第4話 その2

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「て、いうかさ」 なに?と、振り向いた靖成に、ユキはワイシャツを渡してやった。うーん、やっぱりユキちゃんは可愛いな、などと靖成が考えながら着替えをしていると、そのユキが更に可愛く笑った。 「靖成、マジで惚れたな。賀奈枝ちゃんに」 靖成は硬直した。手からなめらかにワイシャツが落ちる。Tシャツ、トランクス(ヨレてる)姿のひょろい中年独身男子が、棒立ちである。 「ほーらな!当たり!」 イエーイ!とはしゃぐユキを横目に、靖成はうだうだと着替えを再開する。 いやさ……でもさ……とごにょごにょ言う靖成だが、動揺具合がわかりやすい。ズボンがうまく履けない。ベルトはうまく通らない。 「大丈夫だって!結局は結婚したら身内になるんだからさあ。靖成だって賀奈枝ちゃんにはもう気を許してんじゃん」 「ん?なんのこと?」 「話すとき、俺、って言うだろ、賀奈枝ちゃんの前では。普段会社じゃあ自分呼びで他人と一線引いてるくせに」 「……あ?」 だから悪人顔はやめろ、とユキは靖成の両頬をぐにーっと伸ばす。 「なんだよ、気づいてねえのか?靖成はさっちゃんとか佐々木さんたちの前でだけ俺って言うけどさ、賀奈枝ちゃん相手にも最近ずっと身内口調だろ」 「あ。あー?ああー……」 うずくまる靖成。そういえばそうかも、と三十五年生きてきてまた新たな発見である。しかし天然な賀奈枝は気づいてないだろう。 「でもさあ。そういうの、バレたらちょっと恥ずかしいよねー。それに俺は」 靖成は言葉を切る。 「やっぱり結婚は、考えてない」 はっきり、きっぱりと言った。神妙な表情でうつむく靖成からは、それが真面目に本心から出た言葉だとわかる。しかし、恰好がいただけない。 「……とりあえず、ズボン履け。遅刻すっぞ」 ユキに言われ、靖成は、あーうー、と慌ててズボンを履く。途中コントのように転びそうになる靖成は、なんともしまらない。 ばたばたと出勤したその後ろ姿を見ながら、ユキは呆れる。 「なんでかな。そんなに嫌なのか?結婚。さっちゃんたちだって幸せそうだし、こいつらだって」 ユキは天井に視線を向ける。かさこそささささー、と、複数の小さな、忙しない足音。 「鼠だって、所帯もって暮らしてるのになあ?」 そこで天井と壁の隙間からささっと降りてきた鼠を見つけ、ユキはお玉片手に追いかけるはめになった。
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