七話

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七話

 お札には『一億万円』と書かれていた。そして、何かお金っぽい感じの絵が描いてあるけど、どっからどう見ても下手くそな手書きの偽札であった。いや、下手すぎてカネにも見えなかった。  渡辺は、もしこの金をチンピラがカツアゲしてゲーセンでも行った時の事を想像した。恐らく、両替機の前でチンピラは……。  渡辺はそこでゾッとした。このレスラーそこまで計算してカツアゲされていたのか? だとしたら……とんでもねぇワルだ。  カツアゲされていると見せかけて、チンピラの心をカツアゲしていやがった。哲学。いや、これはラブロマンス!  渡辺の脳はこの大人の恋愛のようなワルに『一七〇網走』という数値を与えた。渡辺の過去最高のワルですら『八十網走』、この男のワルは倍以上のワルであったのだ。 「これが本物のワル『俺の金』じゃ。この金は、ワシが『自分が頑張った』と認めたときに、自分へのご褒美として、丹精込めて手作りしたお金じゃ。ワシは、これを自分自身からプレゼントされる事で『あ、良い事をした。明日からも頑張ろう』と思うのじゃ」  レスラーのジジィはそう言った。勝ち誇った姿で。  渡辺はそれを聞いて、気持ち悪く思った。そして、虚しい余生を送っているこの老人を軽蔑し「死んでもそんな人生は送るまい」と心に誓った。 「渡辺、お前は今、こう思っておるな。気持ち悪いと」 「何故、解った? 気持ち悪い男」 「ふふふ。まだ、このレベルのワルを味わった事がないなら、そろそろ来るじゃろ?」 「なに?」 次の瞬間であった。 渡辺は、体の内側から毒が回ったようにドッと重さを感じて、その場に跪いてしまった。 「ふっ、ジワジワと効いて来たようだな渡辺。それが真のワルの力だ。 お前の脳が「何でこんなどうでも良いモノをカツアゲする為に、労力を使ったんだ!」と後悔し、体に疲れを及ぼしたのだ!」 くっ、立てん! 「渡辺。お前はワシの芸術的ワルを、訳のわからん低レベルなワルで潰したのじゃ!」  がーん。  その瞬間、渡辺のプライドはズタズタに切り裂かれた。確かに『俺の金』の斬新さに比べれば、渡辺のワルなど紙くずだ。 「お前、何者だ」 「ワシの名は玉男。お前と同じ、マッドセガール工業幼稚園の退学生の一人だ」 「なにっ! 退学生だと!」  『退学生』と言う言葉に渡辺は驚いた。  マッドセガール工業幼稚園ですら手におえないと判断されたワルな園児は、ワルのエリート『退学生』として幼稚園を退学させられる。いわば、渡辺達が目指しているマッドセガール工業幼稚園の園児たちの憧れだ。  全国から集まったワル自慢がこの退学生を目指しては挫折し、ワルを諦め、堅気へと戻っていく。マッドセガール工業幼稚園のとんでもなく長い歴史でもわずかな百人程度しか到達していない狭き門である。  その栄誉ある称号を持っているのがこの目の前の老人レスラー、玉男だというのか。  ぐおおお!  渡辺は気合いで立ち上がった。 「退学生のワルもこの程度か。全然効いちゃいないぞ」  渡辺は足を諤々震わせながら、虚勢を張った。 「ほう。さすが、噂に聞くだけはあるな渡辺」 「なんで、俺の名を知っている!」 「ワシはお前を試験する為に、ここでカツアゲされていたのだ!」  ここでカツアゲされていただと!  渡辺は驚いた。 「ここでキスして!」って言う積極的な女はいると聞くが、「ここでカツアゲされて!」ってなんだ。どの層にニーズのある行動なんだ! 「最初の試験は合格にしておいてやる」 「試験ってのはなんだ?」 「お前がワルの壁を超えたと聞いたのでな。戦いの戦力になるかを確かめる試験だ」 「戦力だと? 何のだ?」 「当然、今、この町で猛威を奮っている警察達。そして、ワルモン相手に」  ワルモン? 「今、このマッドセガール市は水面下でワルを使って人々に迷惑をかけるヤツらで溢れておる。それがワルモンだ」 「なんだと!」  知らなかった。渡辺は驚いた。 「ワルってもんは、人々を平和にするためにあるんじゃないのか!」 「元来はその通りだ。しかし、使い方を間違えれば、ワルは人々の迷惑をかける、今の警察の正義のようなものになってしまうのだ」 「ワルで悪事をするだと」  許せん! ワルを悪用する奴は、俺がとっちめる!  渡辺は、両親の夜を営みを初めて見たときのような、なんかやるせない悲しい気持ちになった。  だが、一つ確かな事があった。  ワルを悪用する奴は、絶対に許すことはできないのだ。  渡辺は玉男の両肩をが尻と掴んで言った。いつにもなく真面目な表情だった。 「教えてくれ、どうやったらそのワルモンとやらを倒せる? 俺は今以上のワルになれる?」 「ワルの帝王を目指すなら、今やワルモンは避けては通れない存在になっている。が、まずは退学生にならねば、話しにならん」 「だから、どうやったら退学生になれる?」  玉男は暫く黙り込んだで、観念し、話し始めた。 「昔、この街はワルで溢れ、警察の正義感とともに市民の平和を守っていた。真のワルとは被害者を幸せにし、そして加害者自身も幸せになる。そんな芸術としか言えないワルを先人の人々は次々と生み出して行ったんじゃ」  玉男は遠い目をして語った。まるで、見て来たような口ぶりだった。 「知ってる」 「実はな……このカツアゲがお前と話をするために仕組んだ芝居じゃ」 「なんだと!」  さっきも同じこと言ったぞ! と渡辺がいうと玉男が「ええ!」と驚いた。玉男は少し老化が進んでいた。 「お前は、ここ最近に『真のワル』に目覚めた。ワルによって人を感動させる境地の入り口に立った」 「俺が真のワルに……」 「まず、一次試験は合格だ。厳しい現実を突きつけられても立ち上がり、より上のワルを目指そうした、その姿勢は買いだ。それで、これからは退学生になるための最終試験じゃ」  渡辺は、ここ最近の自分のワルを振り返った。あのワルをした後の味わった事のない爽快感、あれが『真のワル』の入り口だったのか。 「じゃあ、出口はどこだ!」  渡辺はすぐにゴールを目指したがる性分であった。玉男に聞いたら「知らない」と言われた。なんだ。 「渡辺。ワシについてこい」  玉男は、そう言って渡辺の先を歩き出した。  しかし 「それはできない」  渡辺は、この千載一遇のチャンスを丁重に断った。それは苦渋の決断だった。 このまさかの渡邉 理佐の選択に玉男も「え!」と驚いた。 「何で、ワシについて来ないんじゃ!」 「俺はな。知らない人についてっちゃいけないって蓬田に言われてんだよ!」  そう、割るとかどうとか以前に基本である。知らない人について行ったら危ないのだ。基本である。 「ふざけんじゃねぇぞ。俺を舐めんなよ、糞ジジィ!」  渡辺は迷子や誘拐なんて下らないワルに騙されない様に、蓬田達から色々と躾をしっかり受けていたのだ。  その後、玉男に「さっさと来い!」と腕を引っ張られるが「うるせぇ!」と岩の様に動こうとしない渡辺。 が、業を煮やした玉男から「お菓子を買ってやるから!」と言われ、これには嫌が応にも着いて行かざる得なくなり「ちきしょぉぉ!」と涙を流しながら、苦渋の選択で玉男の後を着いて行く事にした。安い男であった。  玉男に連れられ、どこかへ向かう渡辺。  しかし、渡辺はお菓子を買ってもらった恩を返すつもりで「この男に地の果てまでも着いていこう」と決めていた。安い男である。  しかし、しばらく歩くと見覚えのある景色が目に入って来た。そこは渡辺が最近までチョコレートを配っていたあの幼稚園だ。 「あぁ、懐かしいワルだ」  あのチョコレートのワル。あれを思い出すだけで、渡辺の心はまだ潤う。やっぱりあのワルは良かった。 「そういえば、渡辺。お前は押し花にハマっておるらしいのう」 「あぁ、俺の心のオアシスさ」  渡辺は押し花好きだった。趣味だった。人生だった。 フェンス越しに幼稚園の中から、園児達の泣き声が聞こえてきた。なんだ? 渡辺が覗くと花壇の前で園児達が泣いているのが見えた。 「今、泣いているって朝からずっとあそこで泣いているのか?」「もう夕方だぞ。水分は取っているのか?」「脚の筋肉は大丈夫か?」「花でこれじゃあ、米が不作だったら、どんだけ泣くんだ?」  色んな考えが頭を駆け巡って行く渡辺。「何があったんだ?」とは夢にも思わない男であった。
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