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「シロちゃんはそれでいいの? 神社は心配じゃないの?」
「あれは鴉達に見張らせている。それに、帰ろうと思えばすぐにでも帰れる距離だ。足の遅い真珠とは違う」
「なっ……」
唖然として口を開けた私を見て、播白神はおかしそうにクスクスと笑う。血色の良い薄い唇から綺麗に並んだ歯が覗く。犬歯が少し長く、牙のようにも見えた。
「人間としての人生全てを捨てろとは言わぬ。然れど、恋心は私だけに向けておいてはくれぬか。そなたが私に飽きるまで……」
ふっと彼の体が揺れて、私との距離が縮まる。コツンと額同士がぶつかって、数cm先には金色の瞳。
宝石のような濁りのない珠に、私が写り込む。誘われるようにして、唇が重なった。
初めてのキスは、懐かしい香りがした。幼い頃から知っている陽だまりのような優しい香り。
唇が離れ、再び彼の瞳とぶつかる。
「……人間としての理を欠くのは、神への冒涜にはならないの?」
「その神が求めているのだ。そなたに断る理由はなかろう」
あんなにも寂し気な様子だったくせに、すっかり余裕の表情を見せている。
「……職権濫用」
「面白いことを言う。そなたを守るのが私の役目だと言ったであろう。私の傍にいれば良い。さすれば、何よりも大切に扱うことを約束しよう」
彼がそう言うと、私の体はふわりと宙に浮き、彼の胡座をかいた上に座らされた。後ろからぎゅっと抱き締められ、首筋に顔を埋められた。
トクン、トクンと脈打つ音は、自分のものか播白神のものかわからない。
子供の頃は、こうやって何度も播白神の膝の上で過ごしたのに。今とは明らかに何かが違う状況に、胸が高揚する。
私は、この世界を捨てることはできないけれど、彼と共に生きていくと決めた。私の邪魔をしてまで、自分のもとに置いておこうと目論む嫉妬深い神様のために。
何よりも大切に扱うと約束してくれた彼の優しさを生涯忘れることはないだろう。
「……待って、シロちゃん」
暖かい気持ちに満たされたのも束の間、体の違和感を覚える。
「なんだ?」
「……体が動かない」
「気にすることはない」
手足がピクリとも動かない。どうやら話すことだけはできるようだけれど、自分の意思とは反して、体は硬直したままだ。
たった今、何よりも大切に扱うと約束した筈だ。
「約束が違う!」
「騒ぐな……」
「五感泥棒!」
「少し違うな。脳の運動野を軽く弄った」
人の体が動かないのをいいことに、播白神は私の脇腹を撫でる。
彼はいつも私から何かを盗んでいく。
恐ろしい程に美しい神様は、退屈を酷く嫌うから。
何かを返せば、何かを奪う。そうやって私をからかっては遊ぶのだ。
播白神が前屈すると、私の肩を伝ってさらりと流れる髪。一本一本が細く、柔らかく、真珠のような艶と白さをもった美しさ。
「真珠はね、白い色が一番好き。だって、シロちゃんと同じ名前だから」
遠い記憶が蘇る。彩りを取り戻した筈の風景は、彼の髪に魅入られた私の瞳によってまた白く移り変わる。
私の好きな色。播白神の髪の色。
彼に何かを盗まれるのは癪に障るけれど、時には溺れてみるのも悪くはない。
身も心も委ねてしまえば、彼が盗んでいないと言った五感が鋭く働く。
陽だまりのような暖かな香りを更に強く感じれば、秋に色付く黄色の葉が脳裏を掠めた。それは、私を見つめる播白神の瞳によく似ている気がした。
《完》
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