六話

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六話

 で、翌日。  幼稚園のスリの授業中も、渡辺は昨日の記念日を思い出して、ずっとニヤニヤしている。幼稚園といっても、ここはワルを要請するエリート学校。犯罪の授業がある。  スリや窃盗、盗撮など、ありとあらゆる悪行の基本を生徒達は仕込まれる。が、これを額面通りに行えば、すぐに警察に逮捕され、ただの三流犯罪者である。ワルとは、これを応用して、どう人々を感動させるかが問われるのだ。 「渡辺、うまく財布が盗めねぇぜ」  竜二が泣きべそをかきながら、渡辺にすり寄ってくる。いつもなら「自分で考えろ!」と頭を引っ叩くが、今日の渡辺は超半笑いで機嫌がいい。 「俺が手本を見せてやるから、感動で無く準備をしておけ」  渡辺が久々にスリの授業に舞い降りた。 「おぉ! 渡辺さんがスリを実演するぞ!」  渡辺がやるとなれば、園児達は作業をやめて、周りに集まってくる。いつもの事だ。このワルの申し子から何かを学ぼうと刮目して、渡辺の演技を観察する。  渡辺は絶えず「スリはキス」だと言ってきた。それは宙を舞う天使の羽根を撫でるかのごとく、尻の財布を優しく素早く抜き取るのである。 「天使がいない場合は、ティッシュでもいいから。ティッシュを撫でるようにやれよ」  今日の渡辺はこんな料理番組の先生のようなフォローを言うほどに機嫌がよかった。  そして、手下の尻に入った財布を「ふぁさっ」と渡辺は優しく抜き取った。 あまりにもソフトタッチで財布が尻を撫でていったものだから、気持ち良さで「もう一度、スってください!」と手下は頭を下げて頼んできた。  居合の名人のような斬られた事すらわからない鋭さと、ティッシュ工場のフワフワを生み出す機械の優しさを合わせた芸術的な悪であった。  久しぶりに見る渡辺のスリに、手下たちは拍手と歓声を上げた。 『また、スられたくなるスリ』  渡辺は中学時代にこのスリで、上司のセクハラに悩むOLの心を鷲掴みにしていたのだ。 「ケツを触られるのが、こんなに素晴らしい事だったなんて、渡辺がいなかったら知らずに土になるところでした。戒名に尻が入っても、もう大丈夫よ」  あるOLは渡辺を捕まえた警察の取調室でそう述べ、もっと財布の感触が直で伝わるタイトジーンズを買いに出かけて行ったのであった。  何気ないワルにもキレがある。 この前までの自殺寸前が嘘のように渡辺が蘇った。  帰りのお遊戯では『クラリネットをこわしちゃった』を元気に歌い、この喜びの記念日を祝して軽い宴を催した。  「芸術は破壊だ」と常々思っている渡辺にとって、このクラリネットを破壊するという行為はとても好感が持て一定の評価を与えていた。  特に渡辺は、最初の「僕の大好きなクラーッリネット!」と言う処を力強く歌う事をこよなく愛する青年である。そうやって緩急をつける事で、後半の「どーしよ! どーしよ!」を不安げに歌うのが効いてくるのだ。テンションが高い時など、「どーしよ」に合わせて、こめかみに両手の指を当てたりもする。これがカワイイ。  そして、その後の呪文みたいな歌詞はヨダレが垂れるほどに暴れ回る。今日も歌い終わると学ランを脱ぎ散らかし、素っ裸になっていた渡辺。  幼稚園後、今日の渡辺は手下達とは別れて、一人で街へとくり出す事にした。大仕事を終えた翌日だが、クールダウンがてらに、クレープ程度の軽いワルでもしておこうと考えたのだ。この辺が凡人と違う由縁である。  るんるんるん。  鼻歌交じりに市民の憩いの場、血の雨が吹き荒れる噴水があるマッドセガール公園へとやって来た。ちょうど、マッドセガール市の中心に位置している公園。  平日の昼間、老人の天国。  渡辺はどんなワルをしてやろうと、いい意味で死にぞこないの野郎どもを品定めする。あんなワルはどうだ? こんなワルはどうだ? 復活して絶好調の渡辺の脳内に、幾重モノパターンが浮かんできた。 「ん?」  すると、視線は森の中へ向かった。  数名の高校生が弱そうな覆面レスラーをカツアゲしているではないか。昨日、駅前で見た野郎どもだ。  またカツアゲとは、何て野郎だ。木と木の間から見てもダラしないワルだ。  そして、麒麟は閃いた。 「このカツアゲしている野郎どもから、俺がカツアゲをしたら、俺はカツアゲをした奴より更にワルって事になるな」  俺は、いよいよカツアゲを越えるのか……。  渡辺は、その斬新なワルに心臓がドキッとした。何て完璧、さらに隙の無いワルだろうか。いよいよやんか渡辺。  昨日はワルの新境地、そして休憩と思っていた今日に至っては、ワルを一歩先へ進化させるとは、いよいよ天才には休みが無い。  渡辺は、「よっしゃ!」と意気揚々に森の中へ入っていった。  高校生共は覆面レスラーから金を巻き上げて、ニヤニヤしている。畑に置いてある風呂の水の様な汚い顔だ。なんで畑には風呂があるのか。  渡辺は中途半端なワルで満足しているクソガキ共に胸糞悪くなった。コイツらの遺伝子ごときに泳いで負けた精子がいることが信じられなかった。  そして、怒れば怒る程に渡辺の脳内にあるワルのシナリオがどんどんアカデミー賞へと近付いて行くのであった。  渡辺は木に隠れ、カツアゲ具合を観察し、出て行くタイミングをうかがう。  レスラーはジャンプをさせられている。小銭の確認だ。そろそろか? いや、違う。  レスラーの靴下の中まで確認されている。千円が入ってた。よし、行くか。 「おい!」  渡辺の声にチンピラ達が振り返る。 「何だテっ……」  チンピラ達は渡辺のマッちゃんの制服を見た瞬間、ギョッと目を見開いた。 その隙を見逃さず渡辺は「とうっ!」とチンピラ達へ飛びかかり、あっと言う間にレスラーからカツアゲした金をカツアゲした。  並みのワルならここで満足するところだが、渡辺は違う。「ここで一工夫!」と、三分クッキングみたいに自分の完成したワルに更に一手間を加える事にしたのだ。 「おい! 顔面包茎」  渡辺は覆面で顔を隠したレスラーを呼んだ。 「な、なんじゃ?」  レスラーは金を持って何故かジリジリと歩み寄ってくる渡辺を恐れ、後ずさりした。さすが天才。凡人には行動が理解不能。 助けてもらった男とは思えない怯え方で渡辺を見ているレスラー。 「これを」  渡辺は、レスラーの金をレスラーに差し出した。  渡辺の一工夫とは、カツアゲした金をレスラーのジジィに返す事であった。これによって渡辺がカツアゲした罪を、被害者のレスラーに擦り付け、「カツアゲされた人が一番の悪人」という何重にも伏線が張られたワルが完成した。  複雑すぎて、もはや哲学である。  渡辺は、最後に己のしたワルを確認した。  倒れている高校生のチンピラ。よし!   金を貰って呆然としている覆面レスラー。よし!   俺の満足。よし!  やっているワルを頭の中でリプレイする。何度思い返しても斬新であり、忘れていた何かを思い出させてくれるワルである。 うむ。  渡辺は己のワルに満足し「じゃあね」とレスラーに言い、その場を去る事にした。 「そんなワルで満足か? 渡辺?」 「ん?」  突然、レスラーが渡辺に向かって言った。レスラーは更に不敵な笑みまで浮かべている。 「この程度のワルで満足するとは、最近のマッちゃんも落ちたもんじゃ」 「なんだとっ!」  渡辺は「貴様ぁ!」と、馬鹿にされた怒りに任せ、ジジィの服を脱がしに掛かった。うおおおお!   しかし、渡辺の突進を、ジジィは雑魚にカツアゲをされていたとは思えないしなやかな身のこなしで交わした。  意表を突かれた渡辺は落ち葉に足を滑らし、地面に顔から突っ込んだ。土がついた顔を上げると、レスラーはまだ不敵な笑みを浮かべていた。  「着信音か?」と渡辺はポケットを漁ったが、渡辺はスマホも携帯も持っていない。やはり、レスラーの笑い声だ! と合点がいく渡辺。 「お前は、ワシからカツアゲをしているチンピラからカツアゲをしたら、さらに凄いワルになると考えたのだろ?」  渡辺は「そうだよ」と頷いた。  今、人づてに自分のやったワルを聞いても完璧だった。  渡辺の脳による計算においても『七十網走』は固い佳作である。ちなみにひき逃げで『十網走』くらいだ。この網走と言う単位は渡辺独自に開発した単位である。 「そんな赤ん坊なワルで、まさかワルの頂点に立ったつもりでいるのではあるまいな?」  このレスラー、何を言っている? 七十網走の斬新なワルが赤ん坊だと? 耄碌しやがって。だから、ワルがわからない奴は困る。  すると、レスラーは渡辺の目の前に、さっきカツアゲされたお札をヒラヒラとチラつかせてきた。  なんだ? 「まだ気づいていない様じゃな、渡辺よ」 「何で俺の名前を知っている?」  渡辺は、ジジィからお札を手渡され、じっくりと眺めた。次の瞬間、天地が崩れる程の衝撃が渡辺に襲った。 「こ、これは……とんでもねぇ、ワルだ……」
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