一節 進むべき道は 結

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 シエルの記憶に残る両親は、とても優しい人たちだった。豊富な知識でシエルの歩む道を示してくれた父と、精霊との交わりや魔道の基礎を教えてくれた母。今のシエルを形作っているのは、そうした両親からの贈り物たちだ。  親としてたくさんの愛を注いでくれた二人は、しかしあの日、突然に命を奪われた。シエルたち兄妹の目の前で、悪意の炎に苦しみ、悶えながら死んでいった。炎はシエルの、妹の心をも焼き焦がし、痛みとなって、怒りと化して、今もなお燻り続けている。  今でこそ友人たちとの交流が傷を塞ぎ、ルアというパートナーがその疼きを忘れさせてくれているけれど、真の意味でこの傷が癒える日はきっと来ない。来る筈がない。  だからこそ分からなかった。仮にこの先、この刃が奴の喉許に届いたならば。  果たして自分は、どうするだろう? 「シエルよ。君は、復讐を望むか? 奴の命を以て、その罪を贖わせることを願うか?」 「……」 「シエルくん……」  右隣の少女は、心配そうな眼差しをシエルに向けた。夜の街角を照らす灯りがじんわり目に染みて、思わず返答に詰まる。シエルが返答に悩んでいると、リオンは「意地の悪い問いだったな」と息を吐いた。 「私とて奴が憎い。我が友を殺め、あまつさえその誇りを踏み躙ったクソ野郎は、この手で引き裂いてやりたいのが本音だ。だからこそ先の戦いでは仕留めるつもりで刃を振るったし、その判断に後悔もない」  忌々しいと鼻を鳴らしたリオンは、けれど少しの間を置いた後、激情を押し殺すように冷静な言葉を続けた。 「しかし、我々は秩序の徒だ。奴が秩序を乱し、混乱を望むからこそ、それを裁くのはアウロルという国であらねばならん。感情のまま、憎しみのまま刃を振るうのでは、それこそ奴と変わらんのだからな」  矛盾しているだろう、とリオンは笑う。けれどシエルには、その感情も、その理性も否定できなくて、 「父や母だったら、どう答えたでしょうか」と訊ねた。  あの人たちが誰かを殺せと願うなんて、シエルには到底思えない。だけどそれはシエルの抱いた勝手な願望で、本当の両親は今も消えない怒りに苦しんでいるのではないか。無念を晴らして欲しいと叫び続けているのではないか。  そんな筈はない。そう断ずることが、どうしてもシエルにはできない。それが堪らなく苦しかった。 「……私は君の両親でもなければ、微睡む死者に問いかける術を持ち合わせてもいない。残念だが、その問いには答えかねる」  長考の末、リオンはきっぱりと言い切った。目を瞑り、深く息を吐き出した彼は、どこか優しく目を細めた。 「だが、そうだな。仮に私があの男に殺されたとしても、我が子らの人生、その心を、復讐に捧げて欲しいとは思わん。連中の処断は国に任せて、己の夢を貫いてくれた方がよほどマシだ――と、父親としては祈るだろう。無論、志した道を阻まれたならば、全力を以て抗えと背中を押すがな」  その時にでもならんと分からんよ。そう言いながら、しかし瞳に迷いの色はない。 「今すぐに答えを出せとは言わん。常に悩み続けろとも言わん。それでも、起こり得る可能性の話として、頭の片隅に留め置いて欲しい。君が奴と対峙し、打ち破ったとして、その先に何を望むのか。他の誰でもなく、君自身が後悔しない為に。君の紡ぐ物語が何であるのかを、見失わないように」  考えなければいけないことは多く、向き合わなければいけない困難は重い。だけど、目を逸らしてはきっと悔いが残る。鋭い光を宿した瞳は、そう語っていた。 「あの不良小僧が、大人になったものです。いや、口の悪さは変わりませんか」 「貴様の下らん茶々も相変わらずだろう。いちいち話の骨を折るな、老いぼれ」  慣れた様子で繰り広げられる軽口をよそに、シエルは考えた。 「自分は――」  今の自分が持っている、確かなものは何だろう。熟考の末に、言えることはたった一つだった。 「父と母から、血と心を受け継いだ子として。妹や弟を支え、支えられる兄として。ランドやリオンさん、ムートやヴィレ、多くの人に助けられた一人の人間として。それに、ルアの隣に立つ、パートナーとして。それに恥じない自分で在りたい」  今はただ、それだけです。  真剣な想いだけど、言葉にすると少し照れ臭い。視線を呉れると、右隣の少女は優しい笑顔で頷いた。肩に留まった小鳥は、やれやれとでも言いたげに頭を振った。 「可愛い弟分も、いつの間にやら成長するんだな。はは、お兄さん泣いちゃいそうだ」 「……」  ランドは妙に嬉しそうな顔をして、しきりに頷く。何となく肘打ちをするもひょいと躱されて、そのままふざけ半分に睨み合っていると、暫く黙っていたリオンが「君の決意は分かった」と頷いた。 「連中の動向に関する調査や、教団の隠している情報、防人から得た情報の精査。やることは山ほどあるが、それはこちらで進めておく。君たちは、君たちの思う道を往け」  期待しているぞ。微笑したリオンは、シエルの背中を押すかのように、こうも言った。 「死者の声は、決して生者を縛らない。ゆめゆめ、それを忘れてくれるなよ」
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