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「君、やっぱりストーカーかなにかだろう!」
「違いますよ! 見守ってるだけです!」
「あー、いるんだよね。こういう自己完結しちゃう子。ほら、交番まで来なさい」
「いーやーだー!」
腕を捕まれて無理矢理引きずられそうになる。このおまわりさん強引過ぎる! 違うって言ってるのに。
「ミコト!」
しばらく攻防を繰り返していたら、こちらに駆け寄ってくる人の気配。そして聞こえてきた声。
それに気づいた僕は、おまわりさんの腕を振りほどいて慌てて背を向けた。
「お前はまたやってるのか。素直にうちに来いって言ってるだろう」
「……どちら様でしょう」
「ミコト、お前は俺に恋人がストーカーに間違われて交番に連れて行かれるのを黙って見ていろと言うのか」
呆れたような声。でも心配の色も含んでいる。その声に僕はチラリと視線を向けた。その先には眉間にしわを寄せた彼がいる。
「おたく、この子の知り合い?」
突然現れた彼におまわりさんはひどく顔をしかめて僕と彼を見比べる。
「俺の恋人です」
「ストーカーじゃなくて?」
「それは以前の話です。ほらミコト、フード下ろして、キャップ脱いで、マスク取る」
「いーやーだー。こんなの違う! 僕はひっそりこっそり見ていたいだけなのに!」
彼は僕のキャップもマスクも取り上げて、無理矢理フードも下ろした。電柱の蛍光灯の光が真っ直ぐに僕に降り注ぐ。
「こりゃ驚いた。随分とべっぴんさんじゃないの」
恨めしげに見つめる僕をよそにおまわりさんはマジマジと人の顔を見つめる。僕は両手で長い前髪を集めてその視線を遮った。
「ご迷惑おかけしてすみません。習慣付いてるらしくて、こいつ普通の行動が取れないんです」
「はあ、そりゃまた面倒なこった」
「ミコト、おいで。俺と約束しただろう。もう隠れたりしないって」
真っ直ぐに僕を見つめる彼の目は穏やかで優しい。その目は小さな生き物に見せる顔とは違う。それは、その瞳は、彼が僕だけに向けてくれる眼差し。
「一緒に部屋に帰ろう、ミコト」
「……カズ、さん」
「うん、そう、俺はカズだよ。君の妄想の中にいる【彼】じゃない。いい子だから、俺の手を取って」
目の前に差し伸ばされた手、僕にだけ伸ばされる手。それをじっと見つめて、生っ白い手を伸ばして大きな手に重ねたら、ぎゅっと強く握りしめられた。
「寒いだろう? 暖めてあげるから、おいで」
腕を引かれて身体がいとも簡単に彼の胸に閉じ込められる。僕の身体は彼の半分くらいしかない。小さくて細くて、頼りない身体だ。
「恋人をストーカーするなんて酔狂なことをするもんだ。あー、これからはきちんと面倒見てくださいよ。不審者がいるってみんな怖がるんですから」
「すみません、ちゃんと言って聞かせます」
彼が頭を下げるとおまわりさんはやれやれと呟きながら去っていった。周りの視線もいつの間にかなくなって、僕と彼だけが取り残される。冷たい風が吹き抜けて、僕の長い髪が煽られた。
「ミコト、もうしちゃ駄目だって言っただろう。俺の後をつけたりしないで、声をかけて一緒に帰ろうって言ったじゃないか」
「でも」
「でもじゃない。そうじゃないと今度は俺がお前を追いかけて閉じ込めるよ」
「……え?」
そうだ、僕は秋の風が吹き始めた頃にいつものように彼を追いかけて、彼をこっそり見守っていた。なのに突然目の前に現れた彼に見つかってしまったのだ。
薄々僕の存在に気づいていた彼は罠を巡らせていて、それに僕はまんまとかかってしまった。追い詰められて、洗いざらい白状させられて、ああ、もう駄目だって思ったのに。
彼は――カズは、僕にストーカーは卒業して自分の恋人になりなさいと言った。僕のことは随分と前から知っていたのだと言う。
僕の素性もすべて調べたと言っていた。もう逃げ場がなくなって、どうしたらいいかわからなくなって、僕はカズの言葉に頷いたんだ。
でも身に染みついた行動はそう簡単にはやめられなくて、ましてやカズの隣を歩くなんてできなくて、僕はあれからもずっと彼の後ろを追いかけた。
「ミコト、言うこと聞かないとお前を繋いで、俺の前から消えられないようにするよ。それが嫌ならちゃんと俺の前に立って、できるだろう?」
「た、たぶん」
「たぶんじゃない、約束」
カズは彼とはだいぶ印象が違う。人が苦手な口数の少ない彼と、真っ直ぐに僕を見つめて話すカズは別人みたいだ。でも時折ふっと笑った顔は変わりがなくて、僕はそれに戸惑ってしまう。
「あ、えっと、約束、する」
「うん、いい子だね」
俯いた僕の頭を撫でて、カズは癖毛のてっぺんにキスをした。そして腕に納めた僕をきつく抱きしめる。
僕は彼を見守っていられればそれでよかった。それ以外のことは望んでいなかった。でも僕はカズという人間に捕まってしまった。
蜘蛛の巣にかかった蝶のようにたぶんきっともうそこからは逃げ出せない。僕の羽をもいだカズは決して離してはくれないだろう。
これは幸せの結末? 最悪な結末?
僕にはよくわからない。でも僕は彼が好きで、カズも嫌いじゃない。一体これはどちらが手に入ったんだろう。
「ミコト、愛してるよ」
優しく微笑んだカズは愛おしげに僕に口づけた。
蜘蛛の糸/end
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