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with Love
■with Love
「レアメタルの鉱脈って意外と少ないんだね。見つけたら大儲け?」
TVをかぶりつくように見ていたアヤカがいきなりこんなことを言い出した。
「大儲け、になるかどうかは知らんが、とにかく貴重だから結構な額になることは確かだな」
コーヒーを飲みながら呑気に答えたのは要だった。
「要センセー、ほんと?」
「そうだ。な、守」
「ああ。そうだね」
守はいつもの柔らかな笑顔で答える。
「お前はまたすぐTVに影響されて。バカなこと言ってないで、もう寝るぞ。オーロラを見に行きたいって言ってたのいつの事だ?」
ぱふ、とアヤカの頭上に手を置いてヒロキが声をかけた。
「はーい」
見上げるように顔を上にしてヒロキの手を顔に付けてアヤカは答えると、そのまま立ち上がった。
「今日はちょっと早いんじゃないの?」
「余計なこと考えなくて済むだろう。ほら、寝るぞ」
「はいはい。んじゃみんなおやすみ。守は今日も泊まってくの?」
肩を押されて行動を促されながらも思い出したようにアヤカは守を振り返る。
「僕? どうしようかな。これから決めるよ」
「ま、好きにして。じゃあね」
興味なくなったように歩き出して手だけ振ってアヤカは部屋を出た。
閉じられたドアを見て、ふと要は時計に目をやった。
「確かに、寝るにはちょっと早いかな。帰るには遅い時間だけどな、守」
「泊まっていこうかな」
「そんな余裕あったっけ」
「残念ながらないんだよね。今日は泊まらないよ」
守はこう言って肩をすくめる。
「賢明な判断だ。査読が終わればちょっとは楽になるといいんだけどな」
「まったく」
「この調子じゃお前が引っ越してくるのも時間の問題のような気がしてきた」
「譲が許せばそうしたいところだね」
「俺がどうかしたのか」
ちょうど風呂上がりの譲がリビングに入ってきた。
「……? ヒロキとアヤカは?」
「もう寝るって今出てった」
「珍しく早いな。それが俺となにか関係があるのか」
「いいや。守がここに越してこようかな、ってさ。それには譲の許可が必要だろ、家主さんよ」
「居候がなに言ってるか。でもな、守、本当に越してきたいなら反対しないぞ」
「お、余裕の発言」
茶化す要に、
「別に今と状況が変わるわけでは無いだろう? 同じことだ。俺は知ってるぞ、お前が無理やりこっちに異動したこと」
譲は冷静に受け流す。
「ま、そうなんだけどね」
「で、あのふたりは疲れてでもいるのか?」
「なにも言ってなかったよな、守」
「ああ」
「じゃあなんでこんな時間に……」
譲はそう言って時計を見つつ視界に入ったカレンダーを眺めて、
「あぁ、そういうことなのか」
とひとり納得した。
「なんだよ、わかったんなら説明しろよ」
コーヒーをすすりながら抗議の声をあげる要に譲は手で制するようにしながら、
「お前達は知らなかったんだな。もうじき、綾香の命日がくる」
とだけ言った。
「命日?」
要と守は異口同音に口にして思わず互いを見やる。
「命日と早く寝るのとなにか関係があるのか」
「それは知らん。だが、ここ最近のヒロキのアヤカへの構い方はちょっとおかしい。構い過ぎだ。命日を前に不安定になっていると考えてもおかしくはないだろう」
そう言って風呂上がりの水を一杯ぐいっと譲は飲み干した。
「は、こりゃ一本取られたな。流石はマスターと言ったところか、譲?」
「茶化すな要。守、学会前で忙しいだろうが、気になるなら検査してみるといい。おそらく当たらずとも遠からずといったところだろう」
「さすがだね、譲」
「法律上、建前だけとはいえ俺はあのふたりのマスターなんだし、この中であのヒロキと一番つきあいが長いのは俺だからな、なんとなくだがそんな気がするだけだ」
「サーカロイドも繊細にできてるからねぇ」
うんうん、と要の言葉に守は頷いて聞き入った。
「お前らマイスターでドクターだろうが」
「だからって僕らが彼らのことを全部わかってるわけじゃない。今は彼らの担当だけど、作ったわけでもないし、ふたりの本当のマスターはもう死んでるんだよ。ふたりはマスターを失ったのに正気を保っていられる数少ないCスクェアなんだし。Cスクェアは汎用体よりデリケートにできてるんだ」
守が珍しく熱弁を振るうのをふたりは見た。
「まぁ、俺はヒロキが綾香を亡くす前に出会ってるからな」
「生きていた綾香を知ってるのか」
要と守は思わず姿勢を正した。
「ほんの少しだけな。人懐っこい奴だった。出会ったころには、もう病気は末期だったが。ところで守、時間は大丈夫なのか」
「あ、そうだった、もう帰らなきゃ。じゃあこの話はまた今度改めて聞かせてもらうよ」
守は立ち上がると鞄を持った。
当初アヤカに、と空けた部屋も結局はアヤカがヒロキの部屋に居着いてしまったことで空き部屋になったから、要はそこにすんなりと収まっている。面倒見のいい譲は一気に大家族の主となってしまった。といってもヒロキやアヤカも含めて、それぞれに収入などはあるわけだから、同居人が増えた、といったところか。ただし、ヒロキの部屋にあったベッドは、ふたりで眠るには狭すぎて、結局ベッドは追加購入された。
* * *
明らかに最近ヒロキはアヤカを求めてくる回数が多くて、正直アヤカは疲れていた。それでもヒロキの瞳を見ると逆らえなくて、応えてしまう。自分のつきあいの良さに少々呆れかけてさえきていた。それでも、ヒロキの瞳はなぜだかすがるようで、その瞳の奥にあるなにかが強くアヤカに訴えかけてきて、いつも以上に拒めない。それに、アヤカ以上にヒロキは疲れているはずだ。それなのに、ヒロキはアヤカに手を伸ばし続ける。まるでなにかを恐れてでもいるかのようにヒロキはアヤカを求め続ける。そしてアヤカをまるでなにかから守るかのように抱きしめてヒロキは眠るのだ。
* * *
サーカロイドは、孤独に弱いのだ。特にCスクェアは。機能も性能も、ひとりでやっていけるだけの能力があるものの、マスターがいないと、淋しさのあまり不安でなにも出来なくなってしまう、そういう生き物なのだ。汎用品は仮のマスター契約を誰とでも交わす事が出来る分、別離や孤独にはCスクェアに比べて強くできている。そうでなくては生きていけないからだ。しかし、Cスクェアは違う。最初からマスターひとりを相手にするように作られている。今はヒロキにはアヤカがいるし、アヤカにはヒロキがいて、仮のマスターの譲がいるからなんともないが、ヒロキもアヤカもまた、ひとりでは生きていけない。カスタマイズされたサーカロイドだから、マスター以外を受け入れられないふたりは、今はヒロキとアヤカ、お互いがお互いの本来のマスターのような感じになっている。そんなふたりを哀れと思ってかどうか、譲はふたりになにも言わない。ただ見守っている。
去年までは、調子が悪くなるだけだと思っていたのだが。
ナイトキャップにウヰスキーをロックであおりながら譲は考えた。今年は去年と違ってアヤカがいるから安定するかと思っていたのだが、一筋縄ではいかないらしい。
* * *
「宝探し?」
翌晩、アヤカの提案にみんなが目を丸くした。
「そう、オーロラを見に行く道すがら、ついでにレアメタル鉱脈探し。大きな鉱脈とまでいかなくても小さなヤツが見つかったら面白そうだと思わない?」
「どこにいくんだい?」
守はいつもの笑顔でアヤカを諭すように話しかける。アヤカの瞳は輝いたまま、
「きまってるでしょ、デスバレー。あそこには鉱脈あるって話だし、オーロラも見れる緯度があるよ」
と乗り気満々である。譲は呆れ顔になった。
「死の谷か。お前わかって言ってるのか。あそこは昔そう言って鉱脈を探しに行った人間達がまず帰ってこなかったことからつけられた地名だぞ」
「譲、それってほんと?」
「地球にある死の谷と同じだな」
「そういうことだ。しかし、地図をしっかりもって、それなりの準備をして、期間限定でキャンプにでも行くつもりで決して無茶なことさえしなければ大丈夫だろう」「てことは……」
「ああ、行っていいぞ。ただし全員で行くならな」
そう言われた途端にアヤカは元気百倍になる。
「譲、話わかるね! 明日早速キャンピングカー借りに行かなくっちゃ!」
「あ、でも日程によっちゃ俺達遅れて行くから」
思い出したように要の一言。
「学会あるから、後から合流することになるね。楽しみにしてるよ」
守の笑顔はいつも優しい。
「アヤカ、車を借りる前に計画を立てろ。後ろでヒロキが呆れてるぞ」
ヒロキは腕組をしながらカレンダーを睨んでいた。
「今度の月曜から一週間くらいの予定ではどうだ、譲?」
「そうだな、それくらいなら俺も休みの都合がつくだろう」
「あたしはできるだけ早く行きたい」
呑気な発言をするのはアヤカだけで、他の面々はあっけにとられたままだ。
「まぁそう焦るな。水と食料の計算が厄介だな。要、守、お前達はいつ合流する予定だ?」 譲は手を組んで考えはじめる。
「ちょっと待て。計算するから。懇親会は外せないからまず最初の二日は無理だ。そんで次の日にあのパネルディスカッションがあって、守は発表があって……、あぁもう面倒だ。紙に書く。ところで守、発表あるのにそんなに呑気にしてていいのか?」
そうして賑やかな夜は更けていくのであった。
* * *
「見てよこの車!」
あくる日、アヤカは帰ってくるなり嬉しそうな顔でこう騒いだ。嫌がる面々を外に連れ出すと、一同の口をぽかんとあけさせる。
「お前……これはなんだ……?」
大きな車を目の前にしてヒロキは絶句してしまう。
「なにってキャンピングカーに決まってるでしょ? しかも極寒冷地仕様」
「だからなんでこんなに大きいんだ」
呆れる譲はやっとの思いで言葉を口にする。
「えー、だってバストイレ付き、キッチン付きで、人数分の食料と水が入る奴で、人数分のベッドでしょ、そしたらこれくらいにならない?」
「もう少しコンパクトなのはなかったのか」
ヒロキは思わず額に手をやってしまう。
「大は小を兼ねるって言うでしょ? 夜中は冷えるんだし。あらゆるオッケーってコトで」
自分以外の人間の困惑した表情をまるで楽しんでいるかのようにアヤカは言い切ってしまう。
「あー、これで出かけることを考えるだけでわくわくするよね」
「お前だけだ」
ぽふ、とヒロキに頭に手を置かれて、アヤカはあからさまにむっとする表情を隠さない。
「えー、そうかなぁ。みんなだって楽しみじゃないの?」
「ちょっと論点が違う」
「あたしひとりだけ子供扱いしてるでしょ?」
ひとり不満そうなアヤカを尻目に、かりだされた面々は三々五々仕事に戻っていく。それもアヤカには気に入らない。
「見てなさいよ、絶対見つけてやるから」
* * *
さすがに大きいだけあって車は快適だった。
「なんていうか、観光バスにでも乗ってるみたいな気分だな」
譲が落ち着かなそうにぽつりとつぶやき、ヒロキは無言でうんうん、と頷く。アヤカはといえば、
「なにか言ったー?」
と運転席から大声出して聞き返してくる。
「お前は運転に集中してろ。迷うぞ」
譲の素っ気無い言葉がアヤカに返された。アヤカはそんなことを気にもせず、にこやかに運転を続けていく。どうやらかなり豪華な車を借りたらしく、移動中も、サスが効いてるのか滑るように進んでいって車の中にいる気がしないし、座っているシートもなかなか座り心地が良い。照明や調度品も小洒落たもので、これもまた車の中だという気が今ひとつしないのであった。なにか飲み物を、と思って冷蔵庫を開けるとシャンパンまで入っている始末。
「おいアヤカ、なんでシャンパンなんか入ってるんだ」
「あ、ヒロキ、それはまだ飲んじゃだめだよ? お宝見つけたときに飲もうと思って用意してあるんだからね? 奥にペリエが入ってるからそれでも飲んでてよ」
視線を動かすことなくアヤカは気楽に返してくるのに、ヒロキは思わずやれやれと首を振った。
「譲、ペリエがある、それでいいか」
冷蔵庫の扉を開けたまま言うヒロキに、
「あぁ、それでいい」
と譲は返す。それを聞いているアヤカは御機嫌でハンドルを握っている。
* * *
車は、道とも森ともつかない場所から少し入ったところで止まった。
「到着ー。さ、宝探ししよう!」 そう言って運転席から出てくるとアヤカは机の上に地図を広げた。
「地図だけでわかるものか」
という譲に、
「そう言われると思ってちゃーんと用意してあるんだよーん」
と得意満面の顔をしてアヤカは金属探知器らしきものその他機械類を出してきた。
「道理で大荷物なわけだ」
ヒロキも呆れた顔を隠せない。
「あ、ヒロキ、あたしお腹減った。なんか食べ物」
「それくらい自分でなんとかしろ」
と言いつつもヒロキは冷蔵庫の中にあったサンドイッチをアヤカに渡してやる。
「サンキュー」
そう言ってアヤカはサンドイッチをパクつきながら、地図を睨みつつ機械の操作をはじめた。
「そんな簡単に見つかるものじゃないだろう、ちょっとは落ち着け」
「まぁ、ぼちぼちやるつもりだけどね、いいでしょ別に?」
「譲、俺達はテントを張って夕飯の支度でもすることにしよう」
「ああ」
ヒロキと譲は車を降りた。アヤカは真剣な顔をして機械とにらめっこしている。
「とりあえずは、バーベキューでいいだろう。夏とはいっても、ここは夜になると厳しいぞ。白夜の連続だ」
「そうだな」
車の横に休憩スペースにもなるテントを張りながら譲とヒロキは作業を進めていった。
* * *
「どうだ、見つかったか?」
作業も終わり、食事も終わってその片づけさえも終わって、ヒロキはアヤカのいじっている機械を覗き込んだ。
「んー、いまのとこはなんにも」
「来てすぐに見つかれば誰も苦労しない。今日はそれくらいでやめにして、くつろいだらどうだ」「どうしよっかなー」
「根を詰めてもすぐに見つかるものでもないだろう? シャワーでも浴びてこい」
「わかったわよ」
と言って立ち上がると、
「あ、それいじっちゃだめよ?」
そう言いながらバスルームに向かった。
「ヒロキ」
譲が声に緊張をはらんで呼んだ。
「なんだ」
ヒロキは踵を返すと譲の方を振り返る。
「お前は大丈夫なのか」
「なにが」
「気づいてないならいい。ただ、アヤカにあまり無理をさせるなよ」
「……わかってる」
* * *
ヒロキと譲が外にでて調査に向かっている中、アヤカはひとり汗を拭いて機械とにらめっこを続けていた。インカム付きヘッドフォンを装着してて反応を探る。要と守が合流するまで後二日。早く来てくれればそれだけ作業もはかどるのに、とちょっと愚痴めいたことを思いながら作業を進めていた。今晩の食事当番は自分だけど、身体がだるいから簡単なもので済ませてしまおう、とも考えた。
「なんだ、食料は沢山有るのに意外と簡素だな」
「譲、そう言わないでよ。夢中になってたら時間なくなったんで、こうなっちゃったの。許してよ、ね」
懇願するかのように手を合わせて上目遣いに、アヤカは譲を見た。
「しょうがないやつだな。俺にしてみれば、食えればなんでもいいがな」
「でしょ? やっぱ話わかるよね、譲って。ヒロキもさっさと席に着いてよ」
三人の食事と言っても場所が変わればそれも楽しく、アヤカはそれで満足だった。ヒロキはといえば、なんだかアヤカを見る目つきが変で、それが気になるといえば気になった。
「アヤカ、なにかあったのか」
ヒロキの言葉に、きた、とアヤカは思う。
「べつにー? だから、夢中になってただけだって。料理に手を抜いたのは謝るから、機嫌直してよ」
「……なら、いいんだが」
渋々といった風情でヒロキは席に着いた。
* * *
アヤカが発熱しているのがわかったのは、その晩のことだった。
「いいトシをして、知恵熱か?」
「うるさいなぁ、譲だって熱出すことくらいあるでしょ?」
憎まれ口をたたいてもこれくらいでは譲はやられない。「疲れが出たんだろう。宝探しはやめにしてさっさと帰るか?」
「それは駄目! ぜーったい駄目! せっかくここまできたんだよ? 予定の期間くらいはいてもバチはあたんないって。ね、ヒロキ?」
「……」
ヒロキはなにかを考えているようで今の会話が聞こえているのかどうかも怪しかった。
「おーい、ヒロキ?」
「なんだ? とにかく、お前は今日一日寝てろ。これは命令だからな」
「ヒロキさーん」
「甘えた声を出しても無駄だ。お前ははしゃぎすぎたんだ。いい機会だからちょっとは大人しくしてろ」
「そんなぁー」
「問答無用」
そんなやりとりを譲は興味深げに眺めていた。
* * *
アヤカの発熱は収まらなかった。食べ物もあまり受け付けなくなってきており、ミルクでふやかしたパンを食べるのが精一杯、といった状態になってきて、実際譲もヒロキも動揺を隠せなくなってきていた。
「明日の朝には要が来る。それまでなんとか頑張れ、アヤカ」
譲の励ましになんとか頷くアヤカ。ヒロキは無言のまま。ヒロキと譲も食事をとらないわけにもいかず、車外での食事となるわけだが、譲が目を疑うほどにヒロキの様子もまたおかしかった。ヒロキは明らかに動揺していて、普段はしないはずのドジはやらかすわ、物にけつまずくわ、包丁を持たせれば指を切るわで見ていられない。しかも、ヒロキはそれでいて真剣なのだ。
「包丁は触るな、俺に貸せ。俺がやる」
無理やり包丁を奪う。危険で仕方がない。
「え、あぁ」
リンゴをむきながら、
「いいからお前は座ってろ」
とヒロキをなんとか落ち着かせようと試みているのだが、なかなか上手くいかない。
「……譲」
ボソリ、とヒロキが言った。
「あいつはどうなるんだろう……?」
膝にひじを突いて、手を組んだ状態で指の先を見つめながらヒロキは座っている。そんな姿は今までに見たこともないくらいにどこかはかなげに見えて、譲は無理やり視界からヒロキを追い出してリンゴをむくことに集中しようとした。
「疲れが出ただけだろう。心配ない、すぐに良くなる」
「にしては、状態がどんどん悪くなっているんだが?」
背中にヒロキの視線が痛い。
「マスターも、結局原因がわからなかった。ただ、宇宙放射線病だろうというだけだった」
聞こえるかどうかの小さい声が聞こえた。譲は、そう言えばそうだった、と思い出しかけて危うくリンゴを落としかける。
「……綾香……」
マスターと、今のアヤカを思わず重ねてしまうのだろう、ヒロキの声はか細い。
「人間とお前達は出来が違うんだから、アヤカは心配ないだろう。要もすぐにくる」
学会に行っているふたりには今電話が通じない。向こうから連絡取れるようになったと言ってこないかぎり、連絡の取りようが無いのだ。実際、携帯電話にかけてみても繋がらない。
「……譲」
「なんだ」
「俺は……どうしていいかわからない……」
譲はヒロキの弱音を初めて聞いたような気がして、思わず手を止めた。綾香が死んだ時の事をふと思い出す。あの時でさえ、かたくなに唇をきゅっと結んで弱音ひとつはかなかったヒロキが。
「俺は……二度も綾香を失うことになるのだろうか……?」
それが怖いかとでもいうようにヒロキはぎゅっと目を閉じて、祈るように組んだ手に額を乗せた。ヒロキ
の脳裏によみがえるのは、冷たく、動かなくなってしまったマスター・綾香の姿だった。
朝になっても、アヤカの容態は良くならなかった。要も守もまだ来ない。連絡すら、まだこない。ヒロキはアヤカの側を離れようとしないし、譲は途方に暮れてしまった。
「アヤカ、なにか欲しいものはあるか?」
「なにも」
そう言ってアヤカは何度めかの寝返りを打つ。そうしている間にも何度も、何度も。
「アヤカ、教えてくれ、俺はなにをしてやれる?」
「なんにも……しなくていーよ。……そこにいてくれたら……いい」
そう言ってまた寝返りを打つ。それを見ていて思わずヒロキは、
「少し、外の空気を吸ってくる。すぐに戻ってくるがなにかあったらすぐに呼べ」
と車外に出て譲の元に行った。
「譲」
思い詰めたようなヒロキの声に譲は思わず緊張する。
「要も守ももう待っていられない。今からすぐに近くにあるセンターにアヤカを連れていこう」
「どうしたんだ急に。あと少しであのふたりが来るぞ?」
「……とにかくひっきりなしに寝返りをうつんだ」
「それが?」
「ほら、腹が痛いときとか、寝返りをうつと楽になることがあるだろう? あれを身体が覚えていて、あいつは無意識のうちに寝返りをうつんだ。もうそれだけ苦しいって事だ。俺は、そんなあいつを見ていられない」
ヒロキの表情は悲壮と言ってよかった。
その時、携帯電話が鳴った。
「要だ」
その一言にヒロキははっと顔をあげる。
「もしもーし、譲、磁気嵐とお宝探しはどーなってる? もう近くまで来てるから、すぐにそっちに着くぞ」
呑気な要の言葉に思わず語気が荒くなる。
「なにを呑気なこと言ってる。すぐに来い!」
そう言ってそのまま携帯を切ってしまった。
* * *
電話で言っていたとおりに、要と守はそれからいくばくも経たないうちに合流した。動揺している譲と焦燥と睡眠不足で疲れ切った表情のヒロキに驚きつつも、ふたりはすぐにアヤカの診察をはじめる。ふたりがかりだから、作業は早いことこの上ない。
「もう大丈夫だ」
タラップから要の声がして、ヒロキは信じられない、といった表情で要を見た。
「もう入ってきて大丈夫だぞ」
促されて入ってみると、アヤカはスポーツドリンクの何本目かを空にして、次のボトルに手を伸ばしたところだった。顔色も良くなっているし、なにより動きに生気がある。
「一体これは……?」
問い掛けるヒロキに、
「疲れと、脱水症状起こしてたんだな」
「脱水症状?」
「そう。話を聞いてると汗も普段より多かったらしいし、腹も壊してたみたいでさ。そこにキャンプで運転する為に水分をあまり取らなかったんだな。それでだ」
要の言葉に、ヒロキは足の力が抜けるのを阻止できなかった。
「……死ぬかと思った……」
「もう大丈夫だ。大したレベルじゃない」
「ヒロキ、あたしもう大丈夫だから。帰ったらピアノ聞かせてくれる?」
「そんなもの、いくらでも聞かせてやる」
「判った。じゃあオーロラだけにピントを合わせるね」
満面の笑顔に、どうしていいのかわからない、といったため息が面々からもれた。
* * *
オーロラ見物だけなら、鉱脈探しの為の機器類はとにかく畳んでしまい込み、移動して磁気嵐の予兆だけ気をつけていればいい訳で、それだけでも車内の雰囲気が研究室さながらだったものから、通常のキャンピングカーに変わり、一気にリゾート気分にまで変化してしまうのは全員が驚きを隠せず、譲は苦笑し、アヤカも観念したのか、少ししょんぼり気味ではあったが、みんなに迷惑かけたのだからと我慢せざるをえなくて、もはや乾いた笑いしか出てこない。
「ここまで変わるなんて。まったく気にしてなかったわ」
ははは、と落胆をごまかそうとした声にもまるで覇気がない。
「レアメタルは諦めたけど、オーロラを見る気は満々だから。一緒に観ようね」
全然めげてないアヤカが、足元にあるこっそりと磁気嵐予測の為の機器を見せて、ヒロキは一気に疲れた顔になり、アヤカは不満そうに頬を膨らませる。
「お前も、面倒くさい奴だな」
そういえば、マスター・綾香もたまにそういうところを見せてくれたっけ、と遠い目になる。
「なによ」
「いや、なんでもない。早く観られるといいな」
「でしょ? 流石はヒロキ、話が早いわぁ」
少しばかり面倒くさい性格なのも、綾香で慣れているから、アヤカがほんとに復活したみたいで嬉しいような、哀しいような、なんと説明つければいいのか判らない、微妙な感覚。そして思いついたちょっとした洒落。
「今日辺り観られないかなぁ」
「そうだといいな。オーロラの下でやりたい事があるんだが、いいか」
「なぁに?」
「それはその時までのお楽しみ」
「なによー。ヒロキって面倒くさい人?」
「そうか?」
「そうだよ」
むうと膨れっ面になったのは一瞬で、すぐに元の顔に戻る、その百面相が面白くて、なんだか柔らかい気持ちになって愛おしくて。
「お互い様だ」
勢いに任せてぎゅっと抱きしめて、すぐに解放したけれど、顔に朱をはいていたのを隠せたかどうか。
「なんでこんなことで今更赤くなるの?」
言動がおかしいのかつぶやかれるけれど、さらっと無視をして、アヤカの側を離れるしか、今のヒロキには出できない。
「……変な奴」
ちぇ、とアヤカはつぶやいたかと思えば、一瞬にしてからかいに転じてくる。
「ひとりで何か思いついて、行動に起こそうとして自爆してる?」
「知るか」
どうにも出来なくなって一言返せば、アヤカはあえていじらない方がいいのだろうと放置を決める。これ以上深く聞いても無駄足を踏むだけと判断したようだ。ほっとするやら、名残惜しいやら、よくわからない感情がぐるぐると渦巻いて、どうしていいかわからない。
「とにかく、オーロラを待とう」
これだけいうのが精一杯だった。
* * *
オーロラ出現率の高い場所はやはり寒くて、全員が防寒着で着膨れながらも、出現まで車の中で待っていた方がよかったんじゃないかと、言い出すには結構な時間が経っていた。どこが一番早くに出てくるだろうかと、ヒロキ、アヤカ、守がなにやら楽しそうに言いあっているのが、おそらく体温を高めるためなんだろうと思っても、とっくに身体は冷えきっている。それでも、テンションを高くして、アヤカの周りだけはあたたかそうな空気が漂っている、そんなことを感じて、譲はひとり苦笑していた。
「どうした?」
「ああ、要、お前どう思う? マイスターとしての目でも、普通の人間の観察としてでもいい。アヤカが、子供みたいにはしゃいでいるのが、なんだかほほ笑ましくて和まないか」
「そういうことか。そうだね。深く考えなくても、彼女をここに連れてきて良かったと思ってるよ。記憶もうまく整合性がとれてきているようだし、いい事じゃないか」
「そうか、合格か。ならいい」
「なにか問題でも?」
「いや。ヒロキもこれで安定してくれればいいなってだけさ」
「まったくだね。これで仮マスターもお役目返上かな?」
「そんなもの、最初から無いさ。あいつらは、俺の家族だ」
「ふうん?」
珍しい事を言う、と要が視線だけ譲に向けるのに、
「柄にもない事を言っているなんてことはわかっている。人は血縁なんて無くても家族になれるし、あっても離れる時は離れるものだ。ただ、それだけだ」
わかっているぞと言葉を返す。
「一人暮らしが性にあってるって言ってなかったか?」
「それは変わらん。お互いのプライベートがちゃんと守られるのなら、今のように大所帯でもなんとか暮らしていけるってだけの事だろう」
「たしかに、ね。それだけの広さのあるところに住めている事が大重要事項ってことか。……うん、そうだな」
「なんだ急に」
「いや? そういう考え方もあるなって、それだけさ」
「お前、変な奴だな」
「譲に言われたくない」
「なんだと?」
おもむろに、譲が要に向き直ろうと体を動かした春夏、それはおこった。
「あ!」
はるかな頭上で光のカーテンがさぁっと現れ、揺れて波を打つ。頬が凍りそうななかで、そこだけ温度なんてないかのように、数々の光のカーテンがなめらかに動いて、まるで自分たちを誘ってでもいるかのようだ。
「おぉ」
声とも音ともつかない、ため息にも似た感嘆のどよめきを漏らして、ともすれば後ろに倒れそうになりながら、光の乱舞に見とれる。
「アヤカ、指輪を交換しないか」
「え?」
「サイズがお互いちぐはぐだろう? だから、ここで、俺のオリジナルの宏樹が見たがっていたという、オーロラの下で交換したいんだ」
「サプライズってそれ?」
「そうだが?」
なにか問題があるのかと不思議そうな顔をされて、ヒロキのわかりやすすぎて、逆に本気かと疑いたくなる気持ちを、ぐっとこらえるのに苦労する。
「今、この寒さで手袋を外す気になれないんだけど?」
「そうか、そういえばそうだったな。気温の事を忘れていた」
ちょっと忘れ物でもしてました程度の軽さで言われて脱力感が拭えない。
「ヒロキ、今自分がなにを言ってるかわかってる? ものすごく大事な事だよ?」
「当たり前だ。だからオーロラの元で、と思ったまでの事だ。マスターから受け継いだ大事な指輪を、再び俺達で交換して、俺達自身が互いのオリジナルにも等しい存在になろうといっているんだが」
駄目だ、ヒロキが壊れている。
その場にいたヒロキ以外の誰もがそう思った。
「オリジナルへの敬意の表し方がわからない。アヤカとこれからも一緒にい続けるために、ここでひとつ、区切りをつけたかったんだが、こういうのは、どうもうまくいかないな」
皆がはっとした。自分のオリジナルがいる事を、考えた人間がいるだろうか。確かに、自分のオリジナルと同じであり、同時に違う事を受け入れるために、自分ならどうするだろうか。なまじ下手な家族より近い存在であるだけに、どうしていいかわからなくなるのももっともな話で。ヒロキの奇行は、そこから生まれたジレンマの成れの果てという訳か。ならば、多少変でも納得がいく、と全員が理解した。
「大丈夫」
くすっと口元をほころばせたアヤカは、仕方がないなぁとひとりごちて、ヒロキの頬にキスをする。
「ここで指輪の交換はできないけど、誓いのキスならできるよ。ね?」
そう言ってキスをねだるのが、なんとも可愛らしくて。
ふたりは譲たちが見守る中、オーロラの下で不器用なキスをした。
* * *
「お前が生きていてよかった」
ようやく帰り着いた家で、改めてみんなの祝杯の元、照れに照れまくって、ふたりは無事に指輪の交換を終わらせた。そんなテンションの乱高下で疲れ果ててから数日。ヒロキはアヤカの言葉などまったく聞いていないかのようにつぶやくと唇を塞ぎにかかる。最初は軽く、そしてだんだんと深く。
文句を言いながらもどんどん深くなるキスにアヤカの身体は徐々に反応を返すようになってくる。そんな自分を発見して、アヤカは顔を真っ赤に染めた。
「こら、懲りてないでしょ!」
「なにを? 俺はお前が生きていて良かったと本当に思っている。それを身体で伝えようとしているだけだ。なにが悪い」
「少し……は、手加減……てもの……を、覚え……ンっ」
結局予定の日程よりは早く帰ってきて、数日はヒロキも大人しくしていたのだが。流石におさえきれなくなったらしい。
それでも、この間のような激しさはなく、普段のように穏やかなものにはなっていたのだけれど。
ヒロキはアヤカのすべてを愛おしむようにっひとつひとつ確認していく。目、鼻、口、手、足、腕、足、指の先まで抱きしめるように。そして指に指輪を確認して、ほっ、と一息つくのだ。
「まったく、ヒロキはー。オレ様のくせして、変な奴」
アヤカは苦笑して、キスを返す。
「そういうとこ、マスターにそっくり」
「お前もな」
伸び上がって、またキスをする。
「あ、こら!」
そんなアヤカの言葉はヒロキの耳には入らない。
* * *
「俺は、あんなヒロキは初めて見た」
「……そうか」
「彼らは本当に『対』なんだね」
リビングでしみじみとしながら、三人は乾杯の酒を酌み交わした。
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