人形焼きになれない私たち

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 リクルートスーツは、どこのメーカーの物を着ても、どれがどう違うのかがわからない。  私には、有名女性ブランドのスーツも、量販店のスーツも、レンタル品のスーツも、全部同じに見える。  面接必勝と書かれた本を顔の近くまで持ち上げて読むふりをしながら、辺りを見回す。  髪が長かったらひとつにまとめて、短かったら癖毛が目立たないように整えて、明らかに長時間歩くのに無理があるようなヒールの革靴を履いて、面接を待っている。  私も靴擦れのせいで足は血塗れだし、絆創膏を貼ったらその上からストッキングを穿いたら伝線すると思って我慢して穿いたら、癒着してストッキングを脱ぐときに余計に痛かったから、結局は伝線を我慢して絆創膏の上からストッキングを穿くしかなかった。 「次の方、どうぞ」  その声が聞こえて、私は立ち上がる。周りからちらりと視線が集まる。その視線の中に「やった、あの人落ちた」というほっとしたような色がちらちら見えるのが嫌だった。  私だってそう思う。一生懸命書いた履歴書も、いやいや撮った証明写真も無駄になったなと、無駄になった金額を算段してしまう自分に嫌気が差しながら、ドアを二回叩いて、「失礼します」と言って面接室に入っていった。  しかめっ面のスーツの男性に、年寄りがふたり。一次面接だとどれだけ偉い人が並んでいるのか、いまいちよくわからない。  三人に面接官が、一斉に私の頭を見たのを見て、内心「ああ、落ちたな」と感じたものの、来てしまった以上、面接は受けなければいけなかった。 「山崎(やまざき)美里(みさと)です。どうぞよろしくお願いします」  そう挨拶をしてから、「どうぞおかけください」と言われて、当たり障りのない会話をする。普段から私の頭を見て、そのことを触れる人もいれば、腫れ物に触れるかのように、遠回しにしか触れない人もいる。ちなみに今まで、年寄りの面接官の場合は触れられたことがなく、面接時間も他の人よりは若干短く終わる。  今回も早く終わるんだろうなと思いながら、質問に答えていたけれど、最後に「最後になりますが」としかめっ面の男性が声をかけてきた。 「あなたの頭は、あまりにも具合が悪いのではないですか? ずっとふけが出ているじゃありませんか」  しかめっ面の男性があからさまに顔をしかめながら言ったら、残りのふたりも「うんうん」と頷いた。ああ、この人は触れてくるんだなあ。そうしみじみと思いながら、私は頭を下げた。 「大変申し訳ございません、ふけが出てしまい。これは私の髪を染めているからです」 「……染めているというのは?」 「私の地毛は赤毛です。面接の際には、いつも黒彩で染めてはいますが、皮膚に合わないようで、黒彩で髪を染めて半日経った頃には、ふけがポロポロ出ます。御社では染髪の規則はどうなっていらっしゃいますか?」  私が逆に聞き返した場合、しかめっ面の男性と年寄りふたりは顔を見合わせている。この人たちの年齢だと、アレルギーは全部根性が足りないと切り捨てるんだろうか。ギリギリ根性だけではどうにもならないことを知っているんだろうか。  しかめっ面の男性は、ごほんと咳払いをした。 「社内の風紀を乱さない程度であれば、どんな髪色でも髪型でも問題ありません」 「ありがとうございます」  そのまま私は面接を終えて面接室を後にすると、緊張で凝り固まった肩をぐるぐると回しながら、家路へと着くことにした。こちらを見て、「落ちた」という視線を向けてくる人たちは無視した。私が落ちたからと言って、その人が一次面接を突破できるかどうかは知らないから。  世の中には、自分と他人が違うってことを、わかっていない人が多過ぎる。生まれつきくっきりとした赤毛の私は、おかげでいつも損ばかりしている。  高校時代から地毛証明書を出しているにも関わらず、風紀の先生に見つかっては「髪を染めろ」の一点張りで、風紀委員室に連れて行かれて無理矢理黒彩で髪を染められた。おかげで私の頭皮はかぶれて、ひどいときは一週間ほど頭からずっと血が出続けて、痛くて頭が洗えなくなってしまう。かさぶたがポロポロと落ちるけれど、それがふけみたいに見えてしまうから、不衛生に見える。  大学になったら髪の色のことをどうこう言う人はいなくなったけれど、今度は就職課の先生が何度も口酸っぱく「髪を染めろ」「染めないとまず落とされる」の一点張りで強制的に髪を染められてしまうんだ。  私は家に帰ると、さっさとリクルートスーツを脱いだ。シャツはさっさと洗濯機に入れて回してしまい、その間にシャワー室へと向かった。黒彩はシャンプーで簡単に落とせる。でも頭皮のダメージは深刻で、かさぶたが落ちないだろうかとひやひやしながら、一生懸命シャワーでマッサージをして、シャワールームから出た。  ドライヤーで一生懸命髪を乾かしながら思うのは、今日のアルバイトのことだ。  未だに就職が決まらないけれど、どんどん電車賃が消えていくものだから、バイトを辞めるめどが立たない。でもそろそろ周りも就職が決まったという明るい話題が飛び交ってくるから、どんどん居心地が悪くなってきて、「また駄目だった」と言いづらくなっていく。  見た目が全てとは言わないけれど、見た目が原因でちっとも面接が二次以降に進まないのは、どうすればいいんだろう。私は大きく大きく、溜息をついたんだ。    ****  店の裏口に向かおうと、ビルとビルの隙間の道を進む。  表通りは開けていて、観光客の外国人もワラワラと笑っているけれど、裏通りになったら一転、人通りもない上に、あちこちの店のポリバケツが並んでいるエリアになる。ポリバケツの中には、入りきらないほどゴミが詰め込まれたビニール袋がはみ出て見える。  私がドアを開けると、中からプンと甘い匂いが漂ってきた。 「おはようございまーす」  私が挨拶するたびに「おはようございます」「おはようございます」とバラバラと正社員さんたちが声をかけてくれる。  土産屋通りに並んでいる人形焼きの店舗が、私のバイト先だった。  夏休みと冬休み、春休みなんかの長期休みになったら高校生の短期バイトも混ざるけれど、基本的にうちのアルバイトは大学生が中心だ。やっているのは人形焼きづくりにドリンクなどの販売。ときどき観光名所の問い合わせもあるけれど、それらは詳しい場所を案内するというのがうちの店の方針だ。 「おはようございます、山崎さん面接どうだった?」  うちの店の制服である、甚兵衛に白い前掛けを合わせたチーフに声をかけられて、私は内心ギクリとする。 「あんまりいい雰囲気ではありませんでした」 「そーう? あなただったらどこでも働けると思ったんだけれど」  勝手なこと言うなよと、そう思ってしまうのは八つ当たりだ。実際にチーフは私の髪の色でバイトの面接を落とすようなことはしない。  うちは観光地が近い関係で、髪の毛を染めない黒い髪というのを条件にしているところさえある中、ここだけだったのだ、私の髪の色にとやかく言わなかったのは。  本当だったら、ここで正社員として雇ってくれたらいいのに、それは絶対にないだろうと諦めて、私は一瞬だけ口を引き結んだあと、どうにかして口を釣り上げる。 「早くどこかで就職決められたらいいんですけど」 「そうね、あなただったらどこでだって働けるから。頑張って」  口ばっかり。思ったことは口に出すことなく、引きつった笑顔のまま「ありがとうございます」とだけ言って、更衣室へと向かった。  更衣室で甚兵衛に着替え、前掛けを留めたら、三角巾で結んだ髪を突っ込む。これでもう、私の髪色にとやかく言う人はいない。  店の中に入って「おはようございまーす」と挨拶をしたら、パートの鈴木(すずき)さんとアルバイトの佐藤(さとう)くんが「おはようございます」と返してくれた。ベテラン人形焼き職人の鈴木さんは、バイトをはじめてひと月足らずの佐藤くんの下手くそな人形焼きのひっくり返し方に目を回していた。 「何度言ったらわかるの……! こんなぐしゃぐしゃな人形焼き、お店で買ったことあるの!?」 「すんません」  普段は朗らかな鈴木さんは、佐藤くんの不器用さにひたすら手を焼いていた。  鉄板をちらりと見ると、型から出すのが明らかに早かった人形焼きが、崩れてあんこをはみ出していた。たしかにこんなものをお店で出したら、クレームが入ってしまう。最近はネットやSNSのおかげでクレームが広がる速さが店側だと手に負えなく、小さな店だったら最悪畳むケースだってある。  鈴木さんは私のほうに助けを求めるようにして「ちょっと美里ちゃん、聞いてちょうだいっ」と声を上げて私の肩をぽんぽんと叩く。鈴木さんはそろそろ帰らないと駄目なんだから、佐藤くんの面倒は私が見ないといけない。 「佐藤くん、なかなか要領を得なくってねえ……! 就活で忙しいんだろうけど、もっと見てあげてねえ……!」 「あ、はい。わかりました。鈴木さんそろそろ上がりでしょう? 後は私がやっておきますから」 「本当によろしくねえ!」  何度も何度も私に頭を下げてから、鈴木さんは帰っていった。  佐藤くんはぶすくれた顔をしたまんまだ。顔は多分整っているほうだろう。身長は高めで、それでいてひょろひょろと頼りない感じの体躯ではない。三角巾の下からは金髪が覗いている。  不思議なのは、佐藤くんは鈴木さんのお叱りを受けながらもここでのバイトを続けているということだ。午後からのシフトは、基本的に閉店作業までだけれど、土産物屋が夜中まで開く訳がない。  女子にはあんまり遅くないバイトだから、早く上がれたほうがいいんだけれど、男子の場合はどうなんだろう。観光地の近くには居酒屋も多いし、あそこも髪の色はあんまり気にしなくってもよかったはずなのに。  私はそう思いながら、人形焼きの生地を溶いて、「佐藤くん」と呼んだ。 「ずいぶん鈴木さんにこってり絞られてたねえ。ひっくり返すの早いって」 「すんません。卵焼きとかだったら、もっと生焼けのときにひっくり返すのに」 「あはははは……そうだね、卵焼きだったら、完全に固まってからひっくり返したら、カスカスの食感になっちゃうもんねえ。じゃあ手本見せるよ。何度も見てるだろうけど、もう一度よーく見ててね」 「うっす」  口調こそ不愛想だけれど、意外と従順なのだ。  私は型に油を塗っておくと、あらかじめつくっておいた生地を流し込み、あんこをそこに入れていく。最後にあんこの上に生地を入れる。 「あんこの上に流す生地は、気持ち少な目にしてね。あとは型が全部やってくれるから」  そう言って、鉄板の蓋をすると、そのまま熱々の網の上に乗せる。そして、手前の鈴木さんがセットしておいてくれた型を取ると、それの蓋を開けて、中身を取り出す。佐藤くんが練習した分は、鉄板に塗った油が少なかったのか、見事にくっついて取れなくなってしまっていた。私はそれをどうにか鉄板から引き剥がして、油をよく塗っておく。 「うーん、鉄板に油を塗っておくのは基本ね。家庭用フライパンみたいにテフロン加工じゃないから、鉄板は使い終わったら常に油を塗っておかないと、すぐにくっつくようになるの」 「はあ……わかりました」 「あと、ちょっと生地を入れ過ぎかな。生地を入れて、そのあとにあんこを入れるけれど、残りの生地はもうちょっと少なくってもいいよ。それで、型からこぼれなくなるから。ほら」  私は鈴木さんがやった分の型を開けると、そこからころんと人形焼きを取り出した。  さすがパート歴十年以上のベテラン。綺麗なきつね色の人形焼きは、蜂蜜の甘い匂いを漂わせて、ふっくらとしているのが見ていてもよくわかる。 「ほら、鈴木さんの分。これなら売り物になるから。ちゃんと売り物になるものができるように頑張ろうね」 「はあ……わかりました。あの」 「なに?」  さっさと焼き上がった人形焼きを袋詰めにしていたら、それを黙って眺めていた佐藤くんがぽつんと言う。 「俺の失敗した人形焼きは、どうなるんすか?」 「さすがにこれは売り物にならないから、処分かなあ。フードロスってよく言われているけれど、形が歪なものを買いたがる観光客って、あんまりいないんだよね」  そう。形が歪なものは処分される。もちろんバイトやパートの休憩時間のおやつに出されることだってあるけれど、出来上がった失敗作は、正社員だって食べたがらない。そうなったら、黙って裏のポリバケツに、袋ごとギューギューに詰めて捨てるしかない。  綺麗に人形焼きになった奴だって、全部売れてくれたらいいけれど。あんこは高カロリーだと言われているから、なかなかたくさんは食べてもらえない。それでも形を整えて、綺麗にラッピングすれば、ちゃんと食べてもらえる可能性はぐんと上がる。  形にならなかったら、店先にだって並べてもらえないんだ。  なんだ、私のことか。そう思ったけれど、そんな辛気臭い顔で売る訳にもいかない。 「すみませーん、人形焼きひとつください」 「はあい! 佐藤くん、その袋売って。会計はもうできるよね?」 「うす」  ちょうど観光であちこち食べ歩いているらしいお客さんは、右手にはタピオカミルクティー、寺社でお参りでもしてきたらしく、左手には有名寺社の名前の入った紙袋を提げていた。  佐藤くんは人形焼きを焼くのは下手くそだが、レジでの会計は早い。暗算が早い上に、どんな電子マネーの支払いでも素早く対応してくれるから、電子マネーがわからないというパートさんたちよりも頼りになることが多い。 「最近はお賽銭も電子マネーで支払えるんですよ。便利になりましたね」 「へえ……すごいっすねえ」  そんな世間話をしながら、人形焼きの会計を済ませる佐藤くんは、にこにこ笑うお客さんに人形焼きの袋を渡して、「ありがとうございましたー」と声を上げて見送った。  私はそれをしみじみと見ていた。 「ありがとう。電子マネーの対応覚えてる人少なくって、佐藤くんは意外と物覚え早いから助かってる」  正社員ですら全部把握できないものだから、いきなり見知らぬポイントやクレジットカードで支払おうとして大騒ぎになるというのは、このところ多い話だ。それに佐藤くんはなんとも言えない顔をした。 「いや、昼間の観光客のほうが楽っす」 「へえ……他でもバイトしてたの?」 「飲み屋だったら、酔っ払い相手なんで、訳のわからない難癖付けられるんで。酔っぱらって気が大きくなってる奴にゲロぶちまけられたり、ない電子マネーをあるとかなんとか難癖付けてまけようとしたりしてきて、嫌気差して一か月で辞めました」  ……ああ、なんで明らかに向いてない人形焼き屋に来たんだろうとは思っていたけど。既に酔っ払い相手に嫌な思いしてたせいか。居酒屋でバイトしている子たちは、いつも愚痴を言っていたけれど、酔っ払いの相手をしないといけないというのが、一番のストレスなのかも。それこそ正社員がするものであって、安い給料でサンドバッグにされたら溜まったもんじゃない。 「まあどこにでもそんな人はいるんだと思うよ。日本語が通じるだけで、そのお客さんはいいお客さんなんだから。人形焼きを買いに来るお客さんだって、皆が皆いい観光客ではないし」 「そうなんすか?」  佐藤くんはこちらを抑揚のない顔で見てきた。……情けないなあ、後輩相手に愚痴なんて。就職決まってない人間が説教しても、説得力なんてないのに。    ****  店じまいを済ませ、今日の売上の計算を終えると、金庫にお金を片付けて、それらを全部正社員に渡す。あとは着替えて家に帰ろう。  基本的に夕方までで、観光客の人たちも土産物通りから飲み屋街へと移行している頃だから、この時間帯になったら人は少ない。私は更衣室で着替えを終えると、スマホを祈るような思いで見ていた。  会社からの合否の連絡は、最近はもっぱらアプリで来る。今日受けたところはまだ来ていないけれど、他の会社からポツポツ届いている。祈るような思いでひとつひとつ読んでいく。 【当社での採用は見送ることになりました。ご活躍をお祈りしております】  入っている入っている、お祈りメッセ。私は吐き出すようにして、ひとつひとつ消していった。また今回も、二次面接にまで繋がらなかった。私は髪を掴む。  日に弱くって、日焼けするとすぐに髪は悲鳴を上げて、赤毛どころかもっと色が煤けて金髪にまで至ってしまう。父さんは野球をやっていた関係でずっと坊主だったし、私みたいに髪の色を染めても荒れて皮膚がただれることがなかったから、面接のときも黒彩で全然問題がなかったらしいけれど。  髪の毛ひとつのせいで、どうして普通の生活が送れないんだろう。私はただ、普通に就職したいだけなのに。  最後のメッセが、またもお祈りメッセだったのを確認してから、それも消し、ついでにスマホの電源も落として鞄に突っ込んだ。だんだん虚しくなってきて、目頭が熱くなってきたけれど、泣いたところで内定が取れる訳でもない。歯を食いしばって、更衣室から出た。  すると男子更衣室のほうからひょいと佐藤くんが出てきた。 「先輩?」 「あれ、佐藤くん。まだ帰ってなかったんだ」 「……なんか先輩、大丈夫ですか? 顔色あんまりよくないですけど」  佐藤くんが珍しく気遣わしげに言うので、私は嫌だなあと思う。普段から朴念仁だと思っている人にまで言われるって、私相当ひどい顔をしているんだ。 「なんでもないよ、そろそろ帰ろうと思ってただけ」 「……送りましょうか」  普段、一緒にバイトを出ても「お疲れ様」のひと言で頭を下げて終わりなのに、こんなことを言われると困る。私がなんとも言えない顔で佐藤くんの表情を眺めていると、彼は相変わらず不愛想な顔で言う。 「今の先輩、放っておいたらネズミ講にハマりそうで。うちの学校でもハマッた奴がいて掲示板に大っぴらに貼り出されるわ、アプリで注意勧告回ってくるわ、散々だったんで」  未だに流行しているところではしていたんだ、ネズミ講。  佐藤くんの言動が方便なのかどうかはわからないけれど、たしかに今、「これを買ったら内定取れる」と言われてしまったら、どう見てもビーズのブレスレットでもパワーストーンと騙されて何万円でも買ってしまうかもしれない。  素直に佐藤くんに家まで送ってもらうことにした。  普段からバイト中のとき以外はまともにしゃべっていない。シフトの都合で、仲のいい子たちと一緒のときもあれば会わないこともあるし、観光地なんだからシフトが土日に入ることだってあるから、飲み会で騒ぐってことも全くなかった。  大学の話をしてみても、私は文系で、佐藤くんは工業系。全然話が続かなかった。  ときどき来る変な客とか、正社員さんが陰険だとか、そんな取り留めもない会話をしていたら、いよいよレパートリーがなくなってきた。  まだ住んでいるアパートも遠いのにどうしよう。私がそう言っていたら。 「失敗した人形焼きって、どうして捨てるんですか? お客さんに出せなくっても食べればいいのに」  佐藤くんがぼそぼそと言うので、私は顔を上げる。佐藤くんの失敗したカスカスの人形焼きを思い浮かべて、私は「うーん」と腕を組む。 「気付いたらそうなっていたんだよね。私も失敗した奴を捨てるのが忍びなくって、最初は先輩とかに頼み込んで買って持って帰ったりもしてた。中には失敗した奴だけじゃなくって、売れ残りも捨てたりしてたしね」  でも全部を買うことはできないし、炭水化物ばかり食べていても体によくないし、「捨ててもいいよ」の言葉に甘えてどんどん捨てるようになっていったような気がする。  見て見ぬふり。気付かないふり。鈍感にならなかったらやってられないから。そう自分に言い聞かせていたような気がする。佐藤くんは相変わらずの抑揚のない表情で、ぽつんと言った。 「なんというか。型にはまらないとどうこうできないっていうのは、窮屈っすね」  それは私に苛立ってそう言ったのか、それともだいたいのことを皮肉ったのか、私にはわからず、肯定も否定もできなかった。ただ、次の角を曲がるときに言う。 「ここで大丈夫」 「ああ、じゃあ見ときます。先輩、おやすみ」 「ありがとう、送ってくれて。おやすみ」  私は手を振って、足早にアパートまで帰った。パタパタと階段を駆け上がる。廊下の丸窓を覗くと、アパートを見上げている佐藤くんが見えた。  大学が女子学生用に買い取ったアパートは、普通のアパートよりも大分家賃が安い。でも卒業したら出て行かないといけないし、男を連れ込んで問題を起こしたら、即退所。大家さんは大学の学生課と繋がりのある人だから、そのまんま大学側に通報されてしまう。  私はぐったりとしながら、スマホで新卒の募集要項を検索しはじめた。冷蔵庫に残していたお漬物と梅干し、あと炊飯器に入れっぱなしのご飯といういい加減なご飯を食べながら、めぼしいところに応募をする。  何件か応募したところで、電話が鳴った。実家からだ。 「もしもし」 「美里? あんた面接どうなった?」  お母さんの心配そうな声に、間の悪さから来る気まずさと申し訳なさが一気に責め立ててくるような気がした。スマホの液晶画面がミチミチ音を立てるのを聞きながら、私は声を上げる。 「……多分落ちたんじゃないかな。髪の色のことで、ちょっと口論になったから」 「またなの……ねえ、早まっちゃ駄目よ。就職できないからって、風俗に」 「いや、行かないから」  髪の色を気にしないとなったら、バイトを掛け持ちするか、風俗に行くしかない。専門学校に行って資格を取れば髪の色を気にしない仕事があるかもしれないけれど、髪の色が原因で面接に行っても意味がないっていうんだったら、どうすればいいのか私だってわからない。  自分のせいじゃないことで、ずっと責められ続けるのはどうしたらいいんだろう。泣き寝入りするしかないんだろうか。ぐるぐると考えていたら気持ち悪くなってきて、バイト先では嗚咽を漏らすほども出なかった涙が、溢れて止まらなくなってきた。 「……私は、どうして普通になれないんだろう。全身整形したらよかったの? 髪の毛全部引っこ抜いて、真っ黒な髪に植毛してもらったら、普通になれたの?」 「ちょっと美里……あんたはいい子なんだから、普通にしていたらいいの」  いい子じゃなくってもいい。自分のせいじゃないことでずっと怒られるのが嫌なだけ。髪の色なんてどうしようもないことで、いつまでも就職が決まらないのが嫌なだけ。お母さんは電話越しで言う。 「あんたはちょっと疲れているだけだから。変なことしちゃ駄目よ。あんまり駄目だと思ったら、帰ってきてもいいから」 「……帰ってどうするの……うちの近所のほうが、ずっと就職できないじゃん」  地方のほうが、就職の枠が狭いことなんて、誰だって知っている話だ。お母さんは困った声を上げる。 「とにかく、変な気を起こさないようにね」  言いたいことを言って、そのまま通話は途切れた。私は力なくスマホの電源を落とすと、食欲が消えてしまい、机に並んだご飯をどうしようと考えた。  人形焼きになれたらよかったのに。型にぴたりとはまったものだったら、きちんとしていれば売れたのに。私は型に入らずに、ぐちゃりと崩れた人形ですらないただの焼き。それは捨てられて、燃やされて、忘れられる。店先に並ぶことすらできないのに、どうして売れようか。  結局ご飯は炊飯器に戻し、行儀悪く手掴みで漬物だけ食べて、シャワーを浴びることにした。もう寝てしまおう。  佐藤くんに言われた通り、今のメンタルだったら、就職できると言われたらブラック企業だろうが、宗教組織だろうが入りかねない。    ****  気付いたら、全裸で鉄板の上に寝転がっていた。私は自分の髪に触れる。相変わらず赤い髪で、面接に行くとしたら黒彩で染めないといけないのに。  私にねっとりとした視線を向けられているのに気付く。それは観光客だったり、学校帰りの買い食いだったりする。  熱々の鉄板の上でひっくり返されても、不思議と熱くない。私をトンと指さしてきたのは、髪の毛が白くなってしまったおじさんだった。 「これひとつ」 「毎度あり」  うちの店でそんなことお客さんに言ったら、正社員さんに怒られるな。私がそうぼんやりと思っていたら、私は摘み上げられて、紙袋に詰められた。私を摘まんでいたのは佐藤くんで、私をちらりと見てきた。 「だから言ったのに。ネズミ講に引っかかるなって」  そう言って私を詰めた紙袋を封する。  ばっかみたい。私は紙袋の中で膝を折る。  髪の色がどうのこうのと駄目だししてくる癖に、結局剥いてしまったら皆同じなんだ。だから売れる。だからお金が手に入る。今まで頑張って普通になろうとしていたのは、いったいなんだったんだろう。  会計が済み、私の入った紙袋はそのまま持っていかれる。私はその振動に揺られながら、まだ口の中で「ばっかみたい」とのたまった。  結局は、偉い大人は型にはめたほうが使いやすいと思っているだけだ。バリバリ食べられて、痛くって気持ち悪くって仕方がなくっても、こっちのほうが稼げるのに。  私は本当に、どうしたらよかったんだろう。鉄板の上に並べられるのと、綺麗にラッピングされて売られるのと、どっちが幸せだったんだろう。  今しか見えなくって、未来が見えなくって、どっちがよかったとか考える暇なんて、紙袋の中しかなかったのに。    ****  目が覚めたとき、私は鉄板で寝転んでもいなければ、全裸で売られることもなかった。  いくらなんでもシュールが過ぎるだろ。食べられたらおんなじでしょと、人形焼きだったら売れるなんて保証、どこにもないのに。私はくしゃりと髪を掻く。相変わらず赤い髪は、目が覚めたからと言って髪の色が変わるなんて奇跡はない。  もういっそ面接なしの仕事を探すか。フリーランスなんてどうやってなればいいのかわからないけれど、ぶっちゃけそれくらいしか面接なしで始められる仕事はない。こんな理由でフリーランスになるなんて危険過ぎると言われるかもしれないけれど、このまま行ったらどっちみち就職決まらない内にアパート追い出されるんだから、まだ建設的だ。  シュールが過ぎる夢を見たせいか、私は少しだけ開き直っていた。  もうにっちもさっちもいかなくなったら風俗に行けばいいと当たり前過ぎることに気付いた私は、行く前になんでもしようという気になっていた。 「……フリーペーパーの仕事、履歴書なしな上に、家でできるんだ。よし」  人形焼きになれない私は、それ以外で生き残る方法を、必死で探している。 <了>
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!