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4・決別と自立の一歩
淡々とした女声のナビゲーターに案内されるまま車を走らせた千寿は、二階建てのマンションへ辿り着いた。
早速、聞き取った部屋番号を目指す。一階の奥から二番目、表札のない部屋を前にした千寿は迷いなくチャイムを鳴らした。
中から人の話し声が聞こえ、扉が開かれる。
ラフなスウェットに身を包んだ男は、千寿を見るなりニンマリと口角を上げた。
「来るの早。必死すぎてダサいよ?」
一々神経を逆撫でしてくる男を押し退け、断りなく玄関内へ足を踏み入れる。
無礼な態度に男は不満そうだが、千寿は気にせず室内を見回した。
帰国したと言っていたが、どうも引っ越し直後らしい。廊下のないワンルームタイプの部屋には段ボール箱がいくつも積まれ、窓際に置かれたソファ以外に大型家具はまだない。
そんな中、ロフトへ上がるための梯子に腰掛ける弦を見つけた。
「え、……え、なんで、ここに……?」
「迎えに来た」
口をパクパクと開閉する様は、さながら酸欠気味の金魚だ。癒される千寿だったが、背後から親しげに肩を組まれて不快指数が異常に高まった。
「触んなや、気色悪い」
「あんた口悪すぎでしょ。そりゃ、弦も僕のところに帰ってくるわけだ」
頬に唇が触れそうな位置で囁かれ、千寿のこめかみに青筋が浮かぶ。数秒しか我慢できず手が出てしまいそうになったが、立ち上がった弦に意識を向けて誤魔化した。
「待ってよ先輩、俺、帰って来たわけじゃないって言った」
「は? 誰に向かって口きいてんの?」
男の声が一気にトーンを下げ、刺々しさを醸し出した。弦が表情を強張らせる。
千寿は咄嗟に肩へ引っ掛かっている手首を掴み、男が弦に近付かないよう牽制した。
「えらい物の言い方やな。『うちの』弦に」
決して捨てたつもりも、この男から弦を借りていたつもりもない。以前去り際に投げられた嫌味を返すと、男はその顔に嘲笑を作る。
「あんたも何言ってんの?」
男は手首を掴まれた腕で、千寿の喉をぐっと圧迫する。堪らず呻くと、弦が焦った顔で一歩を踏み出した。
「ちょっ、何して……っ」
「結局、弦は僕から離れない。そうだろ?」
男は千寿の喉を命に別状がない程度に絞めながら、片手間に弦へ問いかけた。
「僕はお前のことならなんでも知ってる。お前は賢いからわかるよね。誰に飼われるのが自分の幸せかってことくらい」
声さえ出せたら全力で罵倒してやるのに、もがいても仕事中毒のインドアである千寿は若く逞しい男の力に敵わない。
苦し紛れに足を踏もうと踵を落とすが、容易く避けられた上に片腕を背中側で捻り上げられてしまった。
「う、ぐぅ……ッ」
「ほら弦、早く追い出してあげないと、このお兄さん可哀想だよ? ……弦?」
千寿は暴れながら、近付いてくる弦を見た。
彼は温度の感じられない無表情で面前へやってきて、す、と手を持ち上げる。
掴んだのは――喉を絞める男の肘だった。
「千寿さんに、触んないでくんない……?」
「は? っぅ……い、っ」
「っていうか聞いてないよ。なんで顔見知りになってんの? それって俺の知らないとこで接触したってことだよね?」
千寿がいくら引いても離せなかった腕を、弦は難無く剥がしてしまう。相当指先に力が入っていたのか、男は痛がって手を引いた。
新鮮な空気で肺を満たした千寿は咽るが、弦に引っ張られて靴のまま室内へ足を踏み入れた。次いで、肩を抱き寄せる腕に驚く。
「ゆず、っ?」
顔を上げる前に、弦は手の平で千寿の頭を自分の肩へと軽く押さえた。
腕一本で守るように千寿を包んだ弦は、肘を擦る男に鋭い眼光を突き刺す。
「俺がここに来たのは……今まで言わなかったことを全部、言いに来ただけだよ」
「ふざけんな、あんだけ可愛がってやったのに、反抗する気?」
男が苛立ちに任せて玄関扉を拳で打つから、グワングワンと耳障りな音が響く。
しかし、弦はもう怯まなかった。
「俺も殴られたら腹立つし、先輩のこと信じてなかったよ。一人は寂しいから嫌いだし、怒るから言わなかっただけで、俺我儘だし」
「んだと……?」
「先輩が壊した廃盤のCD、実は根に持ってるから。キスも好きだしフェラも嫌いじゃないけど、触ってくんない人は嫌い。後、これは絶対言っておきたかったんだけど、浮気ってクズのすることだかんね」
千寿はゆっくりと目を閉じて、弦の背に腕を回した。よく言えた。頑張った。そう伝わるように繰り返し撫でる。
弦は微かに笑い声を吐息に混ぜて、千寿のこめかみに頬を寄せた。
「先輩、俺のことなんにも知らないじゃん」
ぎりりと音を立てて奥歯を噛みしめる男は、優越感を味わうための舞台で奈落へ落とされたのが自分だと悟ったのだろう。失望にも似た、低く抑揚のない声が地を這う。
「……そんなこと言うために、来たって? そいつはお前を捨てるのに?」
「千寿さんは、そんなことしないんだよ」
一直線に放たれた信頼が、千寿の心と名のつく、目に見えない何かを鷲掴みにした。
「俺も捨てられるんだって思ってた。けど、千寿さんは俺を誰かに預けようとしなかった。引き留めてくれた。俺ね、今までは一人が嫌だから、流されるまま居候してきたけど」
普段通りの穏やかな弦の声が、静まり返ったワンルームの空気を細やかに震わせた。
「千寿さんと、ずっと一緒がいいなって思ったよ。そのために頑張りたいなって、この人を幸せにしたい、この人に愛されたいって、初めて思ったんだ」
耳元で告げられた殺し文句が、千寿の耳朶を火照らせる。弦は年甲斐もなく照れる千寿をそっと押し離し、男へ頭を下げた。
「だから、先輩のペットはやめるって言いに来たんだ。……ありがとうございました」
「なんだよ、それ……嫌味?」
「先輩のおかげで、千寿さんと会えたから」
頭を上げた弦は、憑き物が落ちたようにさっぱりとした笑顔を見せた。
思うほど、弦は頼りない男ではなかったようだ。千寿の手など借りずとも、きちんと未来を切り拓くことができる。選択できる。
弦は自分の荷物を拾い、千寿の手を握る。
「だから千寿さん……一緒に帰っていい?」
吹き出した千寿は、思い切り弦の頭を撫で回した。
「迎えに来たって言うたやろ」
そんな二人を見ていた男は、興味が失せたように玄関扉から背を離す。
「いい歳した男が二人で、恋愛ごっこかよ」
「ごっこじゃないよ。本気だもん」
「……あっそ。言うこと聞かない男飼っても意味ないから、もういいわ。消えて」
こんな状況でも腹立たしい物言いをする男は、二人に目もくれず窓際のソファへ向かう。
しかしそれが男なりの虚勢に思えた千寿は、弦の手を引いて、帰りは丁寧に「お邪魔しました」と声をかけた。
その後自宅へ帰るなり、弦は千寿の背中に張り付いてうんともすんとも言わなくなった。
千寿は背後の弦をそのままに、とある作業を始める。それは帰路で買った修正テープを使い、飼育マニュアルの文字を消していく単調なものだ。ただ一言、弦の告白だけを残して全ての文字を消し終えた頃には、煙草が三本、修正テープが二つ消費されていた。
「おっしゃ、できた」
「……何してたの?」
「嘘ばっか書いとるから消しとった。……で、まだ貝ごっこする?」
暗に「やっと喋った」と言ってやると、背中に顔を埋める弦が言葉を詰まらせる。
「う……ごめん、嫌? 面倒臭い?」
「面倒臭かったら、とうにしばいとる」
弦は嬉しかったのか、千寿の耳や首の裏へ鼻先を擦り付ける。
そうしながら、不自然な白抜きになった拍子タイトル部分を指先で優しく撫でた。
「これね、先輩が作って、俺の知らないとこで引き継がれてたんだって。田辺さんが教えてくれたんだ。君はペットじゃないよって」
「田辺さんらしいな」
「ね。でも、気持ち悪いはずなのに……変な愛着が湧いて捨てられなかった。ノートが俺自身みたいな気がして……」
懺悔するように語る弦は「吸いすぎだよ」と言って、千寿の口から短くなった四本目の煙草を取り灰皿へ押し付ける。
煙が途切れると、千寿はその手を再び自分の腹へ導いた。
「ほな、悪いことしたな」
「え?」
「いらんから捨てとけって言うたやろ。ごめんな。お前の気持ち考えてへんかったな」
言い終えた途端、弦が苦しいほどに強く千寿を抱きしめた。唸ると少し緩むが、それでもまだ窮屈だ。しかしその物理的な苦しさが足元にも及ばないほど、弦の吐き出した声は掠れ、苦しげだった。
「……千寿さんが、好きだよ。なのに信じられ、なくて……出てって、ごめん」
千寿は首の付け根辺りにある弦の頭を、手探りで撫でてやった。
「ええよ。ちゃんと信じてくれたから」
首を巡らせて振り返ると、弦は怒られた子犬のように頼りない瞳をしていた。
「千寿さんが……一緒にいたかったって、言ってくれたから……俺も離れたくないって思ったよ。それまで気付かなかった。あのとき……俺、千寿さんを本気で好きになったんだ」
千寿は、強がって「好きに出て行け」と言わなかった自分を心の底から褒めた。焦燥と安堵を悟られぬよう、溜め息を吐く。
「捨てられた、って、思た」
「ごめん。俺、先輩のペットを辞めなきゃって……千寿さんに好きって言うのは、その後じゃなきゃダメだって思ったから」
「だから、あいつんとこ行ったん。のこのこと部屋ん中に、警戒心なく?」
「まあ入れば? って言われたから、入らないと失礼かなって……怒ってる?」
上目遣いの弦に苦笑して、千寿は背後へ体重をかけた。危なげなく支えられ、茶髪の散る首筋へ擦り寄る。
「いや、俺もごめん」
「んえ?」
「あいつと会ったことも、異動の話も、お前に言うん後回しにした。お前を諦めかけた。すぐ追いかけて、引き留めんかった。お前がおらん生活とか……今更、耐えられんのに」
テーブルを指し、放置した腕時計を示す。
取ってくれた弦の手を捕まえ、手首へそれを付けてやった。
「二十歳、おめでとうな」
「え……いいの? こんな高いやつ……」
「男が腕時計贈る意味知っとる? 嫌やったら外してええよ」
ロマンチックでベタな説でも、ドロドロとした独占欲を現す説でも、どちらに受け取られても構わなかった。
熱心に手首を飾る時計を見ていた弦が、みるみる内に頬から目尻までを赤く染める。それはもう、嬉しそうに。
「外すわけない……ちょっと、泣きそ」
「ははっ。俺も嬉しかったで。一緒におりたいって言うてくれたん」
硬く安心感のある背もたれから起き上がった千寿は、膝立ちで弦に向き直る。
「せやけどお前、期待してないから出て行く準備したくせに……なんで、ノートに告白書いてったんや。俺まで泣くとこやったやろが」
ちぐはぐな行動は、そのまんま彼の迷いや葛藤だったのだろう。
近付いた顔の距離に、またもや頬を赤らめた弦が目を泳がせる。
「えと、書いたときはとにかく、好きって知ってほしくて……けど、今思うと心のどっかで、千寿さんならこれを見て俺を探してくれないかなって、期待してたのかも」
「おう。ようわかっとるやん」
「ふへへ……っ。えと、俺ね、与え合える関係が何か、ちょっとわかった気がするよ。五年後、十年後もその先も、ずっと一緒に生きてくために、二人で頑張ることなんだね」
幸せそうに目を細めた弦は千寿の胸に擦り寄り、甘えた吐息でシャツを湿らせる。
「だから千寿さん、捨てないで……寂しいよ」
話題が異動の話に切り変わったのだと、すぐに理解した。肩は広くて男らしいのに、情けなく丸まって子どものようだ。
威勢のいい弦も、弱った弦も、等しく愛しい。千寿の返す言葉は決まっていた。
「捨てへん」
鼻を啜る音に気付き、千寿は胸に縋る弦の顔を上げさせる。
鼻水こそ出ていないものの、涙袋の左右から零れる涙で肌は濡れ、目は充血していた。
「じゃあ……行かないで」
「アホやな。人の話、ちゃんと聞かんから」
泣き濡れた顔を袖で拭い、前髪を避けて額へキスを落とす。満足げに笑う千寿を見上げた弦は、不思議そうに目を丸くした。
「話って……?」
「異動先、電車で一時間半やからな」
「え?」
「お前置いてどっか行くわけないやろ。社宅も断っとるわ。そもそもなあ……」
おまけのように零れた涙を、落ちる前に指先で拭い舐めた千寿は「しょっぱ」と笑う。
「好きやって言うたやん。いざとなったら連れてくに決まっとる」
「……っ! じゃあ、俺の思いこみ……?」
「からの暴走」
「うう、ごめんね、ごめんね……っ」
何を思ったか、弦は千寿の胸元を必死で撫でて慰める。思わず笑いそうになったがなんとか顔を引き締め、弦の頬をトントンと叩いて視線を誘った。
「しゃあないな、キスしてくれたら許し、っ」
――耐えきれず、千寿は唇を塞がれたまま笑った。恥ずかしがるでもなく、くだらない駆け引きを嫌がるでもなく、嬉しそうに弦がキスを仕掛けてきたからだ。
薄い唇は想像通り柔い感触だが、千寿の咥内へ侵入してきた舌は熱かった。目を細めて夢中で舌を吸う姿は可愛くて、もっと深くを暴きたくなる。
弦の頭を抱くと、彼の腕も千寿の首裏を引き寄せる。隙間なく重なったキスの荒々しさは、鼻呼吸では酸素の供給が追い付かないほどだった。
「弦……」
ずっとこうしたかった。欲を隠さずに触れてみたかった。押し殺してきた衝動は今が好機とばかりに千寿を興奮させる。
しかし突然、弦は千寿の後ろ襟を掴んで引き、強引にキスを解いた。
「ごめ、あの……っ……ちょっと離れ、なんか……ヤバイ、気が……」
狼狽えて目を泳がせた弦が、しきりに千寿の身体を押し離す。興奮は高まっていたが、千寿は途切れそうな理性を繋ぎ、落ち着いて弦の顔を覗きこんだ。
「ヤバイって……どないしたん。言うてみ」
まさか性的なトラウマでもあるのだろうか。
千寿が微笑みの裏で歴代家主の男達を糾弾していると、弦が息を荒げ、泣きそうな顔で見上げてくる。
そして、自分の足の間を両手で押さえた。
「どうしよ、千寿さん……これ」
「……おう?」
「千寿さんに挿れたい……っ」
一瞬理解が遅れたものの、千寿は弦の手を退けて股間に触れた。そこはジーンズ越しでもわかる硬さを持っており、仄かに熱が伝わってくる。その上、経験にない大きさで口元が引き攣った。
「……お前、タチやったか」
「女の子にはまあ、そだったけど……わかんない。男の人とちゃんとヤッたことないし……千寿さんは挿れたい人、だよね?」
「あー、まあ、そやけど……」
「や、やっぱダメ、だよね……?」
欲望と期待を隠せていない視線を一身に浴び、心がぐらつく。
自分の手で恋人を目一杯悦ばせたい千寿は、今までどんなに誘われても後ろは指すら許したことがない。そんな全く未開拓の身体で、手の下に息づく怒張を受け入れるには相応の手間がかかるはずだ。
弦はその間、耐えられるだろうか。
千寿はそこまで思考し、思わず吹き出した。
「お前、準備の仕方わかる? 準備できるまでちゃんと我慢できる?」
「え? あ、うん……え?」
「惚れた弱味やな。どないして断るかより、どないしたら抱かせたれるか考えとった」
クスクスと笑いの止まらない千寿は、弦の手を取って指先にキスをする。
男の喉が鳴り、弱々しく窺いを立てていた瞳に猛々しい雄が宿った。
「……いいの?」
「ええよ。……ヴァージンやから、めちゃくちゃ優しくせえよ」
そう啖呵を切った、一時間半後――千寿は猛烈に、吐いた言葉を撤回したくなっていた。
「もう、ええ、もうええから……っ」
性衝動に喰われた弦にベッドへ放られてから、丁寧すぎる愛撫にはよく耐えた。
腰を高く上げ、うつ伏せで抱いた枕は飲みこむ暇もなく垂れた涎で濡れているし、喘がされて乾燥した喉は痛みすら訴えている。
しかし切実な主張を他所に、弦は千寿の性器の根元を握ったまま、反対の手指で後孔を深くくじる。ローションの助けを借りて広げられた入口は一切の痛みもなく、難無く男の指をのみこみ、奥で締めつけた。
「ん……でも、まだ奥が狭いから」
「大丈夫やって、も、出させえや……っ」
「ダメだよ、ここが気持ちいいって覚えて」
彼なりの優しさなのだろう。内壁を擦りながら、戒めた性器を器用に小指で撫でる。乳首も性器もふやけるほど舌で高められた身体は、ひっきりなしに射精感を訴えている。
明確な快楽を与えながら性感帯を開発するのは、千寿も幾度となく使ったテクニックだ。
しかし自分の後ろが、こうも簡単に快感を拾うとは予想しておらず混乱していた。前立腺への刺激がどんなもので、どれほど気持ちいいか知らなかったのだ。
外に出たがる精液が、指に塞き止められては精巣へ戻っていく。繰り返される責め苦が正常な思考にノイズを走らせ、射精を願う言葉ばかりが唇を突いて出た。
「アカン、っや、イク、イってま、んっ」
「出せないよ?」
「イク、イク、ホンマ、出るから離して……!」
「可愛い……」
興奮しきって抑揚のない声が聞こえたかと思えば、後ろから指が抜けた。喪失感に全身から力を抜いた千寿は、されるがまま弦の手で仰向けになる。
「ゆず……手、離して、チンコ痛い、から」
「ん……もうこれ、挿れていい……?」
左手で千寿の性器を握ったまま、弦は右手で自らの勃起を擦る。鈴口から滲んだ先走りを塗り広げ、太く長い姿を千寿へ見せつけた。
「半分だけに、するから……」
千寿は既に疲弊していたが、抱いていた枕を弦へ差し出す。正直なところ、完全に勃ち上がった弦の性器を直視すると怖気づきそうで、ぎこちなく顔を背けた。
「……も、はよ、挿れえや……」
「千寿さん……っ」
不自然に息を乱した弦は互いの性器を離して枕を取る。それを持ち上げた千寿の腰の下に敷き、痛いほどの力で内腿を掴んだ。
「絶対、痛くしないから……っ怒らないで、お願い、千寿さん……大好きだから」
「は……っ、ぐ、ぅ」
緩んだ入口を割って、カウパーでぬるついた屹立がめりこむ。反射的に身体を強張らせると、弦は呻いて千寿の性器を優しく擦った。
「大丈夫、無理しないから、信じて力抜いて」
「……っ、弦っ」
「気持ちい……頭、おかしくなりそ」
弦は宣言通り性器を半分沈めたところで挿入をやめた。気遣わしげに小刻みなピストンで中を擦り、前への愛撫も怠らない。
薄目を開けて弦を見上げた千寿は、彼のこめかみから大粒の汗が流れる様を捉えた。食いしばった歯の間から吐き出す呼気は荒く、眉間に寄せられた似合わない皺は性衝動を耐え忍ぶ健気さをまざまざと知らせる。
すると唐突に、逃げ出したいほどの圧迫感と組み敷かれる違和感がどうでもよくなった。
弦が一心不乱に腰を振って求めてくる妄想が、「タガを外してやれ」と千寿を誘惑する。
「弦……ん、もう、ええ」
「あ……、うん、わかった今、抜く」
「ちゃう、全部入って、ええから」
内腿にある弦の手を退かせ、千寿は両脚を男の腰に絡ませた。力を振り絞って引き寄せると、弦が慌てて腰を引く。
「ちょ、何……っこれ以上はまずい、て」
「意地張っとらんと、ぶちこめや」
「あ、っくぅ……っ」
力は弦の方がずっと強いのに、それほど抵抗なく怒張が埋められていく。千寿は増した息苦しさを物ともせず、素直な恋人の身体を眺め、自身の唇を舐めた。
「ほら、後……ふ、っちょっと、やん」
「駄目、これ、ぇ……っう、痛いって、泣かれたことあるから……っ」
「知るか。奥も気持ちいいって、覚えさしてくれんの、ちゃうん……っ?」
「でもここ、これ以上、っあ、駄目、止まんな……っごめ、ごめんね、出る……っ」
理性を手離し、顔を歪めた弦に強く腰を掴んで引き寄せられ、千寿は声にならない声を吐き出して喉を反らした。
重苦しい腰の奥深くでゴリゴリと男の先端が未開の地を暴き、爆ぜ、迸る。
「ふ、ぅ……っい、気持ちい……っごめんね、ごめ……ぁ、え?」
腰をビクつかせながら長い吐精をしていた弦が、ふと下肢を見下ろして目を見張る。
「千寿さん、これ、なんで……?」
勢いなく腹の上へ零れる精液は、間違いなく千寿のものだ。弦はそれを指で掬って舐め、もう一度「なんで?」と問い、欲情の滲んだ妖しい笑みを浮かべる。
だが千寿には、答えられるだけの余裕がなかった。
見開いた視界にチカチカと星が飛び、息を吸うために開いた口端から唾液がシーツへ落ちる。身体はおろか指先すら動かないほどの倦怠感はあるのに――弦の逞しい先端が突き当たりを思いきり圧した瞬間からずっと、痺れるような快感が駆け抜け続けていた。
「ぁ、あ……あぅ、ん」
「こんな奥なのに……気持ちいの……?」
「ひ……っ、もち、すぎ……から、抜い、て」
息をするだけで弦を締めつけてしまい、その度にまた電気が走る。千寿は見開いた目尻からぽろぽろと涙を零し、身体を痙攣させて暴力的な快感であることを訴えた。
だがしかし、それが男という生き物を助長させることは、千寿もよく知っている。
最奥へ放ったばかりの弦が、その場で硬度を増す。千寿は頭を振るが、弦の目にはさっきまでの遠慮が欠片も残っていなかった。焦点を失い、天井を突き抜けた興奮が男から手加減という概念を切り離す。
バチンッと肌を打つ力強い音と同時に、千寿はあられもない嬌声を響かせた。
「ひ、ああぁ……っ!」
「そんな、煽るとか……反則じゃない……?」
「あ、そこ……っそこは、ぁ、あっ」
「ここ……っ? めっちゃ締めてくるよ?」
「ひぅ……っうあ、あぁっ」
知ったばかりの性感帯をぐいぐい抉られ、千寿の身体がのた打った。
弦は律動をやめず、突き上げの強さでずり上がった身体を引き寄せては、また突く。
これでは、今にも頭が馬鹿になってしまう。
得も言われぬ快感の恐怖はしかし、覆いかぶさってきた弦の体温を抱いて霧散する。ベッドが軋む音に紛れて吐き出される、男の荒々しい息が耳朶を湿らせた。
「かわい、千寿さ、千寿さん、好き……っ」
腹の間で揉みくちゃになっている性器から、勢いのない精液が次々と垂れる。長い射精と、その間も叩きつけられる快楽は千寿を朦朧とさせたが、一度も「やめろ」とは言わなかった。
性器から出るものが何もなくなっても、弦が一旦休憩を挟んだときも、その後再び時間をかけて抱かれても、絶対に言わなかった。
代わりに千寿は、数えきれないほど弦の名を呼び、惜しみなく「好きや」と囁いた。
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