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「母さん、思ったより普通じゃないか。料理も昔と変わらず作れていたし」
「まぁな。今日はお前も来ていたし」
「関係あるの?」
兄は首を横へ振った。
「分からない。ただ、一人の時が一番酷いような気がする」
低くなった兄の声に、返す言葉を失った。
「たまに何をしようとしていたか分からなくなる事があるようなんだ。それからテレビの内容にもついていけないようで、ドラマなんかはあまり見なくなってしまった。前は大好きだったのに」
「いや、でも。歳を取ったら誰でもそんなものじゃないのか?物忘れなんて俺でもよくある事だし」
「飯食っている時のおかしなあの空気。お前も感じなかったわけじゃないだろ?」
隠していた嘘を見抜かれたように、心臓が跳ねた。つい数十分前に母が口を開いたあの時、私は確かに空気が凝固する音を聞いた。
『美恵子さん。お醤油』
それは兄の嫁の名前ではなかった。母は自分の孫と義理の娘の目の前でどんなうっかりがあったとしても、息子の前妻の名前を口にするような迂闊な人ではなかったはずなのだ。
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