220人が本棚に入れています
本棚に追加
/215ページ
ケーキは美味かった。しかし夕飯のシチューの方が美味しくて、結局1口しか食べられ無かった。ユキの策略である。なんで式神が奥さんみたいに陰陽師の健康管理までしなきゃなんねえんだ、と最後はまた女の話になったのだが。
「そうは言ってもねえ…」
靖成は、土砂降りの雨を眺めながら、会社の最寄り駅の改札口にたたずんでいた。雨だから早くいけ!とユキに追い出されたところ、思ったより早く着きそうなので悩んでいるところだ。
朝は、眠い。そこは当たり前だが、靖成には朝が苦手な理由が他にある。
空気が嫌いなのだ。
人が沢山集まり、欲や妬みでごちゃごちゃになっている、うざっとした空気感。ユキはそれを素早く察知して一番ひどい人の憑きをおとしたりするが、靖成はそれをしたくない。
修行をサボったら破門になるかと思ったが、血筋というのは厄介で、最低限できてしまうからできる範囲で祓えばいいよと本部に言われた。
いつのまにそんなフレキシブルな考えになったのか知らないが、とにかく父も祖父も最後には「ユキがいるから」で済ませてしまっていた。
靖成が憂鬱な顔で立っていると、斜め前に見覚えのある女性がいた。
というか、見覚えのあるオーラだ。薄くしかわからないけど、と、じっと見ていたら、不審げな顔で振り向かれた。やべっ、と顔を逸らそうとした靖成の視界に、同じオーラがもう1つ飛び込んできた。もう少し明るい、ピンクがかったオーラ。
「あ。篠目さん?」
橋口賀奈枝である。
靖成は、派遣社員の名前を瞬時に思い出し(このあたりは営業マンである)、挨拶をした。
賀奈枝は隣の女性に、しどろもどろと何やら説明している。姉妹のようだ。そして姉の表情とピンクのオーラで靖成にも昨日のユキの言った相手が賀奈枝だというのがわかった。わかったからにはスルーである。
「じゃあ、自分は仕事なんで」
「え?今日は篠目さん、ずっと本社でしょう?」
靖成が、取引先に直行、というふりをして歩きだそうとしたら、賀奈枝に突っ込みを入れられた。そう言えば営業マンの予定の把握は彼女の仕事だ。おそらく仕事関係なく靖成の動向は把握されていそうだが、あまり近くにはいたくない。
しかし、靖成は姉のほうを見て考えを変えた。
「……いやあ。ちょっと早く来たからカフェでデータ整理でもしようと思って……」
カフェ、と聞いて姉の麻理恵がチッ、と舌打ちした。あー、だめなほうだこれ、と靖成は言い直す。
「……たんだけど、橋口さん、一緒に会社に行きましょうか」
賀奈枝のオーラが、ピンクから桃色になる。キャバ嬢が着るお仕事スタイルから、紫がかった紅梅色に。
「おお……」
思わず唸った靖成だったが、賀奈枝は、えっ、あっ、とわかりやすく動揺し、姉の麻理恵は、じゃ、と気を利かせたのか、あっさりとバス停のほうへ歩いていった。
必然的に、並んで歩く35歳男性と28歳女性。ともに独身。傘をさし、靖成はオーラに触れないギリギリの距離を取りながら、聞かれるまま、のらりくらりと返事をしていた。お姉さんが、だんなさんと上手くいってないかも、とか。うん、わかると思いながら聞いてた靖成だが、賀奈枝自身は意外と可愛い。なによりオーラが良い色だ。
しかし、賀奈枝が気になることを言い出した。
「私、お化けが怖いんですよね……」
そう恥ずかしそうにいった途端、人混みから薄い黒い霧が襲ってきた。靖成は蚊でも払うように手をあげる。
霧は一瞬で消えたが、勢いで手が傘にあたり、飛沫が賀奈枝にかかった。
「ああ、すみません……」
ベタだ。賀奈枝は照れたようだが、どんくさい靖成は別にベタな展開は狙っていない。ええと、ユキちゃんがアイロンかけてくれたハンカチ……とポケットを探っていると、賀奈枝がそれを聞いて靖成を凝視した。
「……ユキちゃん?」
「あ、いや、その……」
ヤバい。これ本当にヤバいやつ。靖成は苦い顔でそう思った。ひそかに後ろ手で賀奈枝の嫉妬が引き寄せた念を祓いながら。
最初のコメントを投稿しよう!