一節番外 絡み合う思惑

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 二人の指摘に、しかし皇帝は眉一つ動かさなかった。 「普通に考えればそうだ。しかし、例の“兵器”がそこにあるとしたら?」  トービアスは瞠目した。ここで飛び出すとは想定していなかった単語に、緊張が走った。 「……聖都を探った結果は?」  困惑を飲み込み切れず、フリッツへと視線を呉れる。巡礼の名目で教団との接触や聖都の調査を任されていた青年は、歯切れ悪く言った。 「断定はできません。真偽を判断するに足る証拠は、掴めませんでした」それでも、と言葉を紡ぐ青年の表情には、確かな翳りが見えた。「城の地下施設が今も残っているのに、……というのは、一つの根拠と考えられるかと」  部屋を照らすランプの灯りが、不安定に揺れた。 「いずれにせよ、最悪を想定するに越したことはない。あの杖が奴らの手にある以上、強大な脅威と成り得る可能性は十二分に有るのだからな」  不機嫌に息を吐いた皇帝は、悩ましげに独り言ちた。 「一息に圧し潰せれば話は早いが、拙速なやり方では反撃の口実を与える。今はギースラーへのけん制を続けながら、連中の狙いを探るのが妥当か」  あれこれと建前をつければ、王国の騒動により深く関わることも可能だろう。しかし、此度の一件は帝国の権力闘争だけでなく、帝国と王国の今後を占う側面もある。先々に良好な関係を築く為にも過度の介入は極力避ける――という方針を、皇帝は貫き通すつもりのようだ。  傲慢なまでの理想主義だが、それで良い。そうでなければ、わざわざ力を貸すに値しない。思案する主に、トービアスは助言した。 「王国内で動く連中はギースラーに忠実な訳ではない様子だが、繋がりがあるのは確実だ。こちら側の動きを抑えれば、結果として王国への援けにもなるだろう」 「それに、僕たちが備えるべきは、彼らが勝利したその後、です。陛下の目指す、の為に」 「……我が大望、か」暫し沈黙したヴォルフラムは、ぽつりと零した。「遠い日に抱いた後悔一つから、随分と大きな話になったものだ」 「その無力を繰り返さない為に、お前は兄弟たちを蹴落としてまで王になった。その想いを無力な祈りで終わらせん為に、鋼鉄をも砕く“牙”を得た。僕たちがここに居る意味、見誤るなよ」  王国がゲオルグたちを叩き潰せば、ギースラーもいよいよ飛び道具を失う。その先に待つ帝国内部の争いで確実に勝利できるよう、備えなければならない。  二人の言葉に、皇帝はやがて深く息を吐き出すと、まっすぐな赤い瞳で言った。 「――引き続き、お前には王国との連絡役、そして彼らの援護を任せる。精霊だの黒い霧の獣だのは、お前でないと分からん話だ」 「任せろ。元よりそのつもりだ」 「その間、フリッツや他の牙には、もう少しギースラー領内や周辺諸侯を探らせておく。少々、気になることがあるのでな」  まだ何かあるのかと辟易しかけたトービアスだったが、けれど気を引き締めた。皇帝の「気になる」はよく当たる。彼がそう言ったからには、そこに新たな糸口があるのだろう。 「まあ、良い。僕は僕の務めを果たそう」  元より薄氷の道であるとは覚悟していたが、成功にせよ破滅にせよ、まだまだ先は長そうだ。研究とも中々進められないな、と思わずため息が零れた。 「そう言えばお前。以前言っていた、興味深い若者とやらはどうした?」 「……ああ、シエルのことか」  唐突に振られた話題だったが、気の重い話題が続くよりはずっと良い。トービアスは今日初めての笑みを浮かべた。 「話をして、調査を託したよ。やはり、彼は聖樹に連なる血筋のようだ」 「聖樹……ルースと契約したという、星読みの裔か」肘をついた皇帝は、やや訝しむように唸った。「旧態依然とした教団が、保護よりも自由意思を尊重するとはな」 「ゲオルグの件に対する負い目や、彼の後ろ盾にアンベール家の者が居たのも一つあるだろうが、やはりその重要性が以前よりも――いや、これは憶測の域を出ないか」  実際に出逢った数節前よりもずっと以前から、トービアスはシエルの――王国に住む薄紅の髪をした兄妹の存在を把握していた。彼らが聖樹に連なる者で、精霊と深い縁を持つならば、自らの研究に役立つかもしれないと考えたからだ。  春先の会談でも、本来はこちらから働きかけて接触の切っ掛けを作るつもりだった――だから皇帝の使いも引き受けたのだが、向こうから話が舞い込んできたのは僥倖だった。 「研究熱心なのは構わんが、肝心なのは例の怪物騒ぎを解明する一助になるかどうか、だ。上手くいきそうか?」 「後は彼ら次第だがな」トービアスは首肯した。「見込みはある、と僕は判断した。そうでなければ、わざわざ研究成果を託しはしない」  王国に現れたという謎の怪物は全く未知の存在で、どんな影響を及ぼすか予測が付かない。それでもトービアスは、実際に彼と言葉を交わし、この目で見定めた結果として、新たな発見を得る可能性に賭けた。 「果たして彼らは、大地の深奥で何を見るか」  調査結果の共有こそ取り付けたが、やはりその場に居合わせることができないのが残念だ。  ほんの少し過った思いを、トービアスは腹の底まで飲み込んだ。
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