一節番外 絡み合う思惑

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 アークセプトから遥か西――シュトルツ帝国の都ラヴァーゼに聳える巨大な宮城は、あらゆる意味で帝国の象徴だ。  国土中央の丘陵に位置する都には国中から人や物が集まり、町並みには建国当時からの歴史ある建造物が多く残る。帝国の成立に際して建立されたこの城もまた、国内でも随一の歴史ある建造物として美しさを知られ、日々多くの貴族、学者、役人、軍人たちが足を運ぶ。しかし同時に、幾度もの修繕や改築を繰り返した城内の内部構造は複雑化して、殆どの者が知らない隠し部屋、隠し通路がいくつも存在している。  そんな隠し通路の一つ――細く薄暗い通路を、魔道学者トービアスは歩いていた。  孤独な闇を踏み付けて、蜘蛛の巣食う道を行く。藍色の髪に降り積もる埃を苛立ち混じりに払い落として、思わずため息が零れる。  遠目には華やかな権力の象徴も、その実態はこの有様だ。複雑怪奇な造りに、埃を被った抜け道の数々。つくづくこの城は、帝国の歴史を縮図にしたような所だ。  薄暗い通路を進めば、やがて通路の終わりに扉が見えた。固く閉ざされた扉の前で立ち止まったトービアスは、等間隔で四回、ノックをした。 「『王が牙を振るうとき、それは無辜なる民を護る為』……戻ったぞ」  ガチャリ、と鍵の開く音がした。扉に仕掛けられた魔道がトービアスを認識して、解錠したのだ。 「ああ、先輩でしたか。王国との交渉は、無事に纏まりましたか?」  およそ城の一室とは思えない、テーブルと椅子だけのこじんまりとした部屋で出迎えたのは、小麦色の髪の気弱そうな青年、フリッツだ。ミュンドゥング領主の弟である彼は、トービアスと同じく“王の牙”の一員であり、同時に学生時代からの後輩でもある。 「問題ない。お前がを果たしたおかげで、ファルジア公からの要請にもすぐ動けた」  故に、トービアスは彼をよく知っている。優秀な能力を持ち信を置ける相手であることも、見た目に反して図太い性格であることも、とはいえ揺さぶりには弱いことも。 「それは良かった。でしたら僕も」 「ところで訊くが。国境砦から“剣聖”の部隊を動かすのは、来節の予定ではなかったか」 「あ、えーと……」案の定、フリッツは白々しい笑みで視線を逸らした。「そっちもありました、ね」 「ほう。他にも何か、厄介ごとが?」 「あ」  聞き捨てならない失言にため息を吐くと、青年の顔に戸惑いが表出した。 「それについては、ほら、今回の一件とは無関係ですし。色々と問題だらけなのは、いつものことですから……あの、陛下?」  不格好な言い訳もやがて力尽きて、フリッツは部屋の奥へと視線を送る。「僕の口からでは、納得を引き出せないと思います……!」  奥の席に腰かけて成り行きを見守っていた、薄暗い部屋に似付かわしくない豪奢な装いの若い男――シュトルツ皇帝ヴォルフラムは、向かい合うように座ったトービアスの視線に、赤い瞳を微笑ませた。 「今回の一手に期待する効果は色々とあるが、やはり第一は両国の緊張緩和だ。聖都の一件が王国に(もたら)す混乱の大きさは想像に難くないが、それは我が帝国も同じこと。内部の不穏な動きにも対応せねばならん以上、これまで国境に割いてきた兵を治安維持に回したいのは、両国の意見が一致するところだろう?」 「それにしても順序があるだろうに。お前という奴は」  少しばかりの嫌味を交えながらも、凡そ分かっていたことだとトービアスは頭を振った。  燃えるようなファイアーレッドの髪と瞳が物語るように、ヴォルフラムという男は昔から妙な思い切りの良さを持っている。先帝の死後に継承権争いで勝ち抜いたのも、秘密裏に“王の牙”を作り、信には足るが癖の強い――その括りに自分が含まれているのは癪だが――面々を集めることができたのも、そうした生来の気質に因るのだろうが、一方で今回のような無茶苦茶をしでかす男であることも、長い付き合いのトービアスはよく知っていた。  トービアスにしてみれば、皇帝の突飛に呆れたことなど一度や二度ではない。振り回されて嫌味を返した回数など、最早数えようとも思えない。それでも、道半ばにある研究を中断してまで彼に協力しているのは何故か。それは、彼の抱く懸念が尤もであるからだ。 「しかし、やはり厄介なのはギースラーか。連中がこの状況を見逃すと思えんのは同感だ」  前当主の時代から長く強権を振るってきたギースラー一族は、先帝の時代において特にその暴政を極めた。先帝を良いように操って国を荒らし、重い税で私腹を肥やし、あの“ホルムドリエの大虐殺”を初めとした異民族弾圧にも深く関わり――この数十年においては、彼らが帝国を牛耳ってきたと言っても過言ではない状態だった。  その暴走は様々な悪影響を及ぼし、帝国は大いに迷走した。トービアス自身も主に学問の面で多大な迷惑を被ったが、流れた血の多さや、弱き民の苦しみを思えば、それはまだマシな方だったのだろう。  奴らの支配が続けば、遠からず国は割れていた。誰もがそれを確信して、けれど誰も口に出せずに居た程に、連中の支配する帝国は腐りきっていた。 「ところでお前、なぜここに居るんだ。この後も夜まで予定が詰まっていたと記憶しているが」 「お前と話す為に、わざわざ抜け出す時間を作ったんだ。感謝しろ」  その状況を是としなかったのが、現皇帝となったヴォルフラムだ。彼は即位以前からの根回しで中立派や反先帝派の貴族を味方につけ、ギースラーやそれに従う諸侯に対抗する勢力を築き上げると、数年に及ぶ権力闘争の末に実権を奪い返した。  それを為し得たのも、やはり彼の持つ行動の早さ、思い切りの良さが、帝国内に燻る不満を味方に付けたからだろう。
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