二節 深奥に眠るもの 起

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 集落跡地に入ってすぐの、かつて広場だった場所には、白い石の墓碑が佇んでいた。静かな沈黙を保つそれに刻まれているのは、あの日の犠牲者たちの名前と、静かな眠りを祈る言葉だ。 「……ただいま。父さん、母さん」  ひんやりとした石の表面にそっと触れて、シエルは静かに息を吐いた。オーブも肩から飛び降りて、そっと墓碑に寄り添った。  事件後に初めて帰郷したのは一年後、長期休みを利用してのことだった。その時にはもう、両親はこの場所に葬られていた。犠牲者全員の亡骸を運び出すのは難しく、それでも教団の人たちができる限り丁重に弔ってくれた――とか、そんなことを聞いた気がする。  次の年も、その次の年も、シエルたちきょうだいは同じ時期に帰郷して、両親たちの墓の前に立った。受け止めきれない現実に打ちのめされて、呆然と過ごした。その繰り返しで、もう七年だ。焼け跡からは緑が芽吹き、悲劇の傷痕も、在りし日の思い出も、過ぎ去る年月に埋もれつつあるというのに、シエルの心に燻るのは、未だ割り切れない想いばかりだ。  それでも、今は。ねえ、父さん、母さん。俺は、この子と一緒に――  祈りを終えたシエルがそっと墓碑から手を離すと、同じく祈っていたルアはそっと目を細めて、シエルの手を握った。 「今のお前をマティスたちが見たら、安心するだろうか」  後から歩いてきたオーベルは、シエルたちを見て微笑した。なんとなく照れ臭い気持ちで視線を逸らしたシエルをよそに、墓碑と向き合うように屈み込んだ祖父は、静かに手を合わせた。 「……お前の両親が結婚する時、私はそれを祝ってやれなくてな。最後に顔を合わせたのも、お前が生まれるより前のことだった。手紙のやり取りこそ続けていたが、結局はつまらない意地を張ってばかりで、歩み寄ろうとしなかった。その結果がこれだ」  まさか、十余年ぶりの再会が墓標越しとはな。自嘲気味に零した祖父は、祈るように目を瞑った。 「あの、じいさん」  祈りを終えて立ち上がった祖父に、シエルは訊ねた。「じいさんは、その。父さんとのこと――」 「老いぼれなりに、後悔はある。我が子を想ったつもりのようで、あれは私の思う幸福を押し付けただけだったのだろう」静かな口調だった。「そうでなければ、わざわざ療養を後回しにしてまでこんな僻地には来んよ」 「……療養?」  さり気なく飛び出した単語を、シエルは聞き逃さなかった。 「どういうことですか、じいさん。俺はそんな話、聞いた覚えが……」 「オーベルさん、体の具合良くないんですか? それなら休んでいた方が良かったんじゃ」  シエルだけでなくルアも心配そうに祖父を見た。墓碑を見つめたまま沈黙したオーベルは、今日一番のため息を零すと深く首肯した。 「前の冬に体調を崩して以来、どうも不調が続いていてな。すぐさま命に関わる状態ではないのだが、検査の結果が思わしくないから一度休めとイザベルやトマに言われている」  過保護で敵わんと祖父は愚痴るが、シエルにしてみればそれどころではない。どうして教えてくれなかったんだとか、そういえばイザベルさんに用があると外出した日もあったなとか、ぐるぐると混乱する感情の中で、どうにか言葉を絞り出した。 「な、治るんですか?」 「冬の間しっかりと治療に専念すれば、仕事を続けられるくらいには回復するだろうとの見込みだ。心配は要らん」頷いた祖父は、頭が痛いと頭を振る。「息子や孫への接し方が分らんからと、仕事に没頭してばかりいたツケだな。歯痒いが、清算するしかあるまい」  息を吐いた祖父は、シエルを見ると訝しむように目を細めた。 「なんだその顔は」 「あ、いえ。ええと」シエルは頬を掻いた。「じいさんがそんな風に思っていたとは、知らなくて……ですね」 「当然だ。今の今まで隠してきたものについて、お前が気に病むことはない」 「いや。それはそうかも、しれませんが……」  どう返答すればよいのだろうか。シエルの惑いそのままに、場には沈黙が横たわる。 「……、私はな」 「は、はい」 「懸命に向き合おうとするお前たちを見て、ようやく己の過ちを直視する踏ん切りが付いた。だからこそ、この機会だけは逃したくなかったのだ」  祖父の言葉に目を丸くしていると、ずっとやり取りを見守っていたオーブが「要するに、似た者同士なんだよね」とくすくす笑う。釣られたようにルアも微笑を零して、祖父は短く鼻を鳴らした。 「とにかく、だ。この調査が終わった後、私はしばらく王都の本家へ戻る。後のことはリオンとナタリア君に任せてあるから、当面はその指示に従え」 「……本当ですね?」 「嘘を吐いて何になる」呆れ顔で零した祖父と目が合うと、彼は困ったように小さく笑んだ。「だからそんな顔をするんじゃない」 「ど、どんな顔をしているって言うんですか!」  シエルの反駁に微笑んだオーベルは、集落跡に射し込む夕陽に目を細めた。 「もう日が落ちる。長旅の疲れもあるだろうから、今日のところは休んで、明日から行動を始めるとしよう」  それで良いなと祖父の問いに、シエルとルアは頷いた。
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