ナナ・ちぐはぐな君と

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ナナ・ちぐはぐな君と

 駅前のハンバーガーショップ二階で、隅の三卓を十数人の高校生男女が占領している。期末テストに向けての勉強会と称して集ったその場には、バイトが休みの彼方も知識の供給側として駆り出されていた。  山盛りのポテトと炭酸ジュースを片手間につまみながら、一応開いている課題に視線を落とす。だが彼方の興味は化学式になく、窓側に位置するテーブルで女子生徒に囲まれている千尋へ向かっていた。  千尋は彼方の説得によりコンタクトを入れて目つきの悪さを改善し、クラスメイトへ自分から歩み寄るようになった。どんな心境の変化があったのかは教えてくれないが、いわく「下地?」らしい。  そしてイケメンで真面目、優しくて気遣いができるとくれば、今までが嘘のようにモテている。彼方としては可愛い恋人を今日のように取られるのは面白くなくて、近頃自分の心の狭さと独占欲に驚いているところだ。 「千尋君すごい、このノートめっちゃわかりやすいよ」 「そう? こっちも見る?」 「いいの? ありがとー」  彼らがいるテーブルから一番遠い場所にいても、会話が漏れ聞こえてくる。勉強のためだとわかっているが、千尋が彼方ではない誰かの世話を焼くのは非常に不満で、ほぼ中身のないジュースを行儀悪く吸い続けた。  科学の課題について面倒を見終えた彼方のテーブルには誰もいない。隣のテーブルでは少ない男子数人が休憩の狩りゲームに夢中なため、好き放題に不満オーラを垂れ流す。  するとそこへ、手洗いに行っていた杏南が戻ってきて隣の椅子へ腰かけた。 「彼方」 「何かな」  反射的に笑みを浮かべるも、彼女は白けたように肩を竦める。 「作り笑い丸出しだよ」 「処世術だよ、杏南さん」 「うええ」 「そういう年相応の女子っぽいことも言うんだね」  なんだかんだ言って杏南との関係は、気を許せる友人風味で落ち着いた。彼女に言わせれば嫁姑らしいから、いつか笑顔で「お義母さん」と呼んでやろうと決めている。  とはいえお互いの存在には特に興味もなく、千尋がいないとそれほど話すことはない。二人で勉強中の千尋を眺めていたが、暇を持て余した彼方は先日気づいたことをぼんやりと話し出した。 「俺さ、杏南さんは千尋のこと恋愛感情で好きだと思ってたんだ。でも違うね」 「何、やっと気づいたの」 「さすがにね。だって杏南さん、千尋のことあんまり男だと思ってないでしょ」  嫁姑、という表現がいい例だ。息子、ないし弟といったポジションが一番近いのではないだろうか。  確信を持って投げかけた問いには、躊躇ない首肯が返ってきた。 「あたしが恋愛できる年齢はもっと上だから」 「へえ。いくつくらい?」 「下は四十、上は還暦。振る舞いとくたびれ具合によっては例外もあり」 「老け専……」  さすがに予想外すぎだ。虎視眈々と杏南を狙っている男子学生達に可能性は一切ないらしい。彼女の主張を当てはめるならば、校内にいる男でお眼鏡に適うのはベテラン教師と用務員だけなのだから。 「杏南さんが大人びてる理由が少しわかった」 「ナナがさ、言うの」 「ん?」 「杏奈はそれくらい上じゃないと甘えられないよねって。普通は彼方みたいに老け専だって馬鹿にするのに」 「馬鹿にしてないよ?」 「それでね」 「いや聞けよ」  思わず被せ気味にツッコんだのが面白かったのか、美人は華やかに笑う。 「甘えられるばっかじゃ疲れるよね、杏南は頼られてばっかだもんね、って。理解できなくても、一生懸命わかろうと頑張ってくれた」 「俺の彼氏いい子だね」 「男見る目ないのが難点だけど」 「なんだとてめえ」  いい話をしていると思っていたら、結局は彼方をこき下ろしたいだけだったらしい。  他のクラスメイトに聞こえないよう笑顔のままドスをきかせるも、杏南は謝るどころか楽しそうに軽やかな笑い声を零した。 「でもあたし、あんたのこと最近は嫌いじゃないよ。ナナのこと盗ったけど、大事にしてるのわかるから」 「宝物だからね」 「仕方ないからお膳立てしてあげる。いつか跪いて泣きながら感謝して見せてね」  満足そうな杏南が席を立ち、千尋の元へ向かう。悪趣味で恩着せがましい物言いに呆れて見送ると、彼女は千尋に声をかけて彼方を指差した。  すると千尋は杏南と交代でテーブルを離れ、こちらへ向かってくる。さっきまで杏南が座っていた場所に、漸く待ち人が腰を下ろした。 「どしたの」 「何が?」 「杏南に、彼方が呼んでるって言われた」  聡い杏南は、女子に千尋を取られて彼方が妬いていたのをわかっていたようだ。単にわかりやすかっただけかもしれないが、お膳立ての意味はしっかりと理解できた。 「用……というか」 「うん」 「ここのポテト、こんなにまずかったかな」  もっとこっちを構え、と伝えるだけなのに、羞恥が邪魔をする。見栄っ張りな彼方のプライドと、新参者の独占欲にはまだ距離があるようだ。 「千尋が作ったやつは美味しいのに。テストが終わったらまた作ってくれる?」  少し赤らんだ頬を隠しもせず、千尋はコクコクと頷く。 「いっぱい作る」  嬉しそうで、堪らなく可愛い。すると不意に、新入り独占欲は古参のくだらないプライドを容易くへし折った。 「あとさ」 「うん?」  こんな台詞を、よもや口にするときがこようとは。だが仕方ない。千尋といるだけで、彼方は未発見の自分を日々発掘しているのだ。 「女子にデレデレしてんなよ。お前俺のだろ」 「え……」  彼にだけ聞こえるよう小声で言い切ると、我先にと顔へ血液が集まっていく。赤面なんて何年ぶりかわからず、彼方は誰もいない仕切り壁側へと顔を向けた。  すると肩を軽く突かれ、そろりと振り向く。  そこには目を輝かせた千尋がいた。 「ヤキモチ嬉しい」  伸縮素材かと思うほどに、千尋の笑顔がふにゃついている。その表情と台詞は彼方の腕を無意識に持ち上げさせるが、こんな人前で抱きしめるわけにはいかず唸った。 「くっそ……」 「どしたの」 「俺ん中の勇者と勇者がせめぎ合ってる」 「どっちも勇者なんだ」 「どっちの主張も間違ってねえからな」  人目も憚らず抱きしめたい欲望と、彼を好奇の目に晒したくない理性、どちらにも各々の正義がある。  しかし駆け寄ってきた一人の女子が、彼方の葛藤を止めた。 「彼方、英語わかんないとこあるから、あっちで教えてくれない?」 「ああ……うん、いいよ」  千尋の傍にいたいが、あまりいるのも毒かもしれない。彼方はニコリと笑みを浮かべ、内心渋々席を立つ。今抱きしめられない分は、夜の千尋にぶつけさせてもらおう。  けれど突然、千尋が彼方の服を掴んで引き留める。見下ろすと、彼は真面目な顔で女生徒に向かって首を振った。 「彼方は俺のだから駄目」  頭の天辺から爪先へと、得体の知れない衝撃が駆け抜けた。まさかウブで真面目な千尋がそんな発言をするとは思っておらず、喜びと気恥ずかしさで言葉が出てこない。 「えっと……千尋君の、だったんだ?」 「うん」 「あー……じゃあ、駄目だね……?」  立ち尽くすクラスメイトが、助けを求めるように窓際のテーブルを振り返る。  そこで勉強に勤しんでいる集団までポカンとこちらを見ていたが、最初にアクションを起こしたのは杏南だった。吹き出して手を叩き、珍しく声を上げて笑っている。 「ナナ、先生独り占めは狡いよ。ちゃんとあとで貸してよね」 「うん、わかった」  杏南とのやり取りで周囲の空気が綻ぶ。怪しい方向に「勘違い」しそうになったことを笑う彼ら彼女らは、口々に彼方と千尋をラブラブだとからかって課題へ戻っていった。  彼方は脱力したようにストンと椅子へ腰を下ろし、溜め息を吐く。 「ちーさんよお……心臓止まるかと思ったじゃねえか……バレたらどうすんだ」 「怒ってる?」 「怒ってねえよ。ほんっと真面目なくせに、ときどき予測不能なことするよな、お前」  千尋は悪戯に彼方の腿を指で叩き、こそこそと囁いた。 「大丈夫、バラしたりしない。外堀埋めてるだけ」 「は? 外堀?」 「いつか同棲したいって杏奈に相談したら、教えてくれた」 「え? 同棲?」 「彼方は俺のだよって牽制しまくって、めっちゃ仲良しな印象植えつけて、同棲に違和感ないようにすんの。そんでいずれ嫁にもらいたいんだけど、いい?」  男は目を細め、うっそりとほくそ笑む。  認識と理解の二転三転するギャップに翻弄される彼方は、壮絶に照れていた。 「考えさせてもらってもいいかな……?」  イエスの返事は、今夜ベッドの上で。 END
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