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国葬
父はその翌朝、安らかな顔で息を引き取った。
それは無論、彼の本望では無かったかもしれないけど、私達と逢えたことは彼の最期を彩る幸せな瞬間だったと信じたい。
父が亡くなった翌々日、父の国葬がアサブラ国立競技場で行われた。
五万人を収容出来るスタンドは満席で、競技場の外にも数万人の人々が集まり父の死を悼んでくれた。
父の棺の背後には父がこの国で活動していた時の数百の写真が飾られている。
インファニ大統領が弔辞を読み上げた。
「ドクター田所をお救い出来なかったことを本当に申し訳なく、悔しさと哀しさで一杯です。祖国の為に全力を尽くし、多数の国民の命を救い、そして多くの後進の医師を育てて下さったドクターの献身と努力は本当に掛け替えのない物でした。ドクター田所の名前は英雄としてアサブラの地に永遠に刻まれ、そして人々の心にいつまでも遺るでしょう・・」
私と母はその言葉を聞き嗚咽を洩らした。
しかしその哀しみは私達だけでなかった。スタジアムの数万人の弔問者、そしてアサブラの国民全員が父の死に心を痛めてくれていた。
私はそんな父を改めて誇りに思い、そして絶対にもう一つの夢を実現すると心に決めていた。
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