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家族三人と荷物を詰めこんだ車を見送ると、再び咲也の部屋へと足を向けた。
少し色褪せた焦げ茶色のフローリングの木目を見つめながら、へたりと腰を下ろす。もう、咲也はいないのだ。たかが、四年間。大学だって、すぐ隣の県だ。電車なら三時間半の距離である。長期休暇には帰省するだろう。でも――。
もう、弥生だけに向けられた柔らかな眼差しを独り占めすることはできない。うつむきがちに、それでも、なんとかして言いたいことを伝えようとする不器用さも、どことなく父に似ている堅苦しい雰囲気も――日常で捉えることは、叶わない。
もっと早く、出会っていたら。
きちんと、「お兄ちゃん」と呼べただろうか? あるいは、こんな、恋だか親しみだかわからない曖昧な感情を抱くことなどなかっただろうか?
与えられた時間の短さに気づけなかった自分の稚拙さが悔しい。家には誰もいないのに、声を押し殺して、滲み出る涙をトレーナーの袖で拭った。
気配を感じて顔を上げると、軽やかな足取りでキキが突入してきた。弥生の前で、引きずりながらくわえていたものを離し、前足を揃えてかしこまる。
「……あんただったの」
ひどい鼻声で応じ、目の前に置かれたマフラーに手を伸ばす。大事にしていたのだろう。新品の輝きは失っているものの、柔らかな温もりは健在である。空色と灰色を足したような、曖昧で優しい色合いが、泣き濡れた瞳を染めていった。
にぁ、と、一鳴きしたキキが、のんびりと膝の上を占拠する。毛並とよく似た色のマフラーに身を埋めて丸くなったキキの温もりに、あの日の帰り道を思い出していた。
兄と――咲也と――初めて心を通わせた、冬の夕暮れだった。
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