甘い毒の寵愛

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 ボサボサで伸び放題だった赤い髪は綺麗に洗われ櫛で丁寧に梳かれた、複雑に結われ、後れ毛がうなじのあたりをくすぐった。  豪奢な室内には甘い匂いのする香が焚かれている。  シアンは所在なげに部屋の中央に立って、目の前にいる青年の視線から目を逸らした。  青年の金色の美しい髪が、部屋の明かり用に置かれた蝋燭の灯が揺れるたびに柔らかい水面のように波紋を描いて見える。  その双眸は吸い込まれそうな紺碧色をしていて、睨み付けられているとそれだけで傷つけられそうだ。  彼の隣には茶色の長い髪を緩く一つに束ねた従者が立ち、シアンをじっくりと観察している。  居心地の悪さに嫌な汗が背中を流れた。  部屋の中には控えめだが壮麗な装飾品が飾られ、その中でもひときわ存在感を放っているのが天蓋のついた大きなベッドだった。  ここへはほぼ、拉致と言っても過言ではない連れ方をされた。  突然、奴隷として働いていた屋敷の主人に呼ばれ応接室へ行くと、いま目の前にいる従者が待っていた。そしてなんの説明もなく、その従者が乗ってきたと思われる馬車に乗せられここまで連れてこられた。  馬車の中でも従者はずっとシアンをジロジロと見ては、小さくため息をつきたまにブツブツと独り言を言っていた。  シアンとは一言も話さないまま目的の場所に着くと、長く着ていたせいで汚れて、あちこち破れた服を湯殿で脱がされ、頭の上から足の指の一本一本までを丁寧に洗われ、すすけていた赤い髪はすっかり元の燃えるような赤い色の柔らかい手触りに戻り、身体の垢も流されすっきりとした。  洗ってくれたのが自分よりも遙かに年上の侍女数名だったのが恥ずかしかったが、肌触りの良い絹の服を着せられた頃にはあまりの手際の良さに恥ずかしがっていたことも忘れてされるがままになっていた。  伸びて邪魔になったら自分で切っていた赤い髪に櫛を通され、器用に編まれると鏡の前に立たされた。  そこには身なりの良い少年が映っていて、自分のはずなのにそうは思えず何回も鏡を見直した。  湯殿を出ると従者が待っていた。従者はシアンの姿を見て、満足そうに笑んだ。  そしてこの部屋まで案内され中に入ると、金髪の青年が椅子に腰を掛けて待っていた。  ここがどこだかは見当が付いていた。馬車の中から見た景色は奴隷として働いていた田舎町より遙かに繁栄しており遠くには話でしか聞いたことのない王宮が見えた。馬車が王宮へと近付いていく。そのすぐ近くには大きな街があり、たくさんの出店が並んでいた。  賑やかな声が響く中を馬車はゆるやかに走り、着いた先は王宮への入り口の大きな門だった。  その後は湯殿まで足早に連れて行かれ今に至る。 「王子、本当にこの者が……?」  従者が椅子の肘掛けに頬杖をつく青年に訝しげに問うた。 「さぁ……。それはやってみないことにはわからぬ」  王子と呼ばれた青年に従者は困った顔をする。 「もういい。下がれ」 「しかし……」 「人の情事を見る趣味があるなら別だが?」  青年は従者にあざ笑って見せる。従者は少し顔を赤くしてそそくさと部屋から出て行った。  部屋にはシアンと青年だけになり、シアンはますます居心地が悪くなった。 「名前は?」 「え……?」 「名前を訊いている」 「……人に、名前を訊ねる時はまず自分から名乗るべきだ」  青年があまりにも偉そうにするので、何も聞かされずに連れてこられたシアンはなんだかムッとした。
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