にい・七種千尋という男

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にい・七種千尋という男

「ねえ」  週明け月曜の怠さを乗り越え、帰りのHRが終わってすぐ、彼方は千尋に声をかけられて標準装備の笑顔を引き攣らせた。三日前の告白が夢だったのでは、と疑いたくなる眼差しが突き刺さり、心なしか身体のそこかしこが痛い。  路地裏では偉そうに叱りつけたものの、あれはビギナーズラック、または火事場の馬鹿力と呼ばれる類の何かだ。元来の彼方に、ヤンキーと渡り合う度胸はない。 「どうしたの、七種君」  無言で睨む男と、愛想笑いを浮かべて見つめ合うこと数十秒。困り果てていると、ふわりと甘い香りがして意識が逸れた。 「ナナ」  耳慣れない愛称を声に乗せて千尋の隣へ立ったのは、学校のマドンナと名高い斎杏南だ。  基本的に無表情だが容姿は文句のつけどころがなく、高校生とは思えない大人びた雰囲気がある。完全予約制の悩み相談所を開いたりと多方面に慕われており、上級生どころか教師にまで「杏南さん」と呼ばれていた。  そんな彼女は千尋の眉間に指を乗せ、グリグリとそこを解し始める。 「あんた顔怖くなってる。イケメンが台無し」  校内で彼にそんな暴挙を働けるのは恐らく、普段から行動を共にしている杏南だけだ。男は怒ることなく視線を柔らげた。 「ごめん」 「あたしじゃなくて彼方に謝んな」 「ごめんね」 「き、気にしないで……ところで、何か用?」  用件を訊ねると、千尋はまた小難しい顔で口を噤む。まさか告白の返事を急かしているのかと戦慄する彼方は、笑顔の裏で期限延長を願い出る算段を始めた。  すると見かねた杏南が、クラスメイトに怯えられている男の背をポンと叩いて頷く。二人にしかわからない電波でも発しているのか、目を合わせ、男は咳払いして胸を張った。 「かッ、……彼方、一緒に帰ろ」  えらく言い淀んだ上に声を裏返すから、無理難題を言いつけられるのかと身構えていた彼方は拍子抜けする。帰路を共にするくらいなら、難易度イージーの子ども向けRPGのようなものだ。 「それだけ……?」 「他に約束があるなら、いい……」  本音を言えば自分に告白してきた男と帰る理由もないが、周囲に人がいる状況では体のいい断り文句を考えるほうが面倒だ。 「ないよ、大丈夫」  頷いて了承すると、千尋は安堵したように彼方から目を逸らす。 「じゃ……行こう」 「うん」 「彼方、ナナのことよろしくね」  なんとなく親指を立てて格好つけると、千尋が杏南の腕に手を添える。 「気をつけて帰って。変な奴いたら呼んで」 「わかってる。また明日ね、ナナ」  千尋の眉間がフラットになったかと思えば、二人は海外ドラマのワンシーンのように頬を寄せ合った。流れる空気は甘く、彼方を含め教室に残っていた生徒は美男美女の頬キス姿に見惚れる。  だが杏南がいなくなると、平だったはずの千尋の眉間には縦皺が再出現してしまった。 「待たせてごめん」 「はは、大丈夫だよ……」  ヤンキーの世界では、睨みつけるのが愛情表現なのだろうか。刺激的な求愛も大変結構だが、今のところ彼方にはマイナス効果しかないことに気づいてほしい。刺さる視線から目を逸らし、渋々、千尋を連れて学校を出た。  成績を落とさないことを条件に一人暮らししている自宅アパートまでは、駅方面へ徒歩二十分で着く。だが特に話題がないせいで帰路が異様に長く、そして気まずい。彼方はこの苦行が今日だけで終わることを、仔羊のように祈っていた。 「家、こっち方面?」 「隣町。駅行くから、こっちで平気」 「そ、そう……」  祈りはたったの五秒で残念なお知らせになり果てる。これは明日以降も誘われれば断れない流れに違いない。  だとしたら彼方にできることは、居心地の悪さを改善すること。回避できないなら自らぶつかれ――たった今作った座右の銘だ。 「あのさ……杏南さんと付き合ってる?」 「はあ?」  早速、話題選びを失敗してしまったらしい。  彼方をねめつけた千尋は、こめかみに青筋を浮かばせて唸る。 「好きだって言ったはずなんだけど、聞いてなかった?」 「いや、ちゃんと聞いてたよ? だけど君達は恋人同士にしか見えないというか……」 「……あ、そっか。怒ってごめん」  随分あっさりと怒りを引っこめるから、彼方の言い訳が行き場を失う。杏南に促されたときもそうだったが、彼は謝罪することを躊躇わないヤンキーらしい。 「あれはただの虫除け」 「虫……?」 「しょうもない男が寄ってくるから。俺は壁役にちょうどいいだろ」  最適だね、と言いかけた空気の読めない口を一度閉じる。また青筋を浮かべられては堪らない。 「でもそれだと、七種君にも……」 「千尋でいい」 「千尋……にも、彼女を作るチャンスがなくなるんじゃないかな」 「意外と学習能力ない?」  口元を引き攣らせる様子に悪寒を覚え、しゃにむに首を振る。しかし男はそれ以上無神経な発言を咎めず、小さく溜め息を吐いた。 「つーか、女にそこまで興味ない」 「……不躾でごめん。千尋はゲイなの?」 「さあ。そもそも好きになったことないし。信じてないみたいだけど」  桃の産毛程度だが、男の嫌味がチクリと刺さる。彼方は苦笑し、「信じたくないだけだよ」という本音を隠すための説明を探した。 「そういうわけじゃないんだけど……いつも睨まれるから、むしろ告白されたことが不思議で……」 「は? 睨んでない。……や、違うか」  自覚のなさに目を丸くすると、千尋は決まり悪そうにボソボソと続ける。 「乱視キツイんだ。目、細めてないとブレて見えないから」 「へえ……」  眼鏡なりコンタクトなりで矯正すればいいのにとは思うが、どうも言葉が続かない。遅ればせながら、彼方は千尋の初恋が自分であるという主張に動揺していた。同性に告白され、あまつさえそれが初恋だった場合の対処法など知るはずもない。  不自然な沈黙の原因に思い至ったのか、千尋は「気にしないで」と軽い調子で言う。 「彼方は? 彼女とか、好きな子とか」 「いや……どっちもいないよ」  否定すれば、男が安堵したように小さな声で「よかった」と零す。 「いるなら一緒に帰らせて悪いことしたって思ってた。つーか即切り捨てられるって覚悟してたんだけど、男いけんの」 「その辺りはまだ考えてる途中だね……」 「ふうん」  曖昧に濁した後で、流れに乗って断ればよかったと気づく。考えるまでもなくノーの返事を何日温めたって、イエスは孵化しない。  しかし再度話題を戻せる足掛けがないまま、自宅前へ到着してしまった。 「じゃあ、俺はここだから」  密かに緊張しつつ二階建てのアパートを指すと、千尋はすっと右手を上げる。 「わかった。また明日」 「うん、え!?」 「え、何、明日来ないの」 「もちろん行くけど」  道端で、男子高校生二人が目を見張って相手の出方を窺っている。えらくコブシの効いた鼻歌を奏でる爺さんが、呑気に二人の傍らを自転車で通り過ぎた。彼方は冷静に自分たちの様子を想像し、あまりの滑稽さに頬を引き攣らせる。 「本当に一緒に帰るだけなんだって、驚いたというか……」  強引に部屋へ上がりこまれる程度は覚悟していたのだが、男は不思議そうに首を傾げるばかりだ。手を下ろすことも忘れている。 「……? 他に何するの」 「……寄り道に誘うとか、部屋で喋るとか?」  まるで彼方が引き留めているような、おかしな構図だ。断じてそんなつもりはないが、目つきさえ除けばモテそうな見た目に反し、奥手な引き際に違和感を覚える。  すると千尋は真顔のまま言い放った。 「でも帰って宿題しなきゃなんないから」  ――空耳か、幻聴か。悩むあまり返事ができない彼方は、続く男の声に再び耳を疑った。 「彼方も頭いいからって手抜くなよ。明日一限でワーク集めるって言ってたし」 「うん、そうだね……?」 「じゃあ……一緒に帰れて、嬉しかった」  照れくさそうに身を翻し、駅へ向かう千尋の後姿を、ポカンと口を開けたまま見送る。着崩した制服も気怠そうな歩き方も不良そのものなのに、発言は真面目であるし、色恋に不慣れそうだ。もしかすると、今日の帰り道は初デートに充当するのだろうか。 「マジか……ギャップすげえな、あいつ……」  当初から抱いていた千尋へのイメージが、思いがけず作り変わっていく。新たなイメージの筆頭は、とにかく「変な奴」だ。 「なんだ、全然怖くねえじゃん」  彼方は小さくなっていく背中を見つめ、沸々と込み上げてくる好奇心を感じていた。  己の感覚を疑わない彼方は翌日、午前中を千尋の観察に費やした。今まで関わりのなかった男が教卓前のハズレ席で、どんな風に過ごしているのか気になったのだ。  観察の結果、彼は非常に真面目で、生徒の鑑のような男だった。  授業中は真剣にノートを取り、休み時間になると教師が教室を出る前に質問へ行く。不良デビューすると必然的に使用できると噂の秘儀・サボタージュも発動されることはなく、四時間目終了のチャイムが鳴り響いた。  昨日の真面目な発言を鑑みればある程度は予想通りだが、あれでは見た目が派手なだけの優等生だ。そうすると、彼の何を怖がっていたのかさっぱり忘れてしまった。 「彼方君、今日は購買?」  ぼんやりと千尋ウォッチングに勤しむ彼方を、女子生徒数人が取り囲む。教室内は待ち侘びた昼休みの到来を喜んでざわつき、腹ごしらえのためにチラホラと人が減り始めていた。  料理の腕が一切上達しない彼方は、昼食を専ら購買かコンビニに頼っている。今朝はコンビニへ寄らなかったため、購買へ行くつもりだった。 「そうだね、買いに行かないと……」 「彼方」  斜め後ろに立っていた女子が「ひっ」と息をのむ。何ごとかと彼女の視線を辿ると、弁当袋を二つ持った千尋が立っていた。 「飯食お。……君らが先?」 「えっ、ううん、まだ誘ってないから気にしないで! じゃあね、彼方君……!」  睨みと素っ気ない態度が怖いのか、彼方を囲っていた女子達はそろりと後退って教室を出て行く。所謂置き去りの状況ではあるが、千尋への恐怖心がなくなっている彼方は平然と成り行きを見守り、あることに気づいた。 「もしかして、顔を見ようとしてた?」 「ん? うん、あんま見えないから」  言いながら、千尋は彼方の顔を睨んでいる。  話してみれば攻撃性のないマイルドな性格をしているが、目つきのおかげで他者が踏みこまないのだろう。彼方は彼が浮いている理由を察し、苦笑した。 「そっか……あ。杏南さんはいいの?」 「昼休みは相談所。……これ作ってきたんだけど、よかったら食う?」  スカルモチーフの指輪をはめた手が、猫のキャラクターがポイントになった弁当袋をずいと差し出してくる。意外性より手作り弁当の魅力に釣られた彼方は目を輝かせた。 「料理できるんだ」 「それなりに。朝飯と弁当は俺の担当だから」 「すごいね。俺はてんで駄目だから尊敬する」  褒められて照れているのか、男の露出した右耳が薄く赤らむ。彼方は妙な微笑ましさを覚え、袋を受け取って席を立った。 「ありがとう。移動しようか」 「なんで?」 「ゆっくり食べたいからね」  彼は教室内を一瞥し納得したようだ。杏南以外と関わらないヤンキーの千尋が、手作り弁当を男に渡しているのだからスキャンダル性は十分だろう。訊かれたら笑顔で煙に巻いてやるが、むざむざ好奇心丸出しで聞き耳を立てている彼らの餌になってやる気はない。  千尋を連れて教室を出た彼方は、屋上階の踊り場へ向かう。薄暗いが意外と掃除は行き届いており、安穏さは抜群だ。 「ここ、人が来なくて落ち着くんだ」 「へえ……彼方はいつも誰かに囲まれてるから、大人数が好きなんだと思ってた」 「一人になりたいときくらいあるよ」 「俺にここ教えていいの」 「弁当のお礼。俺の場所じゃないけどね」  並んで腰を下ろし、弁当を開ける。実家にいた頃は飽き飽きしていたスタンダードなおかずも、久々に見ると心が躍った。 「美味しそうだね……! 冷凍食品が一つも入ってない……全部手作り?」 「大したもんじゃないけど。まあ、口に合えば」 「うん、いただきます」  中身が全く同じ弁当箱を膝上で広げ、千尋は小さな声で「いただきます」と呟き手を合わせる。そして食べ始めたかと思うと、唐突に爆弾を投下してきた。 「つーか無理して猫被らなくていいんだけど」 「ぶっ……え?」  咀嚼中の玉子焼きが口から出そうになり、咄嗟に手で押さえる。しかし彼方の焦りを他所に、男は見本のような箸遣いで真剣に焼き鮭をほぐしていた。 「俺がぶつかった日、猛烈にブチ切れてただろ。あっちが素なんじゃないの」 「……憶えてたの」 「逆になんで忘れると思ったの」 「怒ってないんだ?」 「別に……つーか、あれに惚れたんだし」 「そ……いやごめん、どうして?」  千尋を叱りつけた記憶の中に、嫌われるならまだしも好意を持たれる要素が見つからない。怒鳴って口を塞ぐと脅し、大人しくなった彼を謎の上から目線で褒めただけだ。  ところが千尋は酷く気恥ずかしそうに、彼方を流し見て頬を染める。 「なんでって、言わないと駄目?」 「そうだね、是非」  実際にはどちらでもよかったが、そうも照れる内容なら聞いてみたい。完全に怖いもの見たさで頷くと、千尋は耳にかけている髪を散らし、横顔を精一杯隠そうとしていた。 「あの日、学校にいる彼方とは別人みたいな顔でブチ切れてて、口塞ぐとか言われて」 「うん」 「なんか……ドキドキして、好きって思ったらチンコ勃ってた」  返す言葉が見つからない彼方は、黙々と弁当を口に運ぶ。もしかして抱いて走っている間中だろうか。とても複雑な気分だ。  するとさすがに居た堪れなかったのか、暫くすると千尋が早口でまくし立て始める。 「う、うち三つ子の妹いるんだけど、そっちに手がかかるから、あんま怒られたことなくて。だからっつーか、なんか……グッときたっつーか……カッコいいって思ったし、心配されんのも嬉……ごめん、忘れて」  しゅんと肩を落とす千尋を横目に、彼方は弁当を平らげて麦茶を飲んだ。ふうと息をつけば、少しばかり落ち着きが戻ってくる。 「よくわかった。あの告白マジだな?」  かったるい対外用の武装を脱ぎ捨てて訊ねれば、千尋は不満そうに眉を寄せた。 「信じてなかったの」 「疑ってはいた。でも勃つならマジだ」  彼方は恋愛感情と欲情がイコールだと思っているし、切り離せない要素だと信じている。  身体は発情すればセックスできるが、身体が反応しない相手に恋はできない。つまり勃起する相手には恋ができる、という持論だ。  千尋に性的な目で見られているという情報に加えマゾ疑惑まで浮上した戸惑いは、一先ず空の弁当箱へ詰めて蓋をする。腕の中で彼が発情していたとしても、今のところ複雑なだけで特に嫌悪感はなかった。 「疑って悪い。勇気いったろ、男に告白とか」 「別に……言うしかないって思ってたし」 「なんで?」 「見てるだけでよかったけど、杏南に……男が男見てるだけって下手すりゃ嫌がらせだよ、って言われた。困らせんのわかってたけど見るのはやめられないから、それならいっそ、って」 「杏南さんキッツイな」 「ん。怒るとめっちゃ怖い。夢に出る」 「マジかよ、怒らせねえようにするわ」  母親の愚痴を内緒で話すように小声で囁き合い、肩を震わせる。言動を取り繕うことに神経を割かなくていいからか、壁へもたれる彼方はリラックスしていた。  そしてペットボトルの口を唇に当て、先週末のとんでもイベントを思い返す。 「実は階段で呼び止められたとき、これ絶対お礼参りだわって白目剥きそうだったんだけど。まさかそんな裏話がな……ふは」 「笑うなつーの。このアンポンタン」 「ふんッ」  今時、幼稚園児でも使わない罵倒が飛び出した瞬間、彼方は口に含んだ茶を噴き出した。笑いたいのに気管へ入った水分が邪魔をし、ぜいぜいと肩を丸めて咳きこむ。慌てた千尋が心配そうに背中を擦ってくれた。 「大丈夫?」 「んぐ、ごほっ……ん、平気、ふははっ」 「全然平気じゃなさそう」 「いけるいける、ふはっ、ひーっ、ひ……!」 「制服拭いて。セーター白いんだから」  金髪プリンのヤンキーが眉間に皺を寄せたまま、ポケットから出したハンカチで彼方の制服を拭う。意外なアイテムと甲斐甲斐しさにまた笑いが込み上げ、苦しくて涙が滲んだ。 「んは、っはは……はー。悪い、サンキュ。ハンカチ洗って返すわ」 「別にいい。つーか何に笑ってんの」  濡れたハンカチをポケットへ戻した千尋は、心底意味をわかっていない。 彼方は表情を綻ばせ、軽い拳を男の腕にぶつけた。 「馬鹿とかボケじゃねえんだなって」 「そんな酷いこと言ったら自分に返ってくんだぞって、じいちゃんが言ってた」 「アンポンタンはいいのかよ」 「オタンコナスもいい」  実に可愛らしい暴言だ。祖父の言いつけを守る素直な彼は、路地裏で過激な鬼ごっこをするような人物とは思えない。 「なら喧嘩すんなよ。じいさんショック受けんじゃね? あんな怪我して帰ったら……」 「こないだのは逃げてただけ。喧嘩したことないよ」 「マジで言ってる?」 「ん。余程のことでもないと、人殴っていい理由にはなんないじゃん」  格好つけるでもなく当たり前にそう話す千尋は、くあ、と欠伸を零す。満腹になって眠そうな横顔を見ていると唐突に、路地裏で彼が暴れた理由は「彼方を巻きこまないため」ではないかと感じた。千尋は滅多やたらに善意を一蹴する男だと思えない。  それは勝手な想像だったが、マイナスイメージの強い目つきも不思議と魅力を損なうものではなくなっていった。 「なあ、千尋」 「ん?」 「返事、もうちょい待ってくんね? 真剣に考えるわ」  まともに話したのは昨日と今日だけだが、千尋がいい奴であることは確かだ。真面目だが面白いし、会話のテンポも合う。素を知られている気楽さもあるが、性別を理由に一考もせず切り捨て、関係を遮断するには惜しい。  友人ではなく恋愛対象として見ることができるか否かは未知数だが、傍で千尋を知っていけば案外付き合ってもいいと思うかもしれない。彼方は自分の出した結論に内心驚くも、やはり感覚を疑うことはしなかった。 「今はまだ、あんまお互いのこと知らねえだろ。答え出すのは知ってからでも遅くねえと思うんだよ、俺も、お前もな」  じっと彼方を見つめていた千尋が、ぎこちなく頷く。 「……うん。昨日まであれだけ怯えといて、今日めっちゃ喋るから俺もビビッてるし」 「仕方ねえだろヤンキー怖えんだから。俺も喧嘩したことねえし、できねえの。血とか痛えの嫌いだから」 「今は怖くない?」 「全然。むしろ面白い。千尋だって、思ってたのと違えって、俺のこと好きじゃなくなるかもしんねえな」 「確かに」 「そこは否定しろよ。納得いかねえ」  千尋はくるりと彼方に後頭部を向け、俯き加減に肩を震わせている。どんな顔で笑うのか気にはなったが、それはもう少し歩み寄ってからでもいい。 「今日も一緒に帰るか?」 「ん」 「どっか寄る? 宿題?」  お互いを知るためには、当然共に過ごす時間を増やすのが一番だ。そう思いワクワクと問いかけた彼方は、振り向いた千尋の返答に思わず彼を二度見することとなった。 「ごめん、今日は墓掃除の日だから」 「へえ。……墓!?」 「曾じいちゃんの月命日……何、彼方もするだろ」 「あ、おう、めっちゃするわ……」  盆にすら墓参りをしないくせに、妙な見栄を張って頷く。今年の夏は必ず参らねばならない。  だが千尋は彼方の動揺に気づかず、何も疑っていない様子で頬を掻いた。 「明日は何もないから、彼方が空いてるなら」  遠慮がちに明日の予定も押さえようとする姿からは、一緒にいたいという健気な心情が伝わってきた。それは近頃、恋から遠ざかっていた彼方の胸を甘くくすぐる。彼の好意は柔らかいクッションに顔を埋めるような、いつまでも包みこまれていたくなる心地だった。 「……宿題、うちで一緒にやるか?」 「は? ……え?」 「一人暮らしだから気遣わなくていいし」  昨日とは百八十度違う、己の鮮やかな変わりようには呆れてしまう。  けれど眉を寄せた極悪顔のわりに耳の縁を赤く染め、何度も頷く男がなんとなく可愛く思えたから、彼方は自分を許してやることにした。
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