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街のメインストリートから幾分外れた雑居ビルのエントランスに建てられているクリーム色の看板に、スナックやマッサージ店にまじり、斉藤探偵事務所三階という緑の文字が書かれていた。私は階段を上がり、古風な木の扉に備え付けてあるベルを鳴らした。しかしいつまで待っても、反応はない。ドアには脆弱なピンにとめられたOPENと書かれた木の札がかかっている。しかしベルを3回押しても何の反応もない。
私は諦めて帰る前に中を一度確かめるべく、ドアノブを回した。中は饐えた臭いとホコリで充満していた。窓のブラインドからは光が漏れて部屋を断片的に明るくしている。見えるものはゴミ袋や、空き瓶、空き缶、ギター、書物などが所狭しに乱雑に置かれている。私の荒らされた部屋のほうが幾らかましではなかっただろうか。
まさかここも空き巣に?空き巣被害を相談しに来た探偵事務所が、空き巣に入られているなんて何の冗談だ・・・。
ソファーに目をやると、私は驚き心臓が止まりそうになった。なげだされた人の足が暗がりの中、ブラインドから漏れる光に映し出されていたのだ。人形なのか、それとも人間なのか、この位置からはよくわからない。人間だったら大事だ。
勇気をだしてゆっくりと慎重に近づいてみると、男が1人寝息をたてて寝ていた。顔を覗き込むと、短い髭を蓄え、髪はボサボサのちじれた長髪、ところどころ白髪になっていて光に反射している。汗地味で汚れたクリーム色シャツに紺色のセーターを着て、すり切れた黒のスラックスに茶色のハイカットの革靴を履いている。
間違いない。ホームレスだ。この探偵事務所はとっくの昔につぶれて、ホームズじゃなくホームレスが住み着いたに違いない。
私はそろりと音を立てずに、その場から立ち去ろうとした。だが運悪く、終盤のジェンガのようにアンバランスに積み上げられた本の山にほんの少し触れてしまい、その本は音とホコリを撒き散らして崩れてしまった。
その音でホームレスの男の目がパチリと開き、暗がりの中、黄色がかった眼球が怪しく光った。ぎょろりとしたくっきりとした二重だ。
「友美?」
その男はガバッと起き上がり、私を見るなりそう言った。
「え、いえ違います。どちらかというと佐久間です・・・」
私の心臓は周りにも聞こえるのではないかと思う程、大きな音を立てている。
「あ、ああ、友美にしては、残念な胸だ・・・」
男の目は私の胸元を見て、落胆の色をだしている。
「え、すいません・・」
私は何も悪くないのに反射的に謝ってしまった。
男はぼさぼさの頭を掻きながら、反対の手で眠そうな目を擦り「佐久間さんだっけ?何?客?」と言った。
私は恐る恐る「あの・・・、ということはあなたが斉藤さん?」と聞いた。
「当たり前だろ。俺が斉藤じゃなかったら、一体誰になるんだよ。ホームレスってか?」
そう言って男は豪快に笑った。
「いえ・・・あの・・・、いつも部屋はこんな感じなんですか?」
「あ?悪いか?俺の部屋なんだし、いいだろ別に」
男の顔には、まるで親に部屋の汚さを指摘された子供のような、あどけない憤慨の念が浮かんだ。
「そうですが・・・」
「ちょっと待って」
そう言うと斉藤は足で散らかった物をどかし、無理矢理にスペースをあけ、本の束やごみを乱雑に手で払いのけた。ホコリが立ちのべ、私は口を塞いだ。するとそこから、解けかけの雪のように、灰色に濁ったガラス製のテーブルがあらわれた。そして次にゴミ袋の間から、緑の丸椅子を取り出し、設置し「私に座って」と言った。
私は言われるがまま椅子の埃を手で払いそこに座った。
「飲み物はコーヒーか紅茶どっちがいい?」
「えっと、それじゃあコーヒーを・・・」
本当は飲み物なんて飲みたくなかったが、私という人間はこう二者択一の選択をせまられると、第三の選択を提案するというのが、苦手な性分であった。
「コーヒーね。オーケー、それだと、下降りて右に行けば、スタバがあるから、俺キャラメルマキアートね」
「え?」
「ああ、トールでいいよ」
「いや、サイズじゃなくて」
「紅茶がいい?紅茶なら大通りの店がテイクアウトやってるけど」
「あ、いえ何でもないです。行ってきます・・・」
「行ってらっしゃい」
斉藤が笑うと、前歯の虫歯が目立った。
私は下に降りると、クリーム色の看板を睨んだ。客をパシリに使うホームレスのような外見の探偵。そしてごみ屋敷のような探偵事務所。指輪を見つけるのは無理だろうな、私は簡単に諦めた。
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