4.紫色と青色と緑色

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4.紫色と青色と緑色

 今日の目覚めは紫色の中。扉のない四方の壁は菫色のパネルに敷き詰められている。俺は中央に菖蒲のあしらわれた掛け布団を抜け出て、窓辺に立つ。紫色のライトの中、バーカウンターが窓の向こうに見えている。  俺は昨日、いつブザーが鳴ったのか、いつ寝ていたのかを覚えていない。何かが変わろうとしている。幽霊なのに怖いものがあるなんて変な話だが、俺は彼女が怖い。深呼吸を一度してからテーブルの上の葡萄ジュースを手に取り、所在なさげに部屋の中を歩き回る。  トゥルーマンはカウンターでぐだぐだとカクテルを飲んでいる。酒が飲める年齢になった彼は背伸びをして、たまに一人でバーに行くようになった。こいつは昔から変に格好つけたがりの部分がある、小学校の時にカレーを無駄に多くおかわりをして体調を崩していたのが懐かしい。  この俺に何が起きようとしているのかはわからない。でもこのすっとぼけた彼が平穏に暮らし続けることを願う。性根のまっすぐな男だ、俺が見守ることができなくなったとしてもきっと大丈夫。これからも君は多様な色彩を見て、泣いて、笑うのだろう。  チェイサーの水を店員が出してくれるよう、メモに書こうとテーブルを見ると、メモ帳の横に手紙が一通あるのに気づいた。ラジオの日でもないのに届くのもルールから外れている。灰色の封筒を開けて、中身の文章を見る。そこには一行だけ書いてあった。 『今から数えて三十回目の朝、日曜日にトゥルーマンは死にます。』  今日の目覚めは青色の中。扉のない四方の壁は青色に染まっている。群青色のシーツをはがして俺は窓辺に立つ。窓の向こうは突き抜ける青空を見上げるどこかの建物の屋上。トゥルーマンはその下でノートパソコンを立ち上げて、カタカタと何かを書き記している。どうせ大学のレポートだろうが、冬に入ったこの寒空の下でわざわざ外でする必要もあるまいと思う。俺はチャイナブルーを飲みながら、アルコールで気が大きくなったまま、メモに殴り書き、兎の手に握らせる。  暫くしてそれは起きる。トゥルーマンの目の前に紙飛行機がどこからか降ってくる。彼は不審げにそれを取り、そこに何か文字が書かれていることに気づくだろう。広げた紙にはこう書かれているはずだ。 『これは守護霊からの手紙だ。君が小学校の頃に信じていた宇宙人がいるかどうかはわからないが守護霊は歴として存在する。君は一ヶ月後に死ぬ可能性がある。生き続けたければ、また連絡を取るからその指示に従え。まずは俺の存在を信じろ』  トゥルーマンは眉を顰めて、周囲を見渡す。お前は誰だ、と誰もいない方角に声を飛ばしている。  おそらくこれはルール違反だ。だが、先に仕掛けてきたのは向こうだ。どの方向にいる誰かもわからない、その向こう側と戦うことを俺は決めた。  トゥルーマンは俺からの手紙をポケットに入れて、屋上から立ち去る。ブザーが鳴ってベッドに潜り込む。次の動きを考えながら眠る。  今日の目覚めは緑色の中。扉のない四方の壁は萌黄色に染まっている。冬の時期に緑の中で起きるのは珍しいと身を起こす。窓の向こうに広がる景色は電車の中だ。緑色のシートとつり革。彼が通学に利用する路線の車内。トゥルーマンはシートに腰掛け、他の乗客よろしくスマートホンを触っている。 俺は昨晩に考えていた作戦を取る。メモ帳を一枚取った後、それを何枚かに折って、等分に破り取る。そのうちの一枚に『守護霊からメールが届くようになる』と書き、もう一枚に『メール文:守護霊だ。話がしたい』と書き、両方を兎のぬいぐるみに挟む。  トゥルーマンはスマートホンをしげしげと眺め、警戒するように左右を見渡す。どうやらメールは届いたようだ。俺は続けて『メール文:今俺はお前を正面から見ている。理解したら頷け』と書く。彼は愚直に頷く。 『メール文:こちらからメールが送ることができるのは電車にいる間だけだ』 『メール文:何か伝えたい時はスマホに文章を書いて、その画面をこっちに向けろ』  トゥルーマンは言われたとおりに何か文字を打ち、画面を見せる。 【こんな感じ?】  俺は頷く。初めての彼との対話に少し興奮しながら、俺は次のメモの切れ端に文字を書く。 『メール文:上出来だ。昨日話した通り、一か月後お前は死ぬ可能性がある』 【それはどうして?】 『メール文:わからない。だから気を付けた方が良い。まずは健康診断を受けろ』 【学校で指定された健康診断は半年前に受けたばかりだけど?】 『メール文:それでもだ、あらゆる可能性を避けておきたい。良いな』  彼は不承不承といった感じで頷く。電車は最寄り駅に着き、彼は下りていく。最後に画面を一度、こちらに向けて。 【ありがとう、守護霊さん】  それから、数日にわたって俺は彼との対話を続ける。これまで見守るだけだった彼との会話は新鮮だった。彼の命を守ることが最大の目的だったが、それ以外にも様々な話をした。彼の過去のこと、これまで俺がした悪戯のこと。 【まるでもう一人の親みたいだな、君は】  トゥルーマンはある日俺に言う。少し照れくさくて俺は、『メール文:うるさい』とだけ送ってその日の飲み物を飲んだ。桃色の部屋で、ピンクレモネード。  そんな充実した日々を送っていたから、灰色の世界の少女のことを忘れていた、あるいは忘れようとしていたのかもしれない。しかし、彼女は再び窓の向こうに現れた。しかも、灰色の時間ではない時に。  宣告された彼の死まで、あと五日に差し迫った日のことだった。
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