【思い出の割烹着】

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【思い出の割烹着】

金糸銀糸で縁取れた七宝柄や打ち出の小槌、巾着、宝珠など宝尽くしを表した、豪華絢爛な帯の縫い目を解いておりますと、ドアについたベルが鳴って来客を知らせました。 「いらっしゃいませ」 車椅子に乗った老人と、それを押す若い女性でした。 「どうぞ、こちらへ」 作業台の近くへ招きます、帯は端に寄せました。 女性にはスツールを勧めます、女性は笑顔で礼を述べてから、車椅子の押し手に掛けていたビニール袋を取って腰掛けます。 「あの、これと全く同じものを作ってもらいたいんです」 おっしゃって作業台に出したのは、茶色と言っていいほど変色した、純白の筈の割烹着でした。 虫食いだらけ、胸のあたりから腹のあたりまでは油や何やらが飛び散った痕でしょう、大小のシミがくっきり付いています。 首回りや袖口、肩の縫い目までボロボロです、この割烹着が過ごして来た年月を感じます。 「こちらは……」 思わず聞いていました。 「家内の遺品だ」 車椅子の老人が背を丸めたままおっしゃいました。 中村雄一(なかむら・ゆういち)さまとおっしゃいます。 「おじいちゃんもおばあちゃんも、もう長く老人ホームに入っていて」 女性が教えてくださいました。お孫さんの中村英美(なかむら・ひでみ)さまです。年の頃は20代半ばと見えます、一番最後のお孫さんだそうです。 老人ホームへは、まだお体が健康なうちから、息子や娘の世話にはならない、ふたり仲良く過ごしたいと入られていたとの事です。 「おばあちゃんが秋に亡くなったのね。で、遺品整理をしていたら、これが出てきて」 それまではふたり部屋だったのを、ひとり部屋に移る作業も兼ねていたそうです。 「──こんなもん、こっそりと大事に取っておきおって」 雄一さまが呟きました、微かに声が震えています。 英美さまはくすりと笑いました。 「おじいちゃんが結婚してからプレゼントした、最初で最後の贈り物なんですって」 言われて雄一さまは恥ずかしげにゴホン、と咳払いをしました。 「見つけてすぐは私もゴミだとばかり思って捨てるよーって言ったら、待て待てって。手にとって大事そうに撫でて」 「よせやい」 「大切なものなんだなーって判って、私がもらおうかって言ったら、馬鹿か、こんな汚いもん捨てろってゴミ袋に放り込んでさ」 新しい物を買ってやると言う雄一さまの言葉を無視して、英美さまはご自分の手荷物と一緒にしたそうです。 「洗ったら少しは綺麗になるかなって思ったんだけど駄目だったし、余計に生地も傷んでしまって。おじいちゃんは新しいの買ってやるって聞かないし、だったら全く同じものを作ってもらおうと思ってこちらへ──できますか?」 英美さまは、おばあさまがこの割烹着をいつまでも大事にしていた気持ちがお判りなのでしょう。 そして、きっと祖父母に大事にされてきたのでしょう。だから、贈られた雄一さまの気持ちにも寄り添いたいと。 「勿論です、お任せ下さい」 記憶も思い出も心もコピーできるよう、出来る限り元の割烹着に近づけましょう。 「布地から決めましょう。白は白でも色々ですから」 私は布見本の冊子をお渡ししました。それから店にある限りの白の布地をお出します。 「こんなにあるのか」 見本を見ていた雄一さまがうんざりと言います。 「どのような白でしたか?」 「どんなって……買うときも適当に選んだ、覚えてない」 「でもさー、記憶の中にあるやつで選んだら?」 「どれでもいいさ」 「せっかくこんなにあるんだもの、ちゃんと探そ?」 「そうは言われてもなー」 ぶつぶつ言いながらも冊子を捲ります。 「雄一さま、実際できあがると色の印象が変わることもございます、よろしければこちらのものを手に取り、絞ってみたりして選んでいただいても。厚みや手触りもございますし」 綿の平織りですが、糸の太さで印象も随分変わります。 反物を解きながら見せると、雄一さまは微笑みました。 「俺のことはロンと呼んでくれ」 「ロン様……ですか?」 名前からの愛称ではないのようです。 「アメリカの大統領に似てると、付けられた渾名だ」 ロン……ロナルド・レーガン大統領ですか。ええ、なるほど、言われてみれば似ているような気がします。 通った鼻筋と言い、彫りが深く見えるかんばせと言い、外国人の面影はあります。若い頃はもっとそのお顔立ちははっきりしていたことでしょう、かなりモテたのではないでしょうか。 「違うでしょー」 英美さまは笑います。 「麻雀が強くて、ロンの雄一って呼ばれてたんでしょー」 あ……なるほど。 どうやらそちらも真実のようです、ふたりで違う、そうだの言い合いが始まりましたが、分は英美さまにあるようです。雄一さまは少し視線が泳ぎ気味です。 仲がよくて羨ましい、そう思った時、ドアに付いたベルが再び鳴りました。 本日試着のご予約が入っていた結城様です。 「申し訳ありません、ごゆっくりお選び下さい」 私はおふたりにそう言って、結城様の元へ参ります。 トルソーが着ていたスーツを脱がせ、結城様を試着室へご案内します。 その時、英美さまの携帯電話が鳴りました。 「あ、やだ仕事の電話、少し出るね」 画面を確認した英美さまは店の外へ出ます。 私は結城様が着ている間に、ロン様の前に更に布を積み上げます。 結城様が出てまいりました、服の様子を確認します。 腰回りや肩の具合を確認し、まち針を打ち直します。袖やスラックスの長さも見ます。 その時、ぐぅ、といびきが聞こえました、思わずそちらを見ましたが、しゃがんだ私からは、布の山に阻まれてロン様の姿は見えませんでした。 それでもぐぅ、ぐぅ、と言う寝息は聞こえてきます、結城様が微笑みます。 「すみません、待たせすぎてますね」 結城様が鏡越しにおっしゃいます。 「いえ、私こそ申し訳ありません」 だからと言って、結城様のお仕事を手を抜くわけにはいきません。 腰の絞り具合を確認しておりますと、英美さまが戻ってまいりました。 「お待たせ、おじい……やだ、寝てるの?」 起こす気配を感じました、すると、 「わあ、なんじゃこりゃ!」 ロン様の大きな声が聞こえました。 「布はこんなに種類があるのか! 真っ白で眩しいくらいだ!」 ロン様は窓を背にしています、差し込む光がちょうど反射して見えるのかも知れません。 「あ、申し訳ありません、積み上げすぎました」 私は慌てて布の束を崩しました、確かに何段も積み重ねてはロン様は上の方は手も届きません。結城様も手伝ってくださいました。 「ああ、いや、いいんだ、ありがとう──あ、これがいいかもな」 私が手にしたひとつを指さしました。 リネン混のカラーシーチングです、元のものはリネンは入っていないようですが……ロン様がそれとおっしゃるなら、そう致しましょう。 「かしこまりました、こちらでお作りいたします。元のものを一旦解体して型紙を起こしたいのですが、よろしいですか?」 「構わん、終わったらこちらで処分してくれ。新しいものだけ孫に」 「承知いたしました、そのように」 結城様にお待ちいただき、お会計と伝票の記入をお願いしました。ゆっくりお帰りになるおふたりを店の出入口までお見送りします。 作業台に広げられた割烹着を見て、結城様が微笑んでいました。なんでも作るんですね、とおっしゃってくれたのが嬉しかったです。 そうなんでも作ります、それが服と名と付くものであれば。 それが大切な思い出が込められたものであるのならば、尚の事。 * 帯を使ったワンピースを完成させてから、古びた割烹着を丁寧に解き始めました。少しでも乱暴にすれば布地が裂けてしまいます、慎重を要しました。 解きながら思います。傷みが少ない箇所はあります、それを流用してみましょう。 襟元のケミカルレースと背面の結び紐は使えそうです。色褪せてはいますので新しい布に合わせたらそれが余計に目立つでしょう。でも特にレースは同じものを用意するのは大変です、しかし一番のポイントになるでしょうから、これが同じなら「同じもの」となるはずです。 ロン様とその奥様の思い出をお孫さんの英美さまに──きっとそれは優しい愛おしさで満ちています、それを思うと私の中にも優しさが溢れてきます。 思い出のリレーのお手伝いができる事を誇りに思います。 今日も丁寧にお仕事を致しましょう。 終
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