼んでいる。  その晩も、眠れないからと言ってアヤカはヒロキの部屋にやって来た。その次の晩も、またその次の晩も。その度にヒロキは迎え入れてやり、アヤカは熟睡していく。ヒロキの側で眠ることはなんだかとても安心できて、環境の変化に戸惑って緊張が続いているアヤカにとっては非常に有り難いことなのであった。起き抜けの額へのキスも、慣れた。  ただ、ヒロキのことを考えるたびに頭の中がもやに包まれたようになってしまう自分が自分でわからなくて、頭を抱えてしまう。ヒロキから離れたくない、そんな思いだけは自覚できるものの、それ以上がわからない。 しかしいつもそんなことを考えることなんてさっさと放棄してヒロキの部屋に押し掛けていってとっとと寝てしまうのだが。 「要、お前アヤカの担当なんだろ、あれ、どうにかならないのかい?」  アヤカがヒロキの部屋に入っていく声を聞いて、守はデータシートを読みながら眉をひそめた。 「そう言われてもなぁ。おかげさんでアヤカは一応の安定を見せはじめてるんだよな。ある意味まだまだ不安定だけど」 「ヒロキの方が不安定になってしまうよ、このままじゃ。それは避けたいんだ、わかるだろう?」 「んー。そう言われてもなぁ」 「事実ヒロキはね、調子を崩し始めてるんだ」 「こればっかりはねぇ」 「ヒロキも不安定なアヤカを安定させようとして無理し過ぎというかなんというか、だけどね。ヒロキも頑固だから」 「譲からはなにも言われてないの?」 「あの人はね、様子見らしいよ」 「やれやれ……あの人は呑気だから」  その晩もアヤカはヒロキの部屋に押し掛けてきていた。ベッドの中でぬくまりながらアヤカはヒロキと目を合わせないようにして、 「ねぇ、あたしがここに来るの、迷惑?」  とつぶやいた。 「どうした、突然に」  ヒロキは暗い毛布の中を覗き込む。 「あたしがこうやってヒロキの部屋に来るようになってから、ヒロキが調子崩してるって小耳に挟んだの。それってやっぱりあたしが原因かなぁ、って……さ」 「声が聞き取りにくい、こっちを向け」 「ヒロキの指輪、もう一回見せてよ」  毛布の中でくぐもる声。 「見たいなら、外で見ろ」  そう言ってぐいと手をつかんで毛布の外に出し、あいてる手でスタンドをつける。スタンドの淡い光で照らしだされたふたりの手はどこか見覚えのある光景。指輪はユニセックスなデザインで、マリッジリングにも見えるようなデザインで。うっすらと植物のような模様が掘り込まれたよ うになっているヒロキの指輪と、ちょうど同じ模様が指輪自体に掘り込んであるかのようなデザインのアヤカの指輪。それはあきらかに対とわかる指輪で、銀色に光るプラチナベースに金が乗っているそれは、スタンドの明かりに照らされて不思議な光を放って見えた。  身を乗り出すようにして指輪を見ていたアヤカがなんの気なしにヒロキを見やる。ふたりのマスターから受け継いだ指輪。この指輪を彼らはどんな想いで作り、わけ、受け継がせたのか。そんなことを考えてしまって無口になったままヒロキを見る。ヒロキの手がアヤカを抱き寄せた。 「……ヒロキ?」  ヒロキはなにも言わずにアヤカにキスをした。それは柔らかく、暖かい。どこか覚えのあるような感覚にアヤカは戸惑いを覚えるものの、身体が拒めなかった。包み込まれるようなキスはどこかで……、どこかで覚えがある。 「この指輪はマスターから受け継いだものだ。俺が作ったものではない。お前も察した通り、マスター同士は 懇意の仲だった。ペアリングを作るほどにな。お前はその想いを知っているはずだ。そして、覚えているはずだ。俺達はクローンじゃない。記憶を移植されたわけでもない。Cスクェアとはいえただのサーカロイドだ。しかし、マスターの『想い』を感じることはできる。お前はそれも封印してしまったのか?」  スタンドに照らされるヒロキの顔はどこか覚えがあるようで、懐かしいようで、でも、それは頭の中の霧の向こう。 「ヒロキ……」  記憶の隙間に覗き見えるマスターの影はおぼろげで、輪郭だけが微かすかに浮かぶ。 「……ごめん、微かに輪郭は浮かぶような気はするんだけど、それだけなの。でも、あたしはヒロキの側にいたい。マスターではなく、ヒロキの側に。それじゃ駄目なの?」 「……」 「ヒロキの側にいたいってのが記憶のかけらなんだとしたら、そうなんだろうと思う。でもあたしは、あたしが今一緒にいたいのは目の前にいるヒロキなの」 「マスターは」  ヒロキは遠い目をする。 「マスターは、強く、そして脆かった。他人には決して見せなかったが、根の部分はいつだって誰かを求めていた。 そこの部分が惹かれあったんだろう。マスター同士は強いペアだったと聞いている。だから、別れなければいけなくなってしまったマスターの、その哀しい穴を少しでも埋められればいい、と思っ ていた。マスターはそんな俺の気持ちをわかってくれた。決して同じものにはなれないが、新たにマスターの中に存在できるようになればいいといつも思っていた」  スタンドの明かりに浮かび上がる指が絡まる。指輪だけがその存在を主張しているかのように光を返す。 「……お前がマスターと俺を混同しているのではないか、と不安になる。俺はお前のマスターと確かにうりふたつだろう。しかし、マスターではない。かわりにはなれない」 「今言ったでしょう? あたしが今一緒にいたいのは目の前にいるヒロキなのよ」  ヒロキの強い瞳で直視されると、心の中まで見透かされるようで、アヤカは不安になる。けれど、ここでひくわけにはいかない。  混同するな、と言いはしたものの、ヒロキもまた、困惑していた。目の前にいるのはアヤカだけど、綾香じゃない。反応も、生身の綾香とは違う。それでも惹かれるなにかがある。惹かれて、離れられない。混同しているつもりはまったくない。けれど、久々のアヤカとの触れ合いに一瞬混同しかけたのも事実だ。それでも、やはりここにいるのは綾香ではないけれど、自分を慕っていくれているアヤカなのだ。それが嬉しくないはずがなく、綾香が反応を見せるところを攻めてやると身体が 素直に反応してくる。それも嬉しい。やはり、アヤカを愛おしいと思ってしまう。自分のことをマスターの替わりでなく慕ってくれればいいと切に望んでしまう。試すような真似をしているのは気が引けるが、そこをはっきりさせなければ自分がどうしていいかわからなくなってしまう。  ヒロキのキスが深くなるにつれ、アヤカは影を見た。  誰だろう。  影はヒロキと重なる。けれど、違う誰か。  輪郭がぼやけてよく見えない。誰……?  霧の向こうにいる誰か。指輪。よみがえるシルエット。 『これは「証」だ』  オーロラのように揺れる影。オーロラ? 『オーロラを見に行こう、その時にはその指輪、忘れるなよ』  ……誰に言われた? 『今晩はオーロラを見よう』  ……誰?  心と身体が揺れる。  身体を揺らしているのはヒロキ。優しく包んでくれている。そして、こころを揺らすのは、誰……?  頭が真っ白になった瞬間、影をはっきりと、見た。  フラッシュバックしてくる、記憶。そして、マスター・宏樹の笑顔。それは今自分を包んでくれているヒロキとは違う笑顔で、そして……同じ笑顔。このヒロキは別人で、でも同じ。  あぁ、宏樹……。  亡くなったマスターに、初めてさよならができた、と感じる。その瞬間、頭の中の霧が晴れていくのを感じた。 「ヒロキ……」 「なんだ」 「やっぱり、あたし、ヒロキと一緒にいたい」  今度の深いキスはアヤカから、ヒロキに。 「ねぇ、今度オーロラ一緒に見にいかない?」 「なら、俺はお前にピアノで曲を贈ってやろう」 「弾けるの?」 「数曲だけならな」 「要センセー」  アヤカは朝一番に竜門を呼びとめた。 「あたしのメンテ、また頼めるかな?」  その呼び方は、アヤカが自らの記憶を封印する前の独特の呼び方。要がここに来てから初めてその呼び方で呼ばれて、要はあやうく書類を落とすところだった。 「アヤカ、お前、思い出したのか?」 「うん、なんとなくはね。ヒロキのおかげというかなんというか、まぁ、あんまり深くは追及してくれないでいてくれるとうれしいかなぁ、って」 「アヤカ、今日はフルで検査だ、いいな」 「えー?」  そんなめんどうなことはいやだ、とはっきり顔に出して不満の声を漏らすと、 「お前のメンテは誰がしてるんだ?」 と要に返されて、しぶしぶ、 「……要センセーです」 としか返しようがない。 「よーし、だったら文句は言えないはずだな」  久々に笑い声が家の中に響いた。ドアの影でそれを聞いた譲がほほえんでいた。 『ヒロキ、今度オーロラを見に行こう』
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